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ようこそ、カルシファー

引っ越しから早1ヶ月、満を持してコンロを買いに行った。春とは思えない寒波のぶり返しにやられて、鍋でも食べなくてはやってられない気分だったからだ。

私の新居は小高い丘の上にある、木造ワンルームだ。二階建てのアパートには、私を含めて6人しか住んでいない。

ここの住人たちは丘を下って駅前あたりに行くことを「町に下りる」と呼んでいる。

駅までは自転車でせいぜい15分くらいだから少し(いやかなり)大げさな言い方ではあるが、徒歩や自転車では息が上がってしまう高さの丘の上に暮らすことが、住人たちに謎の孤高感を共有させているらしい。

隣室の生活音や歌声が筒抜けであることや洗濯機を回しただけで部屋全体がブルブル震えてしまうことに目をつぶれば、いかにもジブリ的な、丁寧な暮らしが営めそうな家ではある。
そんな家に越してきたからには、ちゃんと自炊をしよう。そう思っていたのについ面倒くささに負けて、加熱調理は電子レンジと炊飯器のみで済ませてしまっていた。

けれど。今日こそはコンロを買ったるのだ。絶対に。

決意をたぎらせながら自転車置き場から自転車を引っぱり出し、時々仕事帰りにコッソリと覗き見をしていたリサイクルショップへと向かった。
真っ直ぐにコンロコーナーへ向かうと「未使用品」とマジックで書かれた札のついた15000円のRinnaiのコンロの下に、「中古品」と貼られた10800円のものがあった。

安い! これで決まりだ。

コンロ前にウンコ座りして値札を見ていた私のところへ、私と同い年かやや年下くらいに見える店員さんが近づいてくる。
彼女は満面の笑みで「ついにコンロを買いにきたんですかぁ?」と声をかけてきた。
まさか私がコンロウォッチャーであることがバレていたとは。ていうか「ついに」って何⁉︎ いつから私のこと見てたの⁉︎
はい!ついにコンロを買いにきました!

猛然と湧き上がる恥ずかしさをなんとか押し殺すために、つい無意味に声を張って復唱してしまった。
うふふ、と笑いながらコンロの値札を剥がし、レジに値段を打ち込み始める店員さん。彼女は笑顔のまま、衝撃的なことを言った。

お姉さん、うちのお姉ちゃんにすごく顔がそっくりなんですよー。背格好も一緒だから来るたびにハッとしちゃって

マジか。
職場に姉に似た顔の女が週2でコンロを見にくる。しかも買わない。
彼女は笑って話しているけれど、自分だったらかなり嫌だ。
もし私が彼女だったら、「お姉ちゃんに似た人、今日もコンロ買わなかったよ。貧しいのかな」などと食卓で絶対ネタにしてしまう。
店員さんにとっても、店員さんのお姉さんにとっても、なんだかいたたまれない気持ちになりそうだ。


「なかなか踏ん切りがつかなくてごめんなさい……」
と長座体前屈並みに身体を折って謝ると、
「いいんですいいんです、『お姉ちゃんもああいう服着たらいいのになー』とか『その顔お姉ちゃんも時々やってる!』とか、見てて楽しかったですし!」
と彼女は鷹揚に手を振った。そしてコンロを持ち上げると、予想以上に重かったのか少し顔をしかめた。


「これ意外と重いんですけど、どうやっておうちまで持って帰ります? ご自宅まで1000円で配達しますけど
心が揺らいだ。
もともと15000円を支払うつもりだったことを考えれば、1000円くらい払ってもいいじゃないか。ここから家まで2回、きつい坂を登らなきゃならないし。
そう心の中の悪魔が囁いた。

だが、しかし。
配達をおこなってくれるのも、その店員さんのようだった。彼女のエプロンから、軍手と車の鍵らしきものが飛び出している。
もし彼女がこのコンロを配達してくれたら。コンロを持って我がアパートを見上げ、
げ、お姉ちゃんに顔が似た人の住処、いかにも築40年じゃん。しかも木造かよ
とドン引きするに違いない。


やめだやめだ。自力で持って帰ろう。
私は別にいいとしても、私に顔が似ているという店員さんのお姉さんへのダメージがデカすぎる。
チャリに積んで帰る旨を伝えたら、店員さんは快くコンロをプチプチで包み、チャリカゴにビニール紐で固定してくれた。そして自転車を押して坂を登る私に「また来てくださいねぇ〜、ていうか今度うちのお姉ちゃん見てくださいねぇ」と見送ってくれた。


微妙な曇天のもとコンロを乗せて自転車を引き、坂を登りそして下り、また登ったらじんわりと汗をかいた。
疲れた。
そうして歩くこと30分、ようやく私はコンロを連れて築40年木造アパートに帰ってきた。

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ついにコンロが我が家に!と小躍りして家族に自慢する用の写真を撮っていたところで、はたと新たな問題に気がついた。
ハサミなしには、コンロを自転車から引き離せない!
しかもコンロは重いため、一瞬でも手を離そうものなら自転車ごとぶっ倒れてしまう。
仕方なく片足で自転車のタイヤを支えつつコンロに覆いかぶさるという不自然な姿勢でビニール紐を解こうと悪戦苦闘していたら、階下の住人が出てきた。


「え、大丈夫すか? なんかすげーことになってますけど」と声を掛けてくれたので、ありがたくハサミを借りビニール紐を切る。「遠くの親戚より近くの他人」は真理だ。コンロを脇に抱えてなんとか自宅の鍵を開け、自室に運び込む。コンロを床に置いて自転車置き場へ戻り、彼にハサミを返して自転車に巻きついたビニール紐を回収し、部屋に戻る。

ついにコンロが。
ついにコンロが!
さっそくガスホースをつなぎスイッチを押してみる。

火が、出る!!
久しぶりに燃えている火を見た。
いつまでも眺めていられそうな、美しい火だった。

青く躍るそれを見ていると、いろんな人に迷惑をかけまくった罪悪感をはるかに上回る喜びが湧き上がってきた。あまりにも嬉しかったのでただただコンロが燃えているだけの動画を撮ったり、火をカルシファーと名づけたりして、己の喉の渇きに気がつくまで私はカルシファーと見つめ合っていた。


坂を登り、密室で火を焚いたせいで、気がつけば部屋はサウナのようだった。
カルシファーの歓迎パーティーは鍋ではなく、そうめんになった。

***

メディアパルさんの企画「#ひとり暮らしのエピソード」に参加させていただきます。


お読みいただきありがとうございました😆