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こうして私たちは、猫好きになった。

寒くなってくると、猫が恋しくなる。

顔を埋めるとお日様の香りがする、あの柔らかな腹!
ビロードのような手触りの耳!
膝の上で香箱を組んだ時の、こんもりと盛り上がったお尻!

ひや〜、恋しい。あああ、愛しい。
猫の柔らかさ、あたたかさを思うと、猫のいないアパートの寒さがいっそう身にしみる。
職場のパソコンのメイン画面を実家の猫に設定してしまうともう重症で、頭の中は猫一色。

昔「脳内メーカー」という、名前を入れると「あなたの頭の大半を占めているのは金」などとおもしろおかしく診断してくれるサイトが流行ったけれど、今の私の脳内は9割以上を猫に占領されていると思う。


我が家に猫がやってきた

今でこそ猫好きを公言して憚らない私だが、小学四年生だった2004年まで、特に猫好きではなかった。
犬派か猫派かと同級生から聞かれるたびに、「私は亀派なの」と答えていた。
道で猫に遭遇した時に「きゃー、猫ちゃん!こんにちにゃ〜♪」などと猫なで声でにじり寄る友を見て、「こわ」と密かに引いていた。

そんな私の家に猫がやってきたのは、まったくの偶然だった。
放課後に神社で基地を作って遊んでいた私たちのところに、クラスのきくち君というおっとりした男の子が助けを求めてきたのだ。
捨てられた子猫を拾ったものの、彼の家では飼うことができそうもない。誰か飼ってくれる人を探すか、私たちの誰かが飼えないかと彼は必死の面持ちで言った。
彼が自転車のカゴからそっと取り出した汚い毛布をおそるおそるめくると、目ヤニがぎっしりこびりついた、ところどころ毛の抜けた痛ましい子猫が現れた。
それまで私は、近所で飼われている成猫や道で見かける野良猫など、わりと毛並みのしっかりした、自立した猫しか見たことがなかった。
こんなに弱々しい子猫の姿を見たのは、生まれて初めてだ。
私たちはきくち君のただならぬ勢いに押されて、毛布ごと子猫を預かった。

里親探しなんて、ドラマみたい!
私たちは意気揚々と、里親探しを始めることにした。
子猫は私の自転車のカゴに慎重に降ろされ、私はなるべく自転車を揺らさないように気をつけながらみんなの後ろを漕いだ。
きっとすぐに誰かしら貰い手は現れるはずだと、私たちは楽観的に考えていた。
しかし、現実はそう甘くはない。
神社の近くに住んでいる顔見知りのおばさんの家や知らない家のインターホンを片っ端から鳴らしたものの、見事に全滅。
今振り返れば突然猫を飼えと迫ってきた小学生によくみんなきちんと対応してくれたものだと伏して御礼申し上げたいところだが、当時の私らは「大人ってなんて冷たいんだろう!」と天を仰いだ。

何軒も回ってヘトヘトになった夕方、もはや私たちには「メンバーの誰かが飼う」という選択肢しか残されていないことを悟った。
誰からともなく、「うちは犬がいるから…」「私んちはアパートだし…」「お父さんが猫アレルギーなの」と口々に猫を飼えない理由を言い始めた。
私の家は一軒家で、ペットは亀が4匹と金魚がいるだけ。父も母も実家で犬を飼っていたから、ともに犬派ではあるのだけれど、それはこの猫を飼えない理由にはならないだろう。
薄々覚悟を決めつつあった時に、友だちのいーちゃんが突然私の弟のメモ帳を奪った。
猫飼わないと、このメモ返さないよ!
当時肌身離さずメモを持ち歩き、少年探偵団を気取っていた小生意気な幼稚園児の弟は、「猫飼いますからメモを返して」と半べそで訴えた。

かくして我が家に、猫がきた。
その日のうちに死んじゃうかと思った」とのちに母が語るほど、子猫は今にも死んでしまいそうなほど衰弱していた。
しかし子猫はなんとか一晩を生き抜き、翌日母に動物病院に連れて行ってもらうと、徐々に回復していった。
生命の危機が去ったあと、母は猫を飼っている友人に子猫のことを相談し、毛を洗ってもらった。

目ヤニが取れ、心ない人間に切られたヒゲも伸びてきた頃。
雌であるにもかかわらず「ねこすけ」と名付けられた子猫は、見違えるような美猫になった。
美猫なだけではなく、運動神経もよかった。すばしこく走り回り、水槽の置かれた高い棚にも軽々飛び乗り金魚を狙った。
自分のことを人間だと思っているらしく、近所の猫がどんなに色目を使っても目もくれなかった。
布団に入るときはいつも足元側から静かに潜り込んでくる、律儀さもあった。
こちらがベタベタ構うとするりと逃げてしまったが、落ち込んでいる時にはそっと身を寄せてくれた。
美しく、賢く、気高い猫だった。
私たちはもう完全に、家族だった。

