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今年も遂に師走に入ってしまった。今年も多くの未来予兆を感じ取れたことがうれしい。前回のコラムでも速報したが、オランダで見聞できたことは、その中でも大きなインパクトがあった。約20年前に「オランダに自律社会モデルを見つける!」と意気込んで出かけた時の興奮とは違う、興奮を静かに沈殿させて結晶化させるようだった。そこで、今月もオランダネタの中でも、最も大きな印象であった「灰色」を扱う人々の価値観について徒然に語ってみたい。

「低地の国」ネーデルランドの未来デザイン

 オランダと言えば、小学校の社会科で習ったとおり、面積は九州の大きさ程度でで、国土の1/4は海面よりも低く、最高峰の山の標高が321mという平たい国だ。13世紀以来、浅海の干拓によって国土を広げて、文字通り「つくってきた国」だ。かつての調査でも「ポルダー(干拓地)の上にあるオランダという国は、まさに、そこに暮らす市民自身が自分たちでデザインする文化を持つ国なのです」という現地での説明を聞いた。「世界は神がつくったが、オランダはオランダ人がつくった」と言われる所以だろう。
じつは、今回のアムステルダム訪問の大きなテーマの一つは、オランダが最先端を走る「サーキュラー・エコノミー」であった。なぜ、干拓地国家で循環型社会づくりが進むのか?納得できる決定的な理由にたどりつけずにいたので、それならば現地に立って感じてこようと、第一人者の安居昭博さんのガイドを得て出かけたわけだった。

オランダに未来が芽生えるワケ

 現地では、チャンスがあれば「なぜ、オランダってサーキュラー・エコノミーとか、自転車中心のモビリティとか、アグリテックの先進性とか、未来志向の再開発などのムーブメントがグングン進むのか?」という質問を投げかけてみた。その回答を私なりに集約すると3点だった。
1)自分たちが暮らす国土を自分たちで守るために、できることをやる
2)愉しいことをしたいという気持ちは止められない駆動力
3)現実主義に徹すれば、自ずとやることが見えてくる

 私にとっては、かなり意外なものであり、かなり納得できるものであり、かなり共通するものでった。

“ファン・ドリブン”のイノベーション

 そして、これらに確信を得た場面は、海上のフローティングハウスや、造船所跡地利用による未来派コミュニティ、ウォーターフロントのリサイクルショップへの訪問だった。干拓地で国土を拡げてきた文化の延長線上に、それならば水上、海上で暮らせるようにすればいいという発想が生まれるのは、とても納得できる。オランダの運河沿いのボートハウスなども、まさにあてはまる。
 そしてさらに、海に自宅を浮かべて住まうという発想への展開だ。このプロジェクトのリーダーに話しを聴かせていただいた。なんと彼は、建築や都市計画の専門家ではなかった。” No, I’m moviemaker! “と自己紹介するのに驚いた。

フローティングハウスプロジェクトを説明するリーダー

 ド素人が運河沿いの海上を利用して、浮かぶ住宅プロジェクトをスタートさせているのだ。その動機を尋ねると「だって、おもしろいし、たのしいし、仲間もいるし、やるしかないでしょ!」と即座に答えてくれた。
 楽しさ、好奇心、チャレンジが未来へのイノベーションの原動力になっている。決して、「社会課題の解決」とか、「未来価値の創造」とか、「持続可能な社会構築」などという、「(皮肉を込めて)まともな」動機ではない。クレージーな動機だ。
 造船所跡地のエコビレッジを説明してくれた女性も、ほぼ同様であった。

エコビレッジのリーダー

あてになる誰かを探してから動くというよりも、楽しそうだから動き出して、それを続けるために作戦を考えるというアプローチだ。

“グレー” だから可能性がある

灰色は白になる可能性

 こういう生活文化や生活価値観の基層にあるものを、ふとした現地での話しから気付くことができた。これは私にとって今回の最大の収穫だった。” Gray becomes White! “の発想だ。日本では多くの場合「これは、グレーな領域だから今回はやめておこう」ということになるのが常ではないだろうか。リスクマネジメントというやつだ。灰色には黒が混じっているわけだから、アウトなのだという理屈だ。
 同行していた仲間の一人にはゼネコンでビル設計に携わるメンバーもいた。もちろん、彼から見れば運河沿いに建てられていたジェンガのゲームの如きビル建築は、絶対に日本ではあり得ない姿だった。


 これに対して、オランダの連中は「これはグレーだから大丈夫、Goだ!」という発想になっているようだ。「これはグレーだから、白が混じっている。だからなんとか白にできるぞ!」となる。この価値観にはリスクマネジメントに弱い私であっても非常に驚かされた。

"愉しさ" を持続させるための現実主義

 灰色は諦めるのでなく、灰色には可能性があると判断するポジティブな価値観、これこそ「イノベーション推進」を連呼するのに、出る杭は打たれてばかりの日本企業に欠けている価値観であり判断基準ではないだろうか。
 そして、こういう活動を持続可能なものにしていく価値観もある「プラグマティズム」だ。これは、現地でお会いしたアンディさん(アンドレア・ポンピリオ氏)から教えていただいた。彼らは理想主義者として未来志向の実践をしているわけではない。徹底した現実主義者であり、現実を突き詰める結果の姿として、相対的にはオランダの未来志向の先進性が成立しているというわけだ。目から鱗が落ちた。

"目の鱗" を落として未来を見よう

 目から鱗が落ちたところで、未来のミカタも冴えてくるはずだ。やはり、未来をみるには、chatGPT情報だけではダメそうだ。最後の最後に腹落ちするための一策は、やはり現地、現物、本物、本質に巡り会うことだと再認識した蘭学事始となった旅であった。
さあ、もうすぐそこまで来ているはずの自律社会、自然社会への旅に出よう。その輪郭は、目を覆っている、脳ミソを覆っている、身体を覆っている鱗をはがせばわかってくるのではないだろうか。
 
ヒューマンルネッサンス研究所
エグゼクティブ・フェロー 中間 真一

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