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映写技師から2年で突然ユーロスペース支配人になった私が今思うこと ❘ 北條誠人

今回は、東京・渋谷のミニシアター、ユーロスペースの北條誠人支配人にインタビュー。大学を卒業後、ユーロスペースの映写技師として業界入りを果たした北條さん。映画との出会いや、支配人としての考えをたっぷりと語ってもらった。

記事の後半では、ユーロスペースの上映作品であるTSUTAYA CREATORS' PROGRAM受賞作『ブルーアワーにぶっ飛ばす』を引き合いに、今後の映画界が目指すべき目標や展望についても。コロナ禍を経て、北條さんはいま何を思うのか。貴重な言葉の数々を、受け止めていただきたい。(聞き手:SYO

ユーロスペース 北條誠人 支配人

SYO:北條さん、本日はよろしくお願いします。今回は北條さんご自身の来歴もお伺いしつつ、ユーロスペースでのお仕事や映画への想いを伺えればと思います。1961年のお生まれで、中学生時代のご友人や先生の影響で映画館に通うようになったと伺いました。映画に深くハマったのは、その時期なのでしょうか。

北條:小学生のころから、テレビで映画を観るのは好きでしたが、中学で映画好きの同級生に出会い、「いま劇場でやっているもの」に興味が移っていきました。当時はまだミニシアターとかは全然なくて、チェーンの映画館で『パピヨン』(73)や『スティング』(73)といったアメリカンニューシネマの残り香が漂う作品なんかを観ていましたね。映画館で映画を観ることは当時、非日常な体験でした。

SYO:その後、大学卒業後に映写技師としてユーロスペースに入社されます。映画業界への道に一直線だったのでしょうか。

北條:いえ、就職活動はご多分にもれず、出版社やテレビ局を受けました(笑)。教育実習もやりましたよ。偶然、縁があってここに流れ着いたというのが正直なところです。映画の仕事に就くためには、私にとって映写技師の道が入り口だったという感じですね。

SYO:ゼロベースから映写技師のお仕事を始められたのは、すごいですね。

北條:映写技師は 1日中映写室にいなきゃならないし、映画館のタイムスケジュールで自分の仕事が決まるわけですよね。だから夜に遊びに行くとか全然できないんです(笑)。基本的に真っ暗だし、周りには劇場のスタッフしかいないから、他の人が来て話をすることもない。ひたすら映画館のタイムテーブルのために奉仕をするということがよく分かりました(笑)。

映写技師時代の最大の思い出は、入って2・3年目くらいに『ゆきゆきて、神軍』(87)を映写したことです。奥崎謙三さんという人が、ヒステリックに元長官たちを追及していくのですが、その声と1日4回上映、計8時間ずっと付き合っていると、家に帰って寝ていても夢に出てくるんです(苦笑)。その時、そろそろ自分もヤバいなと思いましたね……。ロングランしたから余計に。

SYO:それはしんどいな……。ただ、入社から2年後に支配人に就任されましたよね。これもすごいスピード感だと思います。

北條:いやいや、私の実力ではなく、上司が支配人を辞めたくなったので、「お前やれ」みたいな感じで振られただけですよ(笑)。

支配人も、結局映画館のスケジュールでずっと生きているんですよね。だから結局、夜に遊びに行けない(笑)。なかなか自由が利かない仕事ですから、上司はその責任から離れたくて私に振ったんだと思います。

SYO:なるほど……。そういった背景があったのですね。支配人のイロハみたいなものは、前任の方から引き継ぎがあったりして学ばれていかれたのでしょうか。

北條:いえ、引き継ぎは全然されていないんです(笑)。いわゆる系列がある劇場じゃなくて、完全にインディペンデントな劇場でしたから。だから誰かから教えてもらうということは、全くなかったですね。見よう見まねでやっていただけだから、今でも分からないことがたくさんあります。

SYO:では、就任当時はかなりご苦労されたのですね。

北條:自覚がないから、全然苦労した記憶がないです(笑)。まだその頃のビジネスって、小さいものですから。

支配人になって間もなく、デヴィッド・クローネンバーグの『デッドゾーン』(83)を上映した際、初めて外の方と仕事をする経験をしました。いわゆる小さな配給会社ではなく、東北新社という組織的な会社の方と映画について話す経験が新鮮だった記憶があります。

SYO:当時、ミニシアターブームもあったじゃないですか。

北條:ちょうど上り坂の時ですね。

SYO:はい。僕自身はまだ生まれていないのですが、当時の空気はどんなものだったのか気になっていて。

北條:渋谷地区の興行組合の総会のときに、大手の興行会社の方々が「これからの渋谷は、チェーン系の映画館とミニシアターの2つの流れになっていきそうだね」と話していたのをよく覚えています。

ちょうどミニシアターが増えてきて、「ミニシアターで映画を観る」ということが、定着していった時期でした。それ以前は、好きな人が行くくらいのカルチャースポットだったと思うのですが、一気に広がりを持った場所になっていきましたね。

SYO:北條さんは以前「若い作家の作品であったり、まだ知られていない国や地域の作品を多めに上映していきたい」とおっしゃっていたかと思います。その方針は、ユーロスペースがカルチャーの発信地になっていく、といった思いからでしょうか?

