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ふたりぼっちの「古代ローマ料理研究会」活動報告

大人になってよかったことの一つに、「テストのため、受験のための勉強ではなくて、遊びを深めるための勉強ができるようになったこと」がある。
高校生の頃は特に、世界史の資料集の魅惑に抗うことが苦痛で仕方なかった。受験勉強の間は仕方ないと、貪り読みたい欲望を押し殺して単調な年表や大統領の順番と功績を丸暗記したり。
本当はコラム「タヴェルナでは『食べるな』」(浜島書店『世界史詳覧』p27)や「ラクダが『砂漠の船』である理由」(同書p75)、「アウクスブルクの同職ギルド」(同書p130)を読み浸り、思う存分想像して遊びたかった。
成績からも合否からも解放され自分のためだけに学ぶ贅沢を知り、ようやくのびのびと勉強に専念できるようになったのは大学生以降のような気がする。
まだコロナのコの字も耳にしていなかった頃、私は世界史好きな大学の友人と二人で古代ローマ料理研究会と称して古代ローマ料理の課題図書を定め、それをもとに料理を再現することに興じていた。受験勉強から解放された、大人の遊びだ。

記念すべき第1回の課題図書はエウジェニア・S・P・リコッティ著『古代ローマの饗宴』(講談社学術文庫)。
メニューは「ガレノス風レンズ豆と押し麦のスープ」「茹で鶏のアピキウス風ソース添え」
ガレノス風やアピキウス風なんて書くと、いかにも歴史あるシャレオツなメニューに見える。しかし意気揚々とレシピをめくった我々はすぐに、古代ローマの味付けは、基本的にどの料理も塩&オリーブオイルorガルム(魚醤)なのだという事実を知った。
現代を生きる私たちにとっては、味薄いんじゃないかなぁ、単調なんじゃないかなぁ。そんな懸念がふつふつと湧き上がる。
……まぁ、味わうまでは何も言うまい。とりあえず調理にかかる。
ガルムの代わりに醤油を使い、肉に下味をつけ、「茹で鶏」というレシピ名をがん無視して焼いてみるなど、普段使いのしやすさやおいしさを優先してちょいちょいレシピから逸脱しながらも、ほぼ忠実に古代ローマメニューを再現した。
「ガレノス風レンズ豆と押し麦のスープ」に必要な調味料は塩、胡椒のみ
「茹で鶏のアピキウス風ソース添え」の「アピキウス風ソース」はもう少し凝っていて、赤ワインとワインビネガーと醤油(ガルム)を煮立てたものだ。茹でた(我々は焼いた)鶏肉にソースを絡めて供する。

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古代ローマ式に寝そべって食べようかと迷ったが、あまり床を汚したくないので結局普通にちゃぶ台を囲んで座った。
まずは「ガレノス風レンズ豆と押し麦のスープ」を、そっと一口。滋味に富んだ塩のうまみが広がる。意外や意外、かなりおいしい。押し麦をずっともぐもぐしていると、そうめんやうどんを食べているような風味が立ちのぼってくる。そういや、そうめんもうどんも麦だもんなぁ。
シンプルな味つけだからこそ素材の香りや食感にまで意識が向くような、じっくり飲めるスープだった。
とりあえず焼いたスーパーのピザの、辟易するほどの刺激の強さとは対照的だ。
焼いている時からいい匂いがしていた「茹で鶏のアピキウス風ソース添え」は、期待を裏切らない安心感のあるおいしさ。今でもレストランでメインを張っていてもおかしくない味だった。


味をしめた我々は、第2回ではハードルを少し上げてみることにした。
挑戦したのは「プラケンタ」
「ともあれカルタゴは滅ぶべきである」
と毎度カルタゴへの憎しみをあらわに演説を結んだことで知られる共和政ローマの政治家、カトーが好んだとされるチーズケーキだ。

材料はいたってシンプル。
小麦粉、セモリナ粉、リコッタチーズ、蜂蜜、月桂樹
以上。
いかにも質素倹約を是とするカトーが好みそうなケーキで材料が少ないのは嬉しかったが、作るのはなかなか骨の折れる作業だった。
まずは小麦粉とセモリナ粉それぞれに水を入れてひたすらこねる。
ちなみに小麦粉は外皮用、セモリナ粉は内皮として、ミルフィーユのような層を形成する用である。
外皮となる小麦生地は直径45センチにまで伸ばす。これがとにかく根気のいる作業なのだ。カトーたちはよっぽど暇だったのだろうか。あるいは、生地伸ばし専門の奴隷でもいたのだろうか。
ていうかこの料理本の作者は、自分の書いたレシピ通りに作ってみたことはあるのだろうか。小麦粉120グラムに対して水大さじ2杯では、まったくまとまる気配がないんですけど!?

