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幸福であるということ

連休中、暇で暇で、時間を持て余した私は、何か書こうと思い立ち、キーボードを前にして戸惑いを隠せなかった。

何も出てこない。

かつては、頼まれもしないのに溢れ出る言葉を書き留めるのに必死になる程、書くという行為はずっと身近にあった。

恩師の
「人間、幸福に浸っているときには文章を書けない。書ける人間とは、どこかしらに不幸を抱えているものだ」
という言葉がよぎる。

書けなくなる程の幸福にいる自分を認識してこそばゆくもあったし、
書けなくなるような幸福ならいらない、と絶望もした。

自分がもう不幸ではないという自覚は、薄々、あった。
ずっと想い続けていた人は、かけがえのない恋人になった。
ずっと辛いと感じていた仕事には、少し慣れて余裕が出来た。

このままぬるく生き続けていくのだと思っていた。
痛くて苦しい部分は自ら望んで見なければ、この世界に存在しないのと同義だった。

自分の体調や精神状態、仕事。パートナーの病気。
収まる気配のない感染症に、加速する地球温暖化。

君と生きていけるならこれ以上の幸福はないと思っていた。
だけど。


ほんの少しだけ、不幸になろう。
書くに困らない程度には。

不幸になる材料には事欠かない世界でありがたいことだ。

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