目指したいものが見つからない若者へ

今回はこれまでと打って変わって、記事というよりただの呟きです。それでもってお前は成功しているのか?、この内容は科学的に正しいのか?...etc、そんなことは一旦おいて目を通せる人に暇なときみていただけたら嬉しいです。

そもそも目指すべきなのか

という内容は、この手の話題がでたときに擦られきっていると思うし、こんな悩みを抱える人たちのすべてにとっては検討済の事項だと思いますので、毎度のことさらっと読み飛ばしましょう。

川下り型の人間と山登り型の人間がいる。あなたは川下り型のタイプなのかもしれない。そんな語り草に納得しつつも、山に登らなければならないと焦燥感を抱いているのがあなたなのかもしれません。

なぜ簡単に変われると思うのか

もしあなたが20代だとして、自分の何らかの習慣や思考が原因で何かに悩んでいるとするのならば、そう簡単にはそこから抜け出せないでしょう。

20年の積み上げによって生まれた現状を変えるには、20年分のパワーを使わなければなりません。「明日から変われる」、「やればできる」、「何歳から始めても遅くない」。これらすべては確かに正しいですが、それと同時に都合よく解釈されやすい言葉でもあると思います。

人から勧められた本や、突然誘われた遊びや食事、一緒に走ろうと言われたマラソン大会や、通ってみたらと言われた英会話教室。何気ない日常のワンシーンも、自分が変わるきっかけかも知れないが、それに対する固定的な自分の選択を自覚しているかが、人が変わる上で大切な第一歩だと感じます。

この手の話で気をつけなければならないのが、過度なストイックさを求めたり、優生思想すぎる考え方をマインドセットさせること。合う人にはたしかに良いのかも知れないですが、物事は白か黒かではないからこそ、1〜100のグラデーションのなかで自分なりに良い塩梅を見つけなければなりません。

自己肯定感と言うから遠くなる

目指したいものがある人は得てして自己肯定感と呼ばれるものが比較的高い傾向にあります。逆をいえば、目指すものがない人はそれらの人たちと比較して、自己否定を繰り返す負のスパイラルに入ってしまうことが度々あります。

目的論信者としては、その状況が本人にとって実は心地良い状態であるのが原因だとバッサリ言ってしまいたくなりますが、そう言ったことを抜きにしていえば、どれだけ身近なものに落とせるかが大事なポイントだと思います。

自己肯定感は自分なりの解釈で言い換えれば、「どれだけ自分の人生を主体的に選択してきたか」の塊でしかありません。あの高校に行きたい、夏休みの宿題は最後の日にやるべきだ、晩御飯はハンバーグが良い。そういった我儘が少ない人が社会に出ると突然「君は自信がないよね」と言われる。

それがいわゆる「自己肯定感」であり、そういった抽象的な価値観が私たちを悩ませるとき、その根本的な原因は「どれだけ自分なりの言葉で解釈することができているか」に尽きると考えます。自分レベルの小ささに切り分けられて初めて、課題は行動できる対象へと変わるのです。

運はコントロールできないのか

結局のところ、どの世界も最終的には運次第である。プロ野球選手になれるのも偶然親が子どもにバットを買い与えただけかもしれないし、目指すものが見つかったのも勢いで転職したのが上手くいっただけかもしれない。オススメされた本を読んだところで変われないことだって多々ある。

すべて正しい。でもそう思うべきかどうかとなれば話は別。偉い人ほど何かにつけて、「君は自分が運が良い方だと思うか?悪い方だと思うか?」と聞くことがありますが、根本的な考え方はそれと同じ。

あの手の質問は色々な解釈はありますが、要するに「どうせなら自分のこと運が良いって思ってる奴と働きたいでしょ」という何の科学的でもないスピリチュアルなもの。そう捉えられるかも知れません。

運が「悪い」と思う人は、その時々の非コントロール的な要因のせいにする他責思考のタイプであるとする考えもありますが、いずれにせよ「良い」と答えるのが相場と思われている時点で意味がないと言われても無理はないです。ほんの一握りの経営者であれば、主張と態度の一貫性は簡単に見抜かれるのでそうも言えませんが。

遠回りな話をしていますが言いたいことは、コントロールできないものに対する自分なりの哲学を持たなければならないということ。無宗教な日本人は尚更、「かくあるべきである」という芯がないと往々にして人生の選択はできません。

ポケットからゴミが落ちたらUターンしてでも必ず拾いに戻る。そんな自分なりの些細なルールが、カオスな状況や先の見えない将来の悩みに直面したときに少しは助けになると思います。

期待しないこと、でも信じる

私は自分にも他人にも期待していません。一方でおせかっいなタイプではあるので、この手の目指したいものが見つからない若者や自分を変えたいと悩んでいる人に出会ったときに、何かと相談に乗りがちですがその後実際に変わった人を一人も見たことがない。自他ともにそんな確かな実績の積み重ねがあるからこその結果なのかもしれません。

今この文を読んでいる人は皆100%必ず、この文を読んだからといって、その前後で何か特異的な変化は起こりませんし、明日もまた今日と変わらない日常を送ると思います。

でもそうとは分かっていても、こうやって今文章を書いている自分がいる。きっかけはたまたまいいねを貰った人のnoteを読んだだけなのですが、一度思い立ったら悪い癖で書くことをやめられない。私の中ではこの行為も、自分の人生において大事な選択であると都合よく思い込ませています。

期待しないというのは、どうしてもネガティブな印象を持たれたがちですが、その対象が自分であっても自己肯定感が低いこととはまったく性質が異なります。

自己肯定感の低さは、これまでの意思決定が少ない自分そのものを「信じていない結果」であり、期待値の低さは、物事を良い方向に進めるための「最終的な結果を信じた準備」と捉えています。自分に期待していないからこそ、ミスをしないための対策を施すのであり、そうすることで信じた成果が残せると思っています。

あなた自身も、目指したいものが見つかることに対して過度な期待を持たず、その一方で自分が最終的に目指したいものが見つかるという結果に対しては、根拠がなくとも信じられるように祈りましょう。とどのつまり、それもまた日々の意思決定の積み重ねが重要です。

結局何をすれば良いのか

ぐだぐだと話しましたが、あなたが出来ることはあなたが出来ることだけです。目指したいものを見つけるというアクションは途方もなく、大きく困難なものであり、今のあなたではそう簡単に見つからないかも知れません。

大事なことは、どんなに小さくても今よりもベターな意思決定を積み重ねること。今年一度でも上司に誘われた飲み会に取り敢えずいくことが、そうなのであればそれも良いでしょう。

あなたは変われない。20年の蓄積を覆すのには根拠はないですがどれだけ少なく見積もっても3年はかかります。でも運が良ければ1日ですむかもしれない。そんな最後の甘い言葉に期待しながら一歩ずつ着実に前へ進めると、結果的に自分の信じた方向へ歩めるのではないかと思います。

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