見出し画像

振り返ればサバがいる

小川糸著『キラキラ共和国』を読んだら不穏な動悸に襲われて、高校時代からつけていた日記を奪還しに実家へと急いだ。
『キラキラ共和国』は『ツバキ文具店』の続編。前作同様、代書屋として丁寧に顧客に寄り添い文具を選び言葉を紡ぐ主人公、鳩子の姿勢に感動し、彼女たちの築く新しい家庭に考えさせられていたのだけれど。

画像1



展開的にその選択しかないとはいえ、鳩子が結婚相手の前妻の日記を読むシーンにドン引きしてしまったのだ。
こうなるともう鳩子の語りに耳を傾けている場合ではない。
私が彼女と同じ立場にいたとして、故人の日記を読まずにいられる自信は、正直ない。
けれど自分が前妻だったとして、日記を自分の死後人に読まれたりしたら、成仏どころの話ではない。 居ても立っても居られず、小田急線に飛び乗った。

時すでに遅し、母は私が小学生の頃の日記にすでに目を通していた。
紙に埋もれかけた家から少しでも家らしさを取り戻すべく、我が家にはびこる膨大な紙束を検分した後だったのだ。
全身を緊張させながらあくまでもさりげなく日記を持ち去ろうと帰省した私に「びっくりするくらい毎日飽きもせずカメと猫のこと書いてたけど、これどうする?」と母はさらりと言ってのけた。

えっ。小学生の時の日記、読んだの?

彼女の言葉に内心かなりの衝撃を食らい、そのまま海へとひた走り今まで書きなぐってきたすべての日記を荒れ狂う波に還してしまいたくなったものの、読まれたのが小学生の頃の絵日記でまだよかったと踏みとどまる。
中、高校生からはそうはいかない。さすがにそのゾーンには、母も手をつけていないようだった。

いくら家族とはいえ、他人は他人だ。
友だちとの内緒話や、とても表には出せないどす黒い感情がはち切れんばかりに詰まった恥の塊を、自分以外の人間には断じて見せるわけにはいかない。
そう改めて決意した私はエコバック2袋にこれまで書いた日記を全部詰め、埼玉のアパートへと逃げ戻った。

私のつけている日記には二種類ある。
一つは高校生の頃からほぼ毎日つけている、おもしろいことがあってもなくても、ちょちょっと書き留めておく淡々とした記録的な日記。
もう一つは「これはもう書かねばならぬ!」と勢い込んで書く、感情スパークリング祭り的な一日につき大学ノート3ページを費やす日記である。
スパークリング日記は濃密な悲喜こもごもが詰まった取扱注意物として、ちゃんと実家を出る時から手元に置いていた。

問題なのは淡々としているはずの日刊ダイアリーだ。いつか読み返すことを想定して書かれているスパークリング日記とは異なり、習慣としてつけているからこそ日頃自分では意識していないものがそのまま文字として現れ出てしまっているような、底知れぬ怖さがこの日記にはある。

誰に見せるともなく読み返すこともなく綴るだけ綴ってきたむくつけき黒歴史を、日付順に恐る恐るめくってみる。
すると今までまったく意識したことのない自分の性質が徐々に浮き彫りになってゆく。

阿呆かつ怠惰。
日々の端々に現れる自分の性格はまあ予想通りとして、意外に感じたのはある特定の魚類に対するこだわりだった。


サバが食卓に上った日、必ず「サバが出た!」と小躍りせんばかりに書いているのだ。
「合奏めっちゃ怒られた。夕飯はサバの塩焼きだった」(高校生)
「つい友だちとしゃべっちゃって英語はかどらず。でも帰ったらおじさんが釣ったサバが待ってた!ハッピ〜♡」(浪人生)
「明日はバイトだぁ…。シメサバ美味」(大学生)

我が家の夕餉には、肉と魚が交互に出てくる。だから日記に食べたものを正確に記していれば「月曜は鶏、火曜はシャケ、水曜は豚、木曜しらす、金曜は鶏、土曜にサバ!日曜は…」と循環しているはずなのに。
私が嗜好に偏った書き方をしているせいで、我が家の食習慣を知らない人がこの日記を読んだら二週間おきにしか動物性たんぱく質(しかもサバオンリー!)が出ない家だと勘違いしてしまうだろう。

恐ろしいことに私のサバ好きは、家の中だけにとどまらなかった。
彼氏宅でのデートの日も、「彼邸にてサバ焼く」とだけ記されていた。
恐るべきサバへの執着。
サバを焼く以外にも何かしてたでしょうに。ゲームとかおしゃべりとかもっと心弾むようなことを。
それらすべてを差し置いて私が日記に書いたのは、サバ
自分がこれほどサバ好きだったなんて知らなかった。これまでプロフィール等に好きな食べものを書くとき、インドカレーやぬか漬けと書いてきたけれど、これからはサバを筆頭に掲げるべきかもしれない。

そんなことをつらつら考えながらも、私は己がサバ好きであることを知るために毎日日記をつけてきたわけではないのにと無性に悲しくなってきた。
人様にはとても見せられない、けれど唯一の読者である自分もめったに開かない日記。
日記をつけ続ける意味って何だろう。改めて考えてみても納得のいく答えは出ない。
長年日記をつけ続けてきたことによって得た成果が「思っていたより私はサバ好きらしい」だからだ。

そういえば、日記の書き方を人に教わった覚えがない。
学校に提出することを前提に書く宿題の絵日記とは異なり、自分のためだけに書く日記。
人によって書く内容も書き方も違うのだろうと思うと、みんなの日記がにわかに気になりだす。
私の身近では母がずっと連用日記を書いている。彼女の日記には朝昼晩食べたものが欠かさず書かれているようで、時折「一昨年の今日もカレー食べてるよ」などと言う。そんな話を聞くと私のサバとあまり変わらないなと笑ってしまうけれど、日記の意味なんてそんなものなのかもしれない。
自分が死ぬ前には確実に処分しなくてはならない、けれど死ぬまで大したことのない記憶を後生大事に手元においておくためのツール。
今日も私はペンを執って、そんな厄介な代物と向かい合う。

お読みいただきありがとうございました😆