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◆日記◆ 「男の性欲」について

ツイッタートレンドで「男の性欲」が上がっていました。
そのことについて思うことをいくつか。

■性嫌悪と性暴力

性暴力の被害者の多くは女性です。
そのことにより、女性は男性の性欲に対しての嫌悪を抱きやすいという現象が起きているのではないかと思っています。

日本において、性暴力は可視化されているとは言えません。
多くは裁かれず表沙汰になっていないのが現状のようです。
これをしっかり可視化できるようにすること、被害女性が告発できるよう、適切に保護される方法を模索するべきではないかと。
性暴力が可視化され「性暴力を見逃さない、許さない社会」となった時、女性が性暴力に怯えず、安心して暮らせる社会になるように思います。
男性が女性にとって基本的には安全であると認識されることが、性嫌悪から脱却する道筋なのではないかと思っています。
現状では、男性は女性にとって危険な存在であり、嫌悪の対象だと認識せざるを得ないのではないかと思います。

■「男性の性欲は薬で抑制すればいいのでは」論について

「女性は生理の苦痛を薬で和らげることがある。
しかし、男性が薬で性欲を抑制することに抵抗があるのはなぜか」
という話題が上がっていました。

その薬が苦痛を緩和する薬ではなく、欲求を抑制する薬だからではないでしょうか。
性欲そのものは苦痛ではありません。
性欲を堪えること、性について侮蔑されることが苦痛なのだと思います。
性欲を堪える苦痛を緩和しているのは、現状では性的なコンテンツなのだと思います。

欲求そのものは自然欲であり自然権です。
自発的に薬を飲みたいという人はいいのですが、何かが欲しい、何かがしたいという欲求は、基本的には守られるべきだと思います。
例えば、
「何かがしたいけどできない」
「こういう自分になりたいけどなれない」
そういうジレンマを抱えている方もいらっしゃると思います。
そういう方に「薬を飲めばそうしたい気持ちそのものがなくなるよ」と言われて、誰もが諸手を上げて賛同するでしょうか。
欲求の否定は人間性の否定であると考えます。
(※医療上で必要な措置として、性犯罪に対する法的処置で、というのなら話は別です)
「男の性欲」は、他者の人権を侵害しない範囲において、社会として許容し共存していかなくてはいけないのだと思っています。
同時に、決して他者の人権を侵害しないように、適切に管理規制されなくてはいけないものだとも思っています。

■「男の性欲がないと女性に優しくできない」論について

「男の性欲がないと女性に優しくできない」っていうのは、単に人権意識が低いだけでは。
性欲に関わらず、老若男女問わず優しくできる関係は作れるはずです。

■終わりに

「男の性欲」は穢れたものとして、ある種、アンタッチャブルな案件として扱われているものだと思います。
こういった部分にスポットが当たり、議論の的になることは好ましいことだと思っています。
女性も男性もそれ以外の性も、それぞれ大切にされる社会になりますように。

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