北條:いえ、結果的にそうなっただけですね(笑)。この作品をやりたいなとか、これ面白いなといった感じで上映作品を選んでいく中で、だんだんできていった感覚です。

僕は、あまり物語に興味がない人間なんです。それよりも、画の力や役者の力、新しいつなぎ方や音のセンスといった部分に惹かれますね。「この物語を映画でどう表現するか」に興味があるため、そういった部分の表現力が際立つ作品を選ぶことが多いです。

SYO:そういった編成の“色”も、ミニシアターの面白さですよね。劇場自体が、コンシェルジュの役割を果たしている。そういった中で、ユーロスペースで上映されたTSUTAYA CREATORS' PROGRAM(TCP)の受賞作『ブルーアワーにぶっ飛ばす』については、いかがですか?

北條:とにかく若いなというのが1番の印象ですよね。来ているお客さんも、若い方が多かったように感じました。若い役者さんも気になって観に来ていたみたいですよ。

SYO:作り手の方も足を運んでいたんですね。

北條:そのようです。もう1つ、これはTCPに対してでもありますが、ちゃんとプロデューサーが付いて、きちんとした映画が作れるという環境は羨ましいなと感じました。

例えば「若い監督を応援します」と簡単に言いますが、誰を選んで、どういう体制で作っていくのか問われていると思います。『由宇子の天秤』の春本雄二郎監督のように、自分でお金を集めてやるという人たちももっと出てくるでしょうし、作り手の方も、これから自分に適した作り方というものが問われていく。その選択肢の一つとして、TCPが機能していると思います。PFF(ぴあフィルムフェスティバル)だけじゃなくて、TCPもある。面白くなってきた感じがありますね。

「応援します」という部分においては、若い監督と継続的に組んでいくことが大事なのではないかと思います。例えば海外の映画祭で若い監督のデビュー作をどこかの配給会社が買い付けて、うちで上映するとする。ただ、往々にしてデビュー作って、仕事としてはしんどいんです。監督にも作品にも知名度はないし、役者も無名な人を持ってきているわけですから。みずみずしさや面白さと、若さに惹かれてやるのですが、あまり成績が芳しくないことが多い。

ただ私が配給会社に言っているのは、「成績が悪いのはうちのせいだと思ってくれ」ということです。「だからできれば2本目も買い付けてほしい。次もウチで上映するから」と。クオリティがしっかりした監督の芽が出るまで、継続的に育てていくビジョンを持った配給会社と一緒にやれないか、ということを去年あたりからやり始めていますね。多く客が入るであろう作品を買い付けに行って、取った取られたみたいな配給の考え方から、1歩出た先に何をやっていくか、ということを合言葉にできたらとは思っています。

SYO:そういった作品を上映する“場”であり、体験できる“空間”として、劇場が果たす役割もなお一層重要になってきたように思います。

北條:劇場で映画を観る人は、物語だけじゃなくて、表現そのものを観に来ているんだと思います。スマホとかで動画を観るのは、物語を追っているだけですよね。大きなスクリーンじゃないと、何が映し出されているのか、どこにこだわりがあるのかという所までは分かりづらい。

SYO:あぁ、非常にわかります。

北條:そしてコロナ禍を経て思うのは、ミニシアターを支えてくださってきたお客さんのありがたみです。「SAVE the CINEMA」や「ミニシアター・エイド基金」はまさにそうですし、私自身も色々と取材を受けさせていただき、ミニシアターについてお話していくなかで「個々の劇場の誰かがどうやっている」というセンスや戦略よりも、お客さんの皆さんによって、ここまで支えられてきたことをより感じるようになりました。

それともう1つは、ミニシアターだけではなくて、シネコンも含めた映画館というものを考えるようになってきたということ。ユーロスペースで上映した『はちどり』や『由宇子の天秤』がTOHOシネマズ日比谷やシャンテで上映される事例も出てきましたし。

SYO:ミニシアターとシネコンの垣根が、よりフレキシブルになってきていますよね。

北條:そうやって広がっていったほうが、作家にとっても作品にとってもお客さんにとってもプラスになると思います。ミニシアターがカルチャーを抱えていく時代は、明らかにコロナで終わりました。これからは、お客さんに支持されているという自覚を持って、配給会社とも一緒に考えるし、シネコンとも連携をとって作品と作家のためにプラスになることを考えていく。そういうのが良いんじゃないかと感じますね。

北條誠人 支配人(左) 映画ライターSYO(右)