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非同棲カップルにおける、おうちデート問題

自動車教習所に通っていた頃、教習車からその日のトップニュースを摂取していた。おしゃべり好きな教官が何人もいて、みな同じ話題をこちらに振ってくるからだ。

女優とお笑い芸人の結婚、芸能人の浮気にラグビー。彼らは一様に同じニュースを取り上げるのに、それに対する感想は皆それぞれ異なっているのが興味深くて、ニュース自体よりも彼らの見解を聞くのを心待ちにしていた。

だから私は、序盤に語られるニュースのあらすじに辟易しつつ、後に披露されるであろう教官たちの考えを聞きたいがためにいつも辛抱強く相槌を打っていた。
けれど、その日は事情が少し異なっていた。教習時間が残り4分の1ほどしか残っていない状態で、「山ちゃんとあおいちゃんってさぁ!」とハイテンションに教官が口火を切ったのだ。

このままでは耳にタコができるほど聞いたビッグカップルの結婚話のあらましを聞いたところで教習時間が終わってしまう。そしてその後に語られるはずだった教官自身の感慨を聞き逃してしまう!

時計を盗み見て焦った私は、「山ちゃんとあおいちゃんもめでたいですけど、教官はどうして結婚しようと思ったのですか?」と素早く話題を彼個人の話にすり替えた。
嬉々として話題のカップルの馴れ初めを語ろうとしていたであろう教官は唐突に自分に水を向けられあからさまに呆気にとられた顔をした。そして、呆気にとられた人特有の素直さで 「彼女の家が遠かったから、通うの疲れちゃって」と身もふたもない理由を真顔で返してくれた。


通うのに疲れたから結婚。


あまりにも枯れた理由であるため、奥さんにはとても言えないそう。たしかに自分が奥さんの立場だったら、このプロポーズの真相は墓までもっていってほしいような気もする。

非同棲カップルにおける通い問題は、カップル間のバランスに甚大な影響をもたらす非常に慎重に扱わなければならない問題である。
授業中に延々と読まされた古典界の待つ女たちのドロドロした恨み節にみられるように、このテの問題は古から脈々と厄介。
どちらかが待つことが多く、どちらかが行くことの方が多い。
その一方的な逢瀬はどちらかに、あるいは両者の胸中に、モヤっとした不満を抱かせることになる。

かくいう私も、もちろんその宿命から逃れられない一人だ。

そういえば、君はもうこの家までの定期はないんだなぁ

そう呑気に呟いた彼氏に不穏なモヤモヤを感じたのはつい先日のこと。
大学付近に住む彼の家に、通い続けて早4年。大学を卒業し、職を得て実家を出て、その後限りなく千葉に近い東京に移り住んでも、私は今までの習性に何の疑問も抱くことなく……否、疑問を抱かないよう交通費のことを意識から入念に排除しながら都の西北まで足繁く通っていた。
お賽銭の5円を出費として、道端で拾った1円を収入としてほくほくと家計簿アプリに入力するハイパーケチな私が、交通費に関しては全身全霊で見ないふりを決め込んで「Suicaチャージ1000円」とあえてざっくり記入していたのは、「“お金と恋人”について考えるのは危険」と直感していたからに他ならない。

もちろん遊びに来られる方だってストレスは溜まる。部屋の片付けとか掃除とか来客によって奪われるスペースとか、物理的にも心理的にも、なんらかの負担がかかってしまうことは免れない。
ただ、改札を抜ける度に減ってゆくSuicaの残高はダイレクトに視覚に訴えかけてくる分、上記のストレスよりも残酷なまでに気持ちを揺さぶってくるのだ。
彼の家までの交通費と箱パルムの値段がほぼイコールである事実が、彼宅でのデートと箱パルムを同じ天秤に乗せようとしてくる。

戦闘系RPGゲームに興じる彼の後頭部を見つめながら、突然鏡に向かって顎髭を抜き始めた彼をぼーっと椅子に腰掛けて待ちながら、サラダ菜をちぎる彼の横で沸騰した湯にスパゲティを広げながら。

特別な口実がなくてもこうして会えて(箱パルム320円)、ぼうっと時間を過ごして(箱パルム320円)、それを幸せと思えるなんて(箱パルム320円)。めちゃくちゃ幸せじゃないか。

……黙れ、箱パルム


この時間は、箱パルムに比べて高いか安いか? なんて考え出したら止まらなくなってしまう自分のケチな醜さが嫌で嫌で、悲しくてたまらなかった。
今までは幸福だと思っていたこの薄らぼんやりした平和な休日が、彼の一言を機に急速に箱パルムに侵食され、押し流されようとしていた。

愛だ幸せだプライスレスだと言ったところで脳内の箱パルムコールを黙らせることはもはや不可能。

堪らず彼に「箱パルムの後ろめたさから逃れるために、これからは定期外の分は歩きます!!」と宣言した。
「マジ〜? これから夏なのに?」と彼は目を丸くしていた。

気にしてほしいのはそこじゃねえんだ、とも言えず、「箱パルムって何?ダイエットでもするつもり?」と不思議そうな彼に弱々しく笑顔を返した。
いったい、他のカップルはどうしているのだろう。非同棲カップルにおける通い問題が、今とても気になっている。

「いくら好きとはいえ、通い続けるのもなかなか大変よね〜」と友だちに言ったら「そこは徒歩宣言じゃなくて同棲を提案すべきところだったんじゃない?」とまっすぐな真顔で返ってきた。
え、そうなの?
こうして私たちはすれ違い続ける。

お読みいただきありがとうございました😆