解決する必要はない
母から父のことを相談されるとやたらムキになって解決策を述べようとする自分に気がついた。
その癖は仕事でも発動されてて、何か問題が発生したり相談をされると「私が解決しなきゃ」と抱え込んでいることに気がついた。
だけど、仕事を休まざるを得なくなって私がいない間に、私が頑張ってやっていた仕事は、外注したほうがうまく回ってたりした。
疲れてたら力を抜こうってよく言われるけど、私はその力の抜きどころがわからなかった。
どうやら、相談事をすべて私が解決しようとすることがその力の抜きどころの一つみたいだ。
ほんとうは相手も私に解決をすることまでは求めてはいなくて、ただ一緒に、「こまったねえ、どうしたらいいかねぇ」と言うだけでもよかったのだ。
そしたら、すっごいホッとした。
肩の周りの筋肉が緩んで、だーーーーってリンパが流れる感じがした。
ものすごい力を込めて、力んでいた正体のひとつが「私が解決をしないと」だった。
で
それはどこからきたかって。
しんどそうに悩みを話す母の姿をみて、どうにか助けたかった昔の私だった。
でも、私がどう頑張っても、いつも母を助けたり、楽にすることはできなかった。
その無力感が、私を必要以上に追い詰め、焦らせ、いつも何かの役に立たなければと成り立たせていたようだ。
昨日はそのことについて母と話して、一緒に気がついて、「もういいんだよ」って言ってもらって、わあわあ泣いた。
そうかあ、もういいのかあ。
…もういいのかぁ。
自分の子育て中に子供が傷ついてた話なんて聞かされていい気分じゃなかったろうに、一緒になって向き合ってくれる母。
ありがとう、ごめんね。
私はお母さんを助けてるつもりで、から回ってばかりだったね。
*
そして、もう一つ気がついたこと。
私にとって、大切な言葉がある。
「もう、大丈夫」
これ、ちっちゃい時の私の口癖らしい。
私にとってこれが大切な言葉になったのは、祖父が亡くなる直前のこと。
身体も起こせず、息絶え絶えの祖父を見舞って、がんばれ、って私が声かけたら、祖父が
「そうやな、もう大丈夫、やもんな」
って言ったのだ。
もう、何にも言えなくなった。
その一言に、なんであんなに涙が出るのかわからなかったんだけど。
あれは、傷つく前の、なんにも捻くれる前の、まっすぐな、純粋な私の姿を、いまもずっとずっとおじいちゃんが忘れずに持ってて、ずーっとその眼差しで私をみてくれていたことが嬉しかったんじゃないかなって思う。
この人は、傷ついて、人を信じられなくなって、捻くれて、意地悪になっちゃう前の私を無条件に愛してくれているってことが、そのたった一言の「もう大丈夫」にこめられてた。
心配しなくていいよ、
大丈夫だよ、
愛しているよ。
あの一言は、今まで私が聞いてきたどの言葉よりも愛に満ちていた。
生まれた時から、私はたくさんたくさん愛されて生きてきたんだなぁ。
*
それはつまり、20余年の時を超えて、小さな小さな私が、今の私に大きな愛のプレゼントをくれたってことでもあるのかなと思ったりもした。
あの言葉があったから、私は祖父からの大きな愛情をしっかりと受け取ることができた。
ちっちゃな私は、もう大丈夫の言葉ひとつで、きっと周りを幸せにすることができていたんだ。
あのころの、純粋な、前向きな気持ちをもう一度思いだしたいなぁ。
「もう、大丈夫」
思い出すと悲しくて寂しくなるから、あんまり思い出さないようにしてたんだけど、しばらくはおじいちゃんのでっかい愛情を感じて、いっぱい泣こうと思う。
そしたら、なんか一歩前に行ける気がするから。
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