毒づきながら力の限り生地を押し伸ばしていたら、ようやく45センチに到達した。いよいよチーズのお出ましだ。
小麦生地の真ん中にチーズと蜂蜜を混ぜたクリームとセモリナ生地を塗っては重ね塗っては重ね、6層の小山を作っていく。それが済んだらこの小山を覆うように小麦生地をパタパタと折りたたんで六角形にし、オーブンで45分。

焼き上がりが近づくにつれ、不安と期待が高まっていく。こんなに頑張っておいしくなかったら悲しすぎる。だがしかし、レシピの提供者カトーはキャベツ礼賛者としても有名だ。結局皮のごわごわした、いかにも健康そうな味のケーキになってしまったらどうしよう。
別に健康なことは悪いことではないのだけれど、「健康なケーキ」はなんだかおいしくなさそうな雰囲気がある。

友人と本の話をして気を紛らわせつつ、時折そわそわとオーブンを覗いて45分が経つのを待つ。
ついに「チン」とオーブンが焼き上がりを知らせた。
恐る恐るオーブンを開くと、こんがりと焼きあがったプラケンタは予想外においしそうだった。

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写真の撮り方のせいか小ぶりのパンみたいに見えるけれど、実物は高さ・面積ともにかなりボリューミー。カトー曰く6人前だし。
4等分に切るとカリカリの外皮が香ばしい香りを放ち、リコッタチーズとセモリナ粉の層は、ふるふると柔らかく揺れる。
「カトーにしてはおいしそうじゃん」
「見るからに豪華だよね。カトーのくせに」
とカトーらしからぬ見栄えの華やかさを称えつつ、アツアツのうちにかじりつく。

……やはり、カトーはカトーだった。
味が……薄い?
ていうか、味しなくない?

せっかく340グラムも入れたリコッタチーズ100グラム近く入れた蜂蜜も、味も香りも感じられない。焼く前のクリームは素朴なレアチーズケーキみたいでとてもおいしかったのに。
……おかしいな。
「結局カトーらしい感じだね」
「期待を裏切らない男だな、カトー」

とブレないカトーに感心しつつも念のためレシピを再読。すると

「蜂蜜100グラムを温めてケーキの上からかけ、10分ほどおき、蜂蜜が浸み込んだら温かいうちに供する」

と最後の一行が。
嘘でしょう? そんなことしたらもはや蜂蜜の味しかしないじゃん! 最初から蜂蜜ケーキって名前にしとけよ! と散々悪態をつきつつもレシピ通りに蜂蜜をかけると、不思議なことにチーズの風味も舞い戻ってきた。おいしい。カトーにしてはイケてるし。
でも、再び作る気力はないかなぁ。腕が痛い。

この日の課題図書は以下の3冊。
上田和子(著)『おいしい古代ローマ物語ーーアピキウスの料理帖』(原書房)
金森誠也(監修)『一日古代ローマ人』(PHP文庫)
アピキウス(原典)千石玲子(訳)『古代ローマの調理ノート』(小学館)

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上記2冊のタイトルに入っているアピキウスは、帝政ローマ期を生きたグルメな料理人の名前だ。天性の美食家であり、贅を尽くした彼は「お腹が減って死ぬのは怖い」と言って自ら毒を飲んで最期を迎えたのだそう。『農業論』を著し勤勉に独自の健康食(かなりまずそう)を貫いたカトー同様、極端な人だ。

この3冊および他の古代ローマの料理を紹介した本に共通していえる難点は、写真がないこと。クックパッドやレシピ本に慣れてしまった我々にとって、どんなものができるのか想像もつかないまま調理することは非常におもしろ怖い。
そして、できた料理が正解か否かもわからないまま「これが古代ローマの味?」と慎重に味わってみるのもおもしろ怖い。まあ、楽しいっちゃ楽しいのだけれども。

カトーがあれほど滅ぼしたがっていたカルタゴは、もうない。古代ローマを生きた人たちも、もういない。
私たちが時代も国も異なる人たちの日常を想像し、カトーを笑ったりアピキウスの死に様に「そりゃないよぉぉ!ちょっと気持ちわかるけどさぁ……」と驚愕したり共感したりできるのは、己の暮らしを詳細に書き記してきた古代ローマ人やそれを読み解いて研究してきた研究者、遺跡の発掘者、そしてその成果を訳した翻訳者などなど、本当に多くの人の努力や奇跡の積み重ねによるものだ。
その僥倖を噛み締めつつ、心してページをめくり、彼らの生涯に思いを馳せよう。

お読みいただきありがとうございました😆