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「エモい」にはついていけないけれど。

高校卒業後からずっと文通をしている友だちとオンライン飲み会をしていたところ、最近はやりの形容詞「エモい」をめぐって盛り上がった。「エモーショナル」を形容詞化した、感情が動いた時に使う言葉らしい。
だからこの言葉をもってすれば、「泣ける文章」「懐かしい写真」「共感を呼ぶ歌詞」、このすべてが「エモい」の一言で片づく、らしい。「らしい」というのは私がすでにその言葉を使うには違和感を覚えるほど自分の用いる語彙が凝り固まってしまっているからで、私自身は使ったことがないからだ。
感情が動かされたと感じた時、咄嗟に「エモい」が口をついて出てくる感覚をいまだにまったく掴めていないし、掴める兆しすらない。

汎用性の高さにおいて「エモい」に通じるものがあるのは、やはり「やばい」だろう。
よくても「やばい」、悪くても「やばい」、そして確認・念押しの「やばくない?」。
私たちが「超やばい〜」とパンダを囲み、「まじヤバイっす」と先輩に助けを求め、おんなじ本を読んだ友だちと「これやばくなかった?」と盛り上がっていた時、「なんでもやばいで片づけるな」と年配の先生方は眉をひそめていた。

ちょいと言い訳をしておくと「やばい」を使い始めたのは私たちではない。私たちが生まれたのとほとんど同時の1995年に刊行された吉田戦車と川崎ぶらによる『たのもしき日本語』という日本語をゆるく検証する書籍内でも「やばい」はすでに熱く言及されていた。少なくとも25年以上の歴史を持つ言葉なのだ。
手持ちの『新明解国語辞典 第五版』(1997年発行)には「[もと、犯罪者や非行少年などの社会での隠語]①警察につかまりそうで(の手が回っていて)危険だ。②不結果を招きそうで、まずい」と説明されている。第五版が刊行された1997年ごろには今とは違い、主に悪しき意味として特定の人が使っていたのかもしれない。

今は生まれたてホヤホヤの「エモい」も、いつか日常的に聞こえるようになり、日本語として辞書に載る日が来るかもしれない。とはいえ、脊髄反射的に出てくる「やばい」に対して、「エモい」はもっと深いところから出てほしいと願ってしまう自分がいる。だって、「エモーショナル」だぜ。言うなれば「もののあはれ」とも変換可能な深みある言葉である、はずだ。それを「をかし」的なノリで「超エモい!」と安っぽく頻発するんじゃあないよ。これこそが我々の神経を逆なでしている原因だろう。と勝手に推測する。
まあ、知らんけど。

でも、言葉を作ることの楽しさは、何物にも代えがたいものだ。その言葉が思いがけない広がりをみせると、さらに嬉しい。
中学生の頃、私たちは「モルダう」という動詞を作り、好んで使っていた時期があった。
音楽の授業で聴いた「モルダウ」が仲間内でバカ受けに受けて、日本語の歌詞があるらしいと誰かが見つけてきてからさらに盛り上がって、「ボヘミアの川よ〜モールダーウよ〜 過ぎし日のごと〜 今もなお〜♪」というフレーズが頭から離れなくなって、ついつい歌ってしまう時代があった。


「好きだった缶ジュースが商品入れ替えに伴って消えてしまった」
「ブックオフで100円の棚にあった本をレジに持って行ったら値札は500円だった」
「先輩が彼氏と帰っていたから気を使って声をかけなかったのに、後日呼び出されてめっちゃ怒られた」

そんな小梅太夫感溢れるとほほ感に満ちたやるせないことを聞いたときに、誰かが悲劇の当事者に「モルダう?」と聞くのだ。
当事者が頷けば、私たちは「ボヘミアの川よ〜モールダーウよ〜」と歌う。左右に身体を揺らしながら。悲しみにかき乱された心をなだめるための、鎮魂の儀式であった。
今となってはなんて馬鹿だったんだろうとも思うが、当時の私たちには「モルダう」はたしかに必要だった、と思う。
そのくらい世の中はやるせないことに満ちていたし、傷つきやすい私たちはそのやるせなさを共有しなくてはやってられなかったし、やるせなさを共有するためには、「モルダウ」が必要不可欠だった。

結局私たちの「モルダう」は、クラスの垣根を越えることはなく、ごくごく身内のブームに留まった。もしかしたら仲間内でも、今でも覚えているのは私くらいかもしれない。
卒業後「モルダってほしい」状況はあれから何度もあったけれど、私のためにモルダウを歌ってくれる人はもういない。
だから私は、今日も一人モルダウを歌っている。誰か唱和してくれたら、とても嬉しい。
ちなみにヘッダーの画像はモルダウではなくガンジス川である。いつか行ってみたいなぁ、モルダウ。

お読みいただきありがとうございました😆