見出し画像

#6 アラーム首長国連邦からの脱出。危険を危険と捉えるか否か。

突然ダジャレをぶっこんでしまいすみません。これは我々が住んでいる国の名前です。

アラーム、毎朝使いますね。スマホに起きる時間をセッティングし、けたたましい音で目を覚ます。あの音嫌ですね。

普段何気なく「アラーム(alarm)」という言葉を使いなんの疑問も持たなくなっておりますが、本国におけるこの言葉の意味は「警報」です。怖くないですか?

(あらし・出水・火事・空襲など)危険が起こりそうな時、それを一般の人に注意して警戒させるための知らせ。

危険が起こりそうな時ですって。怖っ! ぼくらは毎朝警報を鳴らされて覚醒めている!?

アラームが嫌いなので、なんとかアラームを鳴らさないで生きたい。アラーム首長国連邦を脱したい。

-----

なんとなくアラームを設定することには「望まないことがあるが、規定の時間に規定の場所にいなければならないために設定する」というニュアンスが含まれているように感じる。

本来自ら望んだことのはずなのに。自分の作ったビジネス、遊びの約束、会社の出社時間。それらに遅れてしまわないよう、危険を回避するためにぼくらはアラームを設定する。

しかしそもそも「危険」とは? なにが危険なのだろう?

約束の時間にいなかったら本当の意味で死ぬ。もしくは五体満足ではいられなくなるなら危険だが、そうはならんだろう。

ここでいう危険とは、「規定の時間に遅れることで結果的に社会的信頼を失うこと」をいうのだろう。

①時間に遅れることで迷惑がかかる(原因)→②かけられた側が不快に思う(過程)→③社会的信頼を失う(結果)

さらに先に進むと、③社会的信頼を失う→④そのシゴトの継続が危ぶまれる→⑤お金が得られなくなりおサイフのピンチ→⑥未知の領域

という諸々の顛末を含んで「危険」なのだろう。

-----

ここで改めて目的を確認。結局はアラーム首長国連邦を脱したいのだ。さすれば

A.①アラームを鳴らさなくても迷惑のかからない環境で過ごす

B.②遅れを迷惑と感じない人・環境で過ごす

C.④⑤⑥の状態を「危険」と感じないようにする

これらABCの選択肢が考えられるだろう。

-----

直感的に、良い選択肢はCと感じる。Cの状態になれれば、アラーム首長国連邦に住んでいても精神的には脱した状態。そもそも危険そのものが存在しないのだから、アラームが「警報」でなくなる。精神を健康に保ったままこの国に存在し続けることができる。

それに自分のスイッチを一つ変えるだけなのでなんのコストもいらないし、やむなく人やものの断捨離を行わなくてもよい。実際に人に迷惑もかからない。お得コース!

さらに仮に④⑤⑥の状態になったとしても、まあ生きてるし、と楽観的にいられそうでもある。その状態に陥った原因を逆説的に追求することもできる。一石でフルコースが揃っちゃった。

-----

どんなものごとも捉え方次第。実際にアラームを鳴らしていようと、精神的にアラームがアラームの役目(警報)を成していなければ、別にいいのだ。すべては自分次第なのだから、なんでもいい。

警報に常に怯えて生きるよりも、穏やかな朝を歓迎したい。そのためには視線の角度をちょっぴり変えてあげればいいのだ。わざわざ捨てたり、迷惑をかけなくてもよい。

ちなみにalarmの語源を調べていたら、出てきました。

alarmは「警報」を意味し、語源はイタリア語のall’arme(武器を取れ!)に由来します。

物騒すぎでしょ。やっぱ嫌いだわ〜! アラームー!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?