二重籍PART2

 実は違った意味で二重籍をしていたことがある。

 4番目の子が中学から学校に行き始めた。上の子たちを見ていたので学校というところを凄く嫌な所だと思っていた彼女は、小学校は最初から行かなかった。私も教育委員会に手紙を出して本人の意思に任せることにしたと伝えた。中学にはいる年齢になり、もともといじめが原因で行けなくなったということではない彼女は中学入学にあたり学校というところに一度入ってみていやだったらやめる選択をした。

 上の子たちの関係で私も先生には、「本人に任せてあるのでよろしくお願いします。私は子供の意思を尊重するので行きなさいとは言いません。」と伝え、先生も「わかっています、少しでも向いてくれれば良いです。」とスタートした中学生活。4日で彼女は「ああゆうところなんだね。」と言っていたが結局3年間登校した。その間にアメリカから来ていたALTの先生と仲良くなり娘のピアノ発表会にも顔を出してくれた。彼女自体音楽専攻だったため、「高校どうするの?音楽高校に行くの?」「ピアノは趣味で将来は国連で難民救済がしたいから英語をやりたい。」と伝えたらしい。

 小学生の頃からピアノやバレエをやってきて宝塚を夢見ていた彼女だった。ところが中学二年のとき、私と主人の友人のお子さん、バングラディッシュと日本人のハーフであり現地の日本人学校に通う同じ年の女の子を夏休みの間だけ預かった。御両親は現地では金持ちなので、娘と同じ年のお手伝いさんがいる生活だと教育上よくないので夏休みの間だけ預かってボランティアなどやらせてほしいと言ってきた。なので家にいるときは娘と夏休みの間、障害の子供たちの保育などのボランティアに参加してもらったりした。当然家にいるときにバングラディッシュの現状を聞いたりした娘。急に夢が変わってしまい、「私、国連に行きたい、難民救済したい。」といいだした。ここからがまた彼女の人生を大きく変えることになったんだね。今回は二重籍のことを書こうとしたけど長くなったので次回に回します。

 

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