しかしねこすけは、白血病を患い闘病の末に一年半くらいで世を去った。
どんどん痩せていくのも、大儀そうに身を起こすのも、見ていられなかった。
ほとんど外に出したことはなかったのに、死んでしまう日に外に出せとドアの前で鳴いた。
猫は死期を悟ると姿を消したがるというけれど、それは本当のことなのだ。
外に出たがるねこすけに謝りながら、私たちは和室で彼女を看取った。ねこすけが旅立つ直前、「辛かったらオラの指を噛んでいいよ」と彼女の顔の前に指を出した弟は、思い切り噛まれて指を血だらけにしていた。

星野博美 著『戸越銀座でつかまえて』

星野博美さんの『戸越銀座でつかまえて』を読んで、そんな昔のことがまざまざと思い出された。

実家に戻ってきた星野さんの、戸越銀座ライフ。
あいかわらずの深い洞察と軽妙なツッコミが冴える星野節に唸ったりニヤニヤしたりしながら読み進めていたら、第4章「そこにはいつも、猫がいた」が猫好きにはとても耐えられない、号泣必至の物語だったのだ。
星野さんの文章の特徴である気性の激しさと自分を突き放して見る冷静な眼差しのバランスは、愛猫の死により情熱側へと一気に傾く。
星野さんが24時間看護態勢を決断した勇気に胸が震え、ついに愛猫ゆきが旅立ってゆくところは息を詰めて読んだ。

ゆきを亡くした後の日記も引用されているのだが、それがもう、活字がぼやけて読めないほど痛く切ない。

「ゆで卵を食べた。ゆきは一〇分三〇秒の黄身が好きだった。それ以上ゆでると食べなかった」
「母がゆきの夢を見始めた。私はもちろん見ている。今日はゆきを抱いて走っていた」
「姉が電話をくれた。ゆきの夢を見たそうだ」
「父はゆきの夢を見ない!」
「ゆきゆきゆきゆきゆきゆき…」
「シュークリームシュークリームシュークリームシュークリーム…」
「今年初めての雪が降った。ゆき!」
「星野雪星野雪星野雪星野雪星野雪…」

ゆで卵を食べても、シュークリームを見ても、雪が降っても、そして眠りに落ちても、行き着く先は、ゆき

電車の中で涙と鼻水を押さえながら、わかるわかると頷いた。
そして、それほど遠くはない未来の、彼女と同じ辛さに押しつぶされる日を想像して、胸を押さえた。

二匹目の猫、ちゃすもと

現在私の実家には、ちゃすもとという二匹目の猫がいる。
私が小学六年生の時に父が同僚からもらってきてから、もう14年になる。
元捨て猫だったこともあってか非常にがめつい性格で、餌皿を両前足で囲って唸りながら食べていた。
腹が減ると容赦なく腕や足に噛みついてくる獰猛な猫だったため、家に来たときは手のひらに乗るような大きさだったのに、あっという間に10キロ近い肥満体になった。

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幸いにして身体が丸くなるにつれて性格も丸くなっていったが、半年ほど前に肥満と加齢による糖尿病が発覚した。
半年前といえば今以上に新型コロナウイルスに対する恐怖が蔓延していて、県をまたいだ移動なぞしようものなら厳しく糾弾されていた頃だ。


それでも私は、会社がテレワークを推奨し始めた機に乗じて実家に帰った。
もし私がコロナに感染していてクラスターを引き起こしてしまったら、大顰蹙きわまりない。
そんな不安もなくはなかったが、ちゃすもとの命には代えられない。

星野さんのように仕事を投げ打つことまではできないものの、私の仕事への熱意や社会規範はちゃすもとのはるか下にあるのだと確認して、なんだかホッとしてしまった。


久しぶりに会うちゃすもとは少しやつれて見えたものの、命に別状はないと聞いて胸をなでおろした。
薬を飲みつつ、シニア向けの餌に切り替えてしばらく経つと、体調はかなりよくなっていった。
とはいえ14歳といえばなかなかの高齢。
私の方が先に死んでしまう可能性もなくはないけれど、一般的には犬猫の方が寿命は短い。
まだまだ別れの時を覚悟することはできそうにはないけれど。
ちゃすもとの姿を、手触りを、目に、手に、刻みつけておかねば。
決意を胸に実家に帰り、私はちゃすもとの腹に顔をうずめた。

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