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【読了記録】『ハイツひなげし』

最初はただの野菜炒めだったり、お味噌汁のつもりだったのに。味見してみたら思ったより味つけが濃くて、急遽卵とじにすることがよく、ある。
卵を溶き入れたらあら不思議、塩辛さが一気にまろやかになって、ちょっと見た目も豪華になるのだ。
『ハイツひなげし』(古川誠 著、センジュ出版)の特徴を一言で表すなら「卵とじ感」だと私は思う。

『ハイツひなげし』は、「ハイツひなげし」の住人たちひとりひとりが主人公の短編小説集。
私たちの生活から抜け出してきたような等身大の主人公たちはみな、過食嘔吐や鬱などの健康上の問題や、叶うことのない恋や宗教へのお布施、友だちを見殺しにしてしまった後悔といった、何かしらの悩みや苦しみを抱えている。

母のために優等生をしていたのにその母を亡くして鬱になり仕事を辞めた女性、彼氏持ちの女の子への叶わぬ恋心を抱えたバイト三昧の大学生、真面目そうな少年の万引きを目撃してしまった書店員さん、何をやってもそつなくこなせることを「自分には飢えが欠けている」と悩みながら月1で路上ライブをする会社員、子どもの頃友だちを見殺しにしてしまったことの後悔と東日本大震災でその時の仲間を失った男性。

「現代人あるある」なんて片付けるにはあまりに重い、でも似たような痛みを抱えている人の顔がどうしたって浮かんできてしまうような、ある種普遍的な悩みや苦しみを持って生活を営む人々。
彼らの抱えているものは、どことなく私たちの暮らしの辛さと重なるところが多くて、だんだんと読んでいて気が滅入ってきたところに、この小説内で一番強力なフィクション感をもつ「小田島さん」がやさしく、軽やかに登場する。
まるで私たちのしょっぱい日常を卵で包み込むかのように。

小田島さんは、家賃5万円の「ハイツひなげし」で一人暮らしの40代前半、ロック好きの男性。よく公園の猫に餌をやっていて、ビールと「東龍」の中華が好き。遊園地のヒーローショーでブルー役を勤めている。

彼は「ハイツひなげし」に住んでいる主人公たちの引っ越しを手伝い、公園でビールを飲みながら悩み相談に乗り、草野球のメンバーも引き受けてくれる。
こんなに親切で、しかもそれが押し付けがましくないなんて、本当に人間なんだろうか。
なんだか人間の個体というより、概念みたいだ。彼は「みんなの小田島さん」として、ひとりひとりの尖った心を丸くしてくれる。
そう、小田島さんは具材ではなく、溶き卵なのだ。『ハイツひなげし』の、小田島さんをつなぎにした卵とじ感溢れる世界はとにかく優しい。弱っている時や新たな一歩を踏み出そうとしている時に、大切に読み直したい。

本を閉じて、次に引っ越す時は小田島さんが住んでいそうな雰囲気のアパート、そしてさらに欲をいえば猫の集会所の近くにあるアパートに越そうと強く思った。

その後唐突に、引っ越しの機会は巡ってきた。
一緒に住んでいた従姉妹が「このアパートチャタテムシが沸いてきてマジで発狂するんだけど!」と騒ぎ出し、2年ほど住んだ借家を離れることになったのだ。

チャタテムシとは1ミリほどの薄茶色の虫で、湿気を好み部屋や棚のすみっこや古本の中にいることが多いという。
新築の家にもいることがあり、奴らの侵入・発生を防ぐのはほぼ不可能であるらしい。そんな虫を一匹たりとも家に入れないなんて、『ミッション・インポッシブル』に出てくる知力・体力に優れたスパイであっても泣いて逃げ出すほどの困難なミッションではなかろうか。

私の実家を見るがいい。

夏場はアリが台所を縦断し、手のひら大のクモやゲジゲジが出るのは年中のこと、そして庭を掘ればダダッダジョン。チャタテムシもいるにはいるのだろうが、その他の虫の存在が大きすぎて完全に霞んでしまっている。チャタテムシのような目立った害もない小さな虫なんざ虫の数には入らないのだ。しかも私や家族はおしなべて目が悪く、チャタテムシの姿は注視しないと確認することができない。だから我が家では、チャタテムシはいないに等しい!

そう力説したところで都会育ちかつ視力が異様にいい従姉妹は虫と名のつくものが一匹でも家に住まわっている状態が許せないらしい。部屋に古本を抱え、古着を好む私としてはチャタテムシとの共存は仕方のないことだと思っていたのだけれど。
従姉妹の説得に失敗した私は、今はひとり『ハイツひなげし』よりもこじんまりとした、おそらく『ハイツひなげし』以上の築年数を誇る木造住宅に住んでいる。洗濯機を回せば家は小刻みに震え、隣人の歌声は歌詞まではっきりと聞こえる。そんな家だ。

以前暇に任せてスマホで恋愛コミックの試し読みをしていたら、私と似たような状況に陥った主人公が突然再会したイケメンの幼馴染に「なら、うち来る?」と誘われるストーリーの漫画にいくつか当たった。
主人公が家を放り出される理由は「同居人の友人や姉が結婚することになった」だとか「同棲していた彼氏と別れることになった」という対ヒト的な問題なのに、こっちの問題は「チャタテムシ」というのが悲しく、また可笑しかった。
さらに悲しいことに、私にはイケメンでお金持ちな幼馴染なぞ存在しない。
少女漫画的展開のありえなさに比べると、小田島さんのような人にはひょっとすれば出会えるかもしれないと希望が湧いてくる。
けれども本当は、親切なイケメン幼馴染と恋に落ちることよりも小田島さんと出会うことの方が、はるかに難しいのだろう。

とも、思う。

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