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バテやすい季節の変わり目の乱文。

身体が冷えたと思ったら、熱くなったり、鼻水でたり、眠くなったり、秋はだるーい日々のはじまりだけど、明日からしばらく晴れるらしいので、そしたらまた心地よく過ごせそう。だけども、そこを過ぎたら、きっと一気に冷えて、寒さに振り落とされるように脳内の症状が支配されてしまうんだ。(もしかしたら既に?)

そんなわけで、こわい。嫌な季節が近づいてきた。

コロナのことなんて考えてたら、神経質になって、過敏に不安になりそうだな…。毎年左胸が苦しくなるんだけど、それさえもきっと、どうしよう…父にうつしたら…とか、思いそう。

自宅に帰る頻度を増やすべきかと思うけど、往復のタイミングを下手に増やしたら、一昨年インフルを父にうつして大変なことになったことを思い出すので、家事や介護を手伝いながら自分の生活もうまくやっていくのは、これから難しそう。

それこそ、もっと社会が慣れて、ワクチン打ちたい人打って重症化の心配減らして、コロナの影響がインフル並みになってきたりしたら、わたしは、どのタイミングで切り替えて、両親とのこと、自分のこと、妹のこと、ほどよい距離を見つけてやっていくのか。それこそ、それがわたしにとっての新しい生活様式だわ。

昨日、最後の通院日だったので、来月から新しいところへいくという緊張もありつつ、母も通っているところということで、安心もしているし、場所も、前後で買い物しやすいところなので、一気に用が終わるので、気持ちはずいぶんと楽。

今日は、父が、分科会の会見みながら、みずからマスクを装置したので、面白かった。今まではいつもお任せで、受け身だったけど、最近、自分から「手を洗う」とか「マスクする」とか。

今しなくてもよくない?って思うタイミングもあるけど、したいなら、いいかな。って。本人が安心できる方で。

手を洗うのは、今まではタオルでふいたりとかで流しまで車イスで移動なんてしなかったので、コロナ禍になってから、父は家のなかを広く移動して活動的になっている。立ち上がるときも、今日は割りと長く何歩か歩けて、衰えないようにっていう気持ちがあるのを感じられた。

食べ物は最近むせやすくなってきたけど、極端に食べやすいものだけにすると弱りやすいから、むせないものを大きめにしてお皿に並べ、食事の後半でムリそうになったときだけ切るようにしている。

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わたしは、たぶん、来年末とかになったら、もう殆ど家族とは関わらないのではないかと思う。(唐突)

書いたか忘れたけど、今年の3/28に、そう決めたけれど、そのあとに、諸々対策や情報の面で心配で、自発的に自粛のために4/2~実家に戻った。だけど、それまで、もう、疲れ果ててしまって。妹たちからも親からも離れたくなった。これが実行できるかはわからなくて。結局、必要とされることを必要としている性だろうし、一人でいたいくせに、介護が心配になる。それに、自分の障害のこともある。

これは、話してみたい。

おなじような人と。

最近知った。ヤングケアラーというらしい。学校に通いながら、家事と介護と育児をしてきて、テレビを見ては健康や家事の裏技の情報収集をし、父の病気について本を探し、妹と向き合い、話を聞き、家事をして、妹をお風呂に入れ、一人になれたときなんてなかった。寝かしつけるのも、髪をくくるのも、着替えを手伝うのも、持ち物を用意するのも、愛しいから苦ではなかったけれど、時間が足りなくて、テスト期間はかまってあげられず、介護も育児も申し訳なかった。目の前にいる人を助けられないのに、勉強する。ということだけが、葛藤だった。テスト勉強を終えるのを待って、わたしの膝枕で眠ってしまう妹が、大切だった。父の介護は、手伝えることはしたけれど、育児ほど介護は寄り添えなかった。お互いに、歯がゆさや苛立ち、わからないことが多いから衝突もした。育児から得る喜びが栄養になった。学校帰りに妹のお迎えと買い物に行くから、授業中に冷蔵庫の中身を思い出したり、中三になった頃には、なんとか勉強時間を増やすため家事を簡略化しようと、コツコツためていたお金ではじめて大きな買い物をした。食洗機を。今でも使えてて、びっくり。

真ん中の妹は、大人になってから、アスペルガーと診断され(当時)

