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Twitterのトレンドから「食卓の常識」を考えた。

恐怖の料理番組

今は昔、我が家にまだテレビがあった時代。道行く若者(たしか圧倒的に大学生〜社会人くらいの女性が多かった気がする)に親子丼や茶碗蒸し、天ぷらなどの料理を作らせ、料理のできなさを晒し上げる番組があった。
それを見た当時小学生か中学生だった私は心の底から震え上がった。数年後道端でいきなり初見の材料を調理させられたらどうしよう。したり顔のテレビタレントや視聴者に嘲笑される自分が目に浮かび、脂汗がじわりと滲む。
女性たちの迷走っぷりを腹を抱えて爆笑して見ているタレントたちがとてもいやらしいものに見えたし、VTR後に得意げに「正解」を示す料理家も嫌いになった。
「料理ができないと晒し者になる」という恐怖はしばらく私につきまとっていたものの、幸いにしてその番組で扱われていた茶碗蒸しや天ぷらを作る機会に出くわしたことは、今のところない。

先日友だちとオンラインカレーパーティーをした際にその話をしたら「それ“平成の常識 やって!TRY”だよね」とあっさりと憎き番組名が判明した。
作れなくてもなにも困らないのに、なーにが「平成の常識」だ。
そりゃ作れるに越したことはないけれど、少なくとも我が家では「茶碗蒸し」や「天ぷら」など料理名がつく料理が食卓に並んだことは皆無に等しい。
実家で私の母が作る料理はたいてい具体的な料理名を持たない炒めものか煮ものだった。

実家から一人暮らしへ。移り変わる我が家の常識

だから我が家における常識は「炒めもの(醬油or塩orマヨネーズ味)」「煮もの(味噌or麺つゆorたまにトマト味)」、ほぼそれだけで完結していた。おそらく母に突然「茶碗蒸し作って」とリクエストしたら彼女はかなり当惑するだろうし、そんな母のご飯に満足していた私たちが茶碗蒸しや天ぷらを「常識」と呼ぶつもりはまったくない。

さらに言えば実家を出て自炊する機会が増えた今、私は日々自分の常識をアップデートしている。
親子丼はケチャップで味付けするし、ポテトサラダとは輪切りにしてレンチンしたじゃがいもにカレー粉とマヨネーズをぶっかけたものだし、卵かけご飯にはチューブのパクチーと桜エビを振りかける。
家庭の、あるいは個人の常識は、暮らしの中で塗り替えられていく。よそにはよそで培われてきた常識があり、うちにはうちで熟成された常識がある。それらは重なっていることもあるだろうし、離れていることもあるだろう。だからよその常識を尊重することなく自分の家の当たり前を当然のものとして他に持ち込むことには、「むっ?」と引っ掛かりを覚える。
それゆえ我が家に遊びにきた友だちが我が家では主流のチューペットを「2軍アイスじゃん(笑)」と貶したことを、私はいまだにうっすらと恨んではいるものの、表立って反論したことはない。彼女の家ではスーパーカップやモナ王こそが1軍アイスなのだろう。

そんなことを私に思い起こさせるきっかけになったのは、7月初めごろトレンドに入った食習慣関連のツイート2件だ。

#ポテトサラダ 論争

一つ目は、スーパーの惣菜売り場で「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」と高齢の男性が子連れの女性に嫌味を言ったのを目撃した人によるツイート。その老人がどうしようもなく時代錯誤な人物であるのは疑いようのないこととして、はたしてポテサラは「ポテトサラダくらい」と揶揄できるほど簡単な料理なのか否かと議論が巻き起こった。
印象的だったのは、「母親なら」に込められたジェンダーロールの強要への批判やポテサラ調理は簡単か否かという論議と共に(あるいはそれらを凌ぐ勢いで)「我が家の作り方を見て!」と自家製ポテトサラダのアピールも多く見られた点だ。
各家庭による作り方披露は「どう、楽ちんでしょう?」と結ぶ派と「ね、だからポテサラは手間なのよ」と結ぶ派とに分かれてはいるものの、基本的には「ポテサラは家ごとに違ってみんないい」的なゆるやかな空気のなかでの意見交換にみえた。

#食費2万円 論争

二つ目は、「子ども3人でも食費2万円台。節約上手のスーパーの回り方」という『ESSE』発の記事。コメント欄はもちろんTwitter上でも「#食費2万円」でこの記事を叩く人が大量発生。
コメントにざっと目を通したところ、「野菜が安すぎる!肉の安さも異常!そのスーパーおかしいんじゃない?」と語気強くそのスーパーの食品の安全性を疑う人と、「子どもにお腹いっぱい食べさせてあげてよ〜」とその人の子どもの気持ちをわざわざ代弁する人、「そんなに食費ケチって何が楽しいの?」「それより浮かせるべき金があるんじゃないの?そんなお洒落な格好して」と食費を削ることの是非を問う人、そして「五人家族の三食が2万なんて嘘だ」「一日666円なんて!」と記事の信ぴょう性を疑う人といくつかのパターンが見られたのだが、ひときわ目を引いたのは、
自分だって節約を頑張っているつもりなのに、家族から(主に夫から)もっと節約できるのではと勘違いされそう」という、この節約記事をロールモデルとして押し付けられるのではないかという恐怖を語る声だった。

