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2016年7月→2020年1月 相模原にて。相模原より。

年が明け2020年の初のnoteは何を書こうか考えあぐねている内に、本日2020年1月8日、相模原殺傷事件の裁判がはじまったと知り、たまらずすべてのプランを投げ捨ててnoteに向かった。

殺された方達と同じく障害者手帳を持ち、そして、殺した側と、また事件の発生地と同じ市内の市民であるわたしはどうしてもこの事件に言及せずにはいられない。目を背けたくても、そうできない。

このことはこちらのnoteに詳しいので読んでほしい。
現場に献花に行ったときの話である。行ったからってどういうわけでもないけど、記憶から消しがたい一日のことだ。

裁判では被害者・関係者の名前はほぼ明かされることなく「甲」「乙」として各々の個々人を呼称して進めるということである。(カナロコの記事なのだけど、リンク先が表示されませんが、クリックすれば飛べます。)


顔の見えない、何十人もの被害者とその関係者。
個人として扱われることなく、ただ、一塊の「障害者」として、彼ら彼女らは、淡々と扱われていく。遺族の要望もあるのだろう。だけど、どうなんだろう。ただただ一塊の、「障害者」という肩書からは、生き生きとした、または雑然とした、人間としてのあり方が見えず、それこそ加害者が陥ったような、偏った障害者への視線を生みやしないか。

そういえば、わたしはこんなツイートをしていた。
それをコピペしておこう。

それは、昨年のクリスマスイブのことだ。

夕方電車の中で3人掛けの席に腰掛けてたらおばあちゃんと母子の3人連れの子どもとお母さんが横に座った。
おばあちゃんに席を譲ったけど「返って腰が痛くなっちゃうから」と固辞されてそのままでいたのだけど、突然若い男性がわたしと母子の間に無言で割り込んできて母子を押しのけて座ってしまった。
男性が知的障害があるのはみて分かった お母さんは怖がる子どもを「しかたないからね」とあやし3人は次の駅で降りていった。
男性はその次の駅で降りた。
わたしはただ呆然としてた そしてどうするべきだったんだろうと考えてしまった。
「そこは先にその人たちが座ってましたよ」
そう声をかけるべきだったかと。
もしその男性が健常者だっら、迷わずそういっただろう。
けど「知的障害があるから」=「しかたないからね」。声をかけなかったのはそういうことだ。わからないだろうからね。しかたないからね。でも本当にそうだったか。
これも差別ではないのか。そりゃ勇気はいるけども一声かけてみるべきだったのかと。
そこで別の光景を思い出した。
数年前、電車の中で騒ぐ男性と老いた母らしい二人連れがいて、やはり男性は知的障害が見受けられた。
「すみません、すみません」と老婆は男性を殴り始めた。
それはそれは激しく。虐待だと思う激しさだった。でも誰もわたしも止めなかった。
「しかたないからね」そういう暗黙の元。
あの光景も今日見た光景も
真逆だけど
実はまったく暗黙の空気による、おなじ光景なのだ。
「しかたないからね」
「知的障害だからね、しかたない」
そう思うといまも苦いものが心に残ってしかたない。
でも答えが出ない あのときも今日もどうすればよかったのかが。

以上だ。

障害者だから
何をしても、されても「仕方ない」。
…その後にきっと続くのは、「かわいそうに」。


…ここから、もう一歩、もう一歩踏み込む必要があるのではないか。
この裁判は。またはこれを裁く世間は。
障害者なんて、簡単になれる。
わたしだって、じぶんが障害者手帳を持つ人生になるなんて、思いもしなかった。
あの事件で殺されたのは人間である。特別な人間ではない、ただの人間である。だから、わたしが殺されたかも知れないし、あなたが殺されたかもしれない。そう考えないと、相模原殺傷事件の恐ろしさは、見えてこない。
それは、被告が心神喪失で無罪になるのと同じくらい、恐ろしいことだ。


この事件と裁判についてはこのあとも書くと思う。
ハンドメイド変態の記事だけ読みたい方にはごめんなさい、だが、「雑多とした」ツルカワという人間の一面として、どうぞご容赦いただき、また、お読みいただければ幸いである。




いろいろがんばって日々の濁流の中生きてます。その流れの只中で、ときに手を伸ばし摑まり、一息つける川辺の石にあなたがなってくれたら、これ以上嬉しいことはございません。