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ウォルター・シャイデル:格差と戦争②


「平和的な平等化の実現は可能か」

平和的に平等化を果たしたという事例に関しては、確実な証拠は得られていないとシャイデルは言っているが、土地改革、不況、民主化は功を奏する時があるものの、不平等を体系的に軽減する効果はないと見ている。

今日の世界では、シャイデルが平等化の最も有効なメカニズムであると人類歴史を分析してきた「四大要因」(四騎士)はどれも作用していないと、彼自身、見ていて、時代とともに人類は平和になってきているようだ。

人類が平和になってきて、平和化を強めている要因のひとつが人口の高齢化である。人口の高齢化は、暴力的紛争の可能性を全体として抑制するとみられている。

次に疫病の可能性についてですが、近代以前の感染爆発の規模に匹敵する厄災が発生すれば、世界で何億人もの死者が出るかもしれない。しかし、それはおおむね発展途上国に限られるかもしれない。

また兵器製造技術でスーパー細菌がつくられるかもしれないが、そのような物資をばらまこうとする発想を国家の首脳が抱くことがあるかどうか、まずありえないように思われるとシャイデルは見ている。

現代では、疫病による経済的影響で所得と富の不平等が平準化するまでになると見ることができるかどうかはわからない。インフルエンザは貧しい人々や国家に影響はあるものの、経済全般にはほとんど害がないように思われる。

現代において真に破壊的な疫病が世界中で何億もの人命を奪うとすれば、その時は、伝染病で疲弊した経済社会において、AIロボットが失われた労働者にとって変わるかもしれないということは幾分考えられよう。

結局、四騎士が消えつつあることで、将来の平等化の見込みは薄いという結論になるのだろうか。経済的平等性を願う者すべてが肝に銘じるべきことは、その願望が、悲嘆と衝撃的な出来事のなかでしか実現してこなかったという歴史的な事実かもしれない。

こういう見通しのような、見通しでないような曖昧な未来を、結論として残し、シャイデルは自身の言説を閉じている。

「平等というテーマは人類にとって難易度が高い」

そもそも、ウォルター・シャイデルが取り組んだ人類の不平等、格差という内容は、非常に、底が深く、人間性の本質に関わる哲学的要素を持っているために、単に経済問題という観点からのアプローチで片付くような問題ではない。

人間の持つ美点も汚点も、「平等概念」には、まとわりついており、さらに「自由概念」にも、メリットとデメリットが付随しているとするならば、「自由で平等な社会」と一口に言うのは簡単であるが、その実現のためには、途轍もない努力が必要である。真の自由、真の平等の定義が要求されるところである。

人間は、理想を夢見る。現実社会のあらゆる不条理を克服したいと願う。そのために、共産主義は、まさに「自由で平等な社会」を作るべく、革命による平等を実現したかに見えたが、結果は共産党貴族(ノーメンクラツーラ)による強権支配の新たな不平等社会を建設した。平等とは何か、自由とは何かを深く考える必要がある。

「シャイデルの問題提起は世界を揺るがした」

ウォルター・シャイデルは、不平等を是正してきた暴力的破壊には四つの種類があるとし、①大量動員戦争、②変革的革命、③国家の破綻、④致死的伝染病の大流行、この四つの巨大な衝撃力が、平等化の促進に貢献したと述べた。

一見すると、それらがなぜ格差是正、平等化に貢献するのか、理解しがたいといった印象が先立つのであるが、シャイデルの歴史分析に付き合うと、次第に、「なるほど」と否定できないような気分になる。

しかし、異論も多いことは承知の上で、シャイデルの問題提起がなぜ、世界的な論議を巻き起こしたのかと言えば、やはり、世界中の人々が「貧富の格差」「経済格差」「不平等」という現実が拡大するのを見ているからであり、その格差なるものを解決できる道はないのかと思考を巡らしているからである。

「20世紀の二度の大戦の意味」

シャイデルの考えによれば、聖書のヨハネ黙示録に登場する四騎士と同じく、平等化の四騎士は地上から平和を奪い取り、剣によって、飢餓によって、死によって、地上の獣によって人間を殺すために現れたと解釈するのである。

四騎士が現れた後、何億もの人々が非業の死を遂げ、混乱が収まるころには、持てる者と持たざる者の格差は縮んでいたと言うのであろう。

戦争によって所得と富の格差が是正されるためには、戦争が社会全体に浸透し、たいていは現代の国民国家でしか実現しない規模で人員と資源が動員される必要があったと、シャイデルは見た。2度の世界大戦が史上最大の平等化装置の例となったことも、これで説明がつくというのである。

産業的規模の戦争による物理的な破壊、没収的な課税、政府による経済への介入、インフレ、物品と資本の世界的な流れの遮断、その他さまざまな要因がすべて結びつくことによって、エリートの富は消え去り、資源は再分配された、そのようにみるわけである。

これらの要因は、類を見ないほど強力な触媒として機能し、平等化を進める政策転換を引き起こす。つまり、権利の拡大、労働組合の結成、社会保障制度の拡大などへ向けた力強い推進力を生み出したのである。

世界大戦の衝撃はいわゆる「大圧縮」をもたらし、あらゆる先進国で所得と富の不平等が大きく減少した。それは主として1914~1945年に集中的に起きたのであった。

こういうドラマティックな「戦争解釈」が、シャイデルの言う巨大な衝撃なくして「平等化」などというものは実現しないということだろう。不可抗力的な巨大衝撃の圧力があって初めて、人間世界の状況を変化させる要因を形成することができるのだという彼の論理の帰結が完成する。

いずれにせよ、ウォルター・シャイデルの『暴力と不平等の人類史』(2017年)は、賛否両論の的であるとは言え、「考えさせる」本であることに間違いない。

残念ながら、人類の目覚めや変革には、「悲惨な出来事」が必要だと思われる。人間は、余程、反省しない生き物であるのか。

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