「“スーパーの回り方”って言うけれどそのスーパーが安いだけやんけ」というタイトルへの指摘に納得し、5人家族で1日666円の生活がいかに困難であるかを説くツイートにさもありなんと頷く一方で、「そんなに世の夫というものは物価の相場を知らないものだろうか?」とむくむくと疑問が沸き上がってきた。
おそらく実家を出ていきなり結婚する人はかなり稀だろう。一人暮らし期間の長さや本人の関心にもよるだろうが、近所の物価の相場を知らずに生活している人がそれほど多いとも思えない。
私が仕事終わりに行くスーパーで半額のお惣菜に群がっている人々の男女比だって、さほど大きくはない。それは東京だからかしら。地方に行けばその比重は変わってくるのかもしれないけれど。
それでも、夫婦の食費感覚のズレをおそらく善意で節約術を紹介している主婦をぶっ叩く理由にすることに、どうしようもなく違和感を覚えた。

その節約主婦はスーパーに恵まれており、私たちの近所のスーパーでは肉や野菜は決して同じ値段では手に入らない。

それを夫に説明して引っ越すなり新店を開拓するなり諦めるなりすれば一件落着でないの?と気楽な独り身の私としては思ってしまうのだ。

そのまま話を私事にスライドすれば私は引っ越しの際、八百屋とディスカウントストアまでの距離と物価と営業時間を基軸に据えてアパートを選んだクチである。
定められた社宅がある人は別として、配偶者や子どもを持つ人が住処を定める時には、きっと職場や学校からの距離や道の広さ、耐震性や町の安全性そして近所のスーパーの物価など発狂せんばかりのチェックポイントと照らし合わせ、比較検討を重ねて今の住居を選んだことだろう。
その中でどれを優先しどれを諦めるかは、各家庭が家庭ごとの価値観でひとつひとつ選び抜いたものであるはず。
それなのに自分たちの選択を棚上げして隣の芝生にゴミを投げ入れるなんて、いったいどうしたんだい? と大仰に肩をすくめたくなってしまう。

ポテサラ問題においては「家によって違うよねー」と受容されていたことが#食費2万円になると「んなわけないでしょーが!」と燃え上がってしまうのは、一料理と一家の家計という重さの違いなのだろうか。
よそはよそ、うちはうち」とある程度割り切ってしまった方が自分の暮らしからより多くの幸せを見出せそうな気がするのだけれど。SNSから他人のキラキラした生活が垂れ流しに流されている今、それはそれほど難しいことなのだろうか。

1ヶ月あたりの食費を計算してみた。

さらに話をズラして恐縮だが「子ども3人でも食費2万円台。節約上手のスーパーの回り方」を読んだあと、自分の食費をこと細かに算出してみた。あまり贅沢しているつもりも、ケチりすぎているつもりもないのだけど、いったいいくら使っているのだろう。
平日は毎日同じものを食べているから、計算するのは簡単だ。

朝…白湯、ぬか漬け
昼…玄米塩むすび、ぬか漬け、味噌汁
夜…卵かけご飯or味噌ご飯、ぬか漬け、納豆、豆腐 、(気分によって味噌汁)

そこから1ヶ月あたりの食費を割り出すと、
玄米20合(4合炊き×5回)=1277円(八百屋さん)
納豆3パック×10=840円(スーパーS)
豆腐3パック×10=1010円(スーパーS)
卵10個入り×2=256円(ディスカウントストア)
野菜1500〜2000円(週に3〜500円分、八百屋さんか近所の玄関で購入)

合計4848〜5848円
これが基本的な平日の出費。
毎日同じものばかり食べて、エサみたいだねと笑われることもあるけれど、私自身はこの食サイクルを繰り返すことにけっこう満足している。同じきゅうりのぬか漬けでも、朝夕で味は変化する。その違いをしみじみと味わうのも、けっこう幸せな時間だ。

そしてほぼ毎週末、私はカレーを作る。カレー1回分の材料費は以下の通り。

トマト1つ 45円(3つ入り135円。八百屋さん)orトマトジュース 53円(ディスカウントストア)
玉ねぎ1つ 25円(4〜5つ100円。八百屋さん)
ほうれん草 25円(100円のコンビニの冷凍もの)
サバ缶 100円or鶏胸肉 142円(スーパーB)
チャパティ用強力粉 30円(1kg118円スーパーB)
生姜チューブ 25円(1本100円 ディスカウントストア)
乾燥にんにく 50円(一袋100円 スーパーS)
ターメリック、コリアンダー、チリペッパー、クミンは西葛西から引っ越す際にインド人店長からもらったので0円。

これらを足すと、合計300〜350円。
月5回作ったとして、1500〜1750円

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こうして算出された平日と休日の食費を合わせると、6348〜7598円になる。
実際にはこれに味噌やパクチーのチューブ、ビールに足しぬか、そして突発的に身体が欲するチューペットなど不定期の出費が加わるのだけれど、定期的にかかる食材費は基本的には以上である。

育ち盛りをとうに過ぎた単身女の、わりと単調な食生活でもこのくらいの費用はかかるのだ。「子ども3人でも食費2万円台」のすごさに改めて圧倒される。
まあ、だからといってこれ以上食費を削ろうとはまったく思わないのだけれど。
私の食生活を誰かに勧めようとも思わない。人によって食生活は違うし、食に求めるものも異なる。

毎日のようにUber eatsを呼びつける従姉妹と暮らしていた頃、「そんなに出来合いのものばかり食べていたら、いつか身体を崩すんじゃない?」とおせっかいを承知で口を出したことがある。
すると、
たとえ身体を壊そうとも、今猛烈に食べたいと思ったものを食べたいと思った瞬間に食べたいの。どうせいつかは身体なんて朽ちるんだから
となんとも清々しい答えが返ってきた。そのスタイルはバイトを始めた高校生の頃から変わらないという。彼女の食道楽ぶりがとても格好よいものに見えて、もう絶対に口は出すまいと誓った。

よそはよそ、うちはうち」。
私たちはこの世に生を受けてから今まで積み上げてきた一人ひとつの「常識」を抱えて、今日も食卓につく。

お読みいただきありがとうございました😆