それまで、妹と話が通じたりフォローできたのはわたしだったけど、当たり前の役回りで、負担だとは思ったことはなかった。けれど、3年くらい前に、実はかなり負担になるほど脳を使っていることに気付き、入院した。

だから、それぞれにうまく、距離をつくらなきゃいけないのは、わかっているけれど、

父のことは介護面で気になるし、母のフォローも必要だし、末っ子は娘みたいなもんだから、距離感が今さら変えられなくて、たまに突き放しても、すぐに戻ってきてしまう。真ん中の妹は、独特で、なんでも許してしまう。

わたしは、しんどくなるし、実際、家族と離れて一人で過ごす日は、とても体調がよく、症状の波も穏やか。

いつもイライラしているように思われたり、余裕なく心配性な性格だと思われているけど、それは、家族といるとき。

友だちといるときは、あっけらかんとしていて、雑。

友だちが大切ではないということではなくて、むしろ、干渉する必要がない。とか、信用している。ということなんだと思う。

わたしはきっと、今の五人家族の中で、

愛の深い母と厳格な父の二役を、頼まれてもいないのに、これまでの流れのまま、続けてしまっている。門限とか、食生活とか、身だしなみとか細かい方なのかもしれないから、近頃は、なにか言えば、干渉したと思われるのではと怖くなり言いにくくなって黙ってしまう。少し時間をあけてみて後からフォローすると、なにを今更。とか、必要ない。とか、思われそう。

たぶん、それは社会性のなさから自信が削られ続けてしまって、家族のことさえ怖くなってきている。家族に、必要ない。と思われたら、最後だからだ。

困っていることに触れないで見守っていると、妹たちは自分で解決でき嬉しいはずなのに、極端に寂しげでもある。

きっと、成長ってそういうもので、わたしは必要とされなくなることは嬉しいことなはずだけれど、その先にうまく別の人間関係を築けるかどうか。というところで、わたしたちは、それが出来ない。するなら、わたしが努力するしかない。新しいなにか。

それが、できなくて、歯がゆくて、おばは家を出たのだろう。と、20年前に家を出て施設に入った、知的障害のおばのことを思い出す。

とても気のきく、周りをよく見る、おばだった。わたしの母のことを、義理の妹として、弟の嫁として、とても大切にしてくれた。おばがいなかったら、母は家を出たのではないかというくらいに、みんなの心を繋いでいてくれた。きっと、その役回りが、わたしになった。おばも、わたしも、思い出せばきりがないほど、よく似ている。

そのことに、妹たちが気づいているかは分からないけれど、わたしは、話したりする気力がないし、日々の生活に精一杯で、プラスして介護をフォローできたならば、時間的な余裕もないので、時が過ぎ去ってしまう。

コロナ禍のおかげで、妹たちと距離が取れて、余計なことを勘ぐったりしなくなって、精神面は安定しているけれど、

逃げたくない気持ち。気になる気持ち。

だけど、一人になりたい気持ち。

いつも、いつも、中一から、この繰り返し。

高校生の頃も、何度も一人になりたいと願ったけれど、いざ、大学へ進学させてもらって寮に入ったら、毎日毎日父のことが気がかりで、つらかった。

これは、なんなのか。依存だろうけど、こういった介護や障害、病気や健康、身体や栄養の話とか、まわりにできる人がいないということが、小学生の頃からのわたしの孤独感であり、

だけどいつか誰かの役に立つかな?って使命感も少しあり、

そして、それ以上に、妹たちにやらせるわけにはいかない。友だちとの時間を大切にして学校を楽しんでほしい。と心底願った、勝手な正義感。

家族旅行なんてないから、休みの日はいつもわたしが二人を連れ回し、家族の記念日は欠かさず飾り付けや食事やデザート、プレゼントを計画して、べったり一緒だったから、

仲の良すぎる三姉妹としてみられたり、

親が大変なのに立派に支え合う三姉妹にみられたり、

そのイメージは、わたしの力み方のせいだったかもしれないけれど、周りに相談できなくて、

今ごろになって、抜け出し方がわからなくて、じたばたしてる。

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秋。いろいろと考えすぎてしまうけど、、、

きっと、病院かえて、心理士さんから突如離れた不安が募ったかな。介護について、細かく聞いてもらえる場所がなくなったからね。もわんもわんするなあ。

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