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リーダー業のプレッシャーと複業のやりすぎで心にダメージを受けていた自分が、弱みを話すことでなんとか立ち直れた話

※この記事に出てくる「うつ」という言葉は、専門的な診断を受けたものではなく、個人の主観として当時感じたことをそのまま記したものになります。また、本記事の記載はあくまで一個人の体験談に基づくものであり、医学的検証を経たものではありません。

10/2~10/7の1週間ほどは、メンタルが本当に落ちていました。社会人になって以来、ここまでのやつは初めてだったかもしれません。今は回復していて当時を振り返ってみるのですが、自分の中でも貴重な体験だったので、すこし長いですが記しておきます。

複業のやりすぎでスケジュールに余裕がなくなることから、すべてが始まった

9月の連休で隠岐島に行って癒やされたのも束の間、9/28(月)からサイボウズの仕事も複業のコーチングも怒涛のスケジュール。ほぼ毎日、朝8時から夜23時まで稼働していたので、日に13~14時間働いている計算に。身体はなんとか持ちこたえていたけど、心の余白が全く感じられないように。

そんな中、10/1(木)に2022年新卒採用の募集がスタートした。自分がメインで担当したプロジェクトであったが、仕事が細かいところまで回っておらず、痛いフィードバックを受けて心にズキッときた。「こんなに忙しい中で頑張ってやってるのに。せっかくやった仕事は、そんなに価値がないものなのか?」と曲解して、やる気が出なくなってしまった。

それでも「お前はチームのリーダーなのだからちゃんとしなきゃダメだろ」と心の声がささやくので、なんとか盛り返そうとする。とにかく、焦る。その結果、メンバーの作業がなかなか進まない部分や、小さなミスにばかり目が行く。他人に無闇に当たったりはしないけど、常に微細なイライラに苛まれるように。

(多分このときの自分、急かすような眼とプレッシャーを与える雰囲気がZoom越しにすごい伝わっていたと思う……)

さすがに心がおかしなことになっていたので、これはあかんと思い、10/1のチーム定例MTGで、そういう状況にあることをメンバーに吐露する。

「お前はリーダーなんだから、そんな弱音を吐くんじゃない」と心の声は叫んでくる。弱みを見せることはとても勇気のいることだったけれど、ここで意地を張っていても事態は何も変わらないことは明白だった。自分のプライドを守ることは諦めて、想いを聴いてもらうことにした。

このときに「これやればいいんじゃないですか?」とその場しのぎの解決策を出すのではなく、ただただじっくり聴いてくれたメンバーのみなさんには本当に感謝しかない。ありがとうございました。

それでも、心の中の否定的な声は根強く、「お前の責任だ」「ここで折れたら負けだ」と責めてくる声が止まない。

冷静になって考えてみると、すべてをチームリーダーである自分の責任にするなんて傲慢な考え方だし、そもそも「ここで折れたら負け」って、誰と勝負してんの?と。仮に自分との勝負だとしても、たったひとりしかいない自分のことを敵対視して、無理して負かしてやった先にいったい何があるの?と。

落ち着けば考えることができるんですが、追い詰められているとそうもいかないものですね。

日中も忙しいのに、毎朝毎晩の複業で予定が埋まっているがために、心を休める暇がない。サイボウズの仕事もコーチングの仕事も、すべてが順風満帆だと思っていた9月の自分に言ってやりたかった。「そんなに予定を詰め込んでがむしゃらに走った先に、何を目指しているの?」と。

「あーおれ、何のためにこんなにがんばってるんだろ?」とか思えてきて、寝る前にひとりで泣いた。10/2(金)の晩。

翌週の10/5(月)はもともと有給だったのでサウナに行った。頭を真っ白にしたいのに、翌日からの仕事が脳内を支配してくる。別のことを考えようとしても、そのことにまつわるネガティブな感情でいっぱいになる。結果、身体は休めても、心はまったく休まらなかった。

心はすでに悲鳴を上げている中でがんばり続けていた身体が、ついに異常をきたした

10/6(火)の朝10時、いつもの時間にチームのあさかいが始まる。PCを立ち上げて、社内システムの画面を開く。休み明けで溜まりに溜まった通知の数が「99+」になっているのを見たときに、身体に異変が起きた。それまで何ともなかった呼吸が浅くなり、脈拍はやや速く、深く息を吸うことができなくなった。

「あ、これアレだ。あの元気で明るかった●●さんが、うつに……?の一歩手前だ」と思った。

この日のお昼にYouTubeで「うつ 原因」で検索した。真面目で責任感ある人ががんばりすぎてしまうことも、よくあるパターンのひとつだと解説されていて、今のおれじゃんって思った。

日頃、チームリーダーとして1on1でメンバーの話を聴く立場が多かったり、複業のコーチングでも毎日クライアントの話を聴くことばかりしていて、自分の本心をただただ聴いてもらうという時間が圧倒的に足らないことが、不調の原因のひとつではないかと思い当たる。

そこでメンバーから「定例の1on1は、綱嶋さんの話をたっぷりと聴く時間にしたい」と提案をもらい、ありがたくそうさせてもらった。結果として、これがじわじわ効いたのだと思う。本当にありがとうございました。

責任を抱え込んでがんばりすぎてしまう自らの心との対話。そして、そばで支えてくれるチームメンバーの存在に改めて気づく

チームメンバーを始めとするみなさんの力を借りて、なんとか地道に目の前の仕事に取り組んでいると、だんだんと山が動き始め、希望が見えてきた。責任を抱え込み、自らの力だけで何とかしようとしていた過去の自分の小ささに、逆に驚く。よくもまぁそんなに頑張っていたなと。「おつかれさん」と自分に声をかけてあげた。

昨年の10月にチームリーダーになってからというもの、心はどこか、独りよがりで奮闘していたのだな、と思う。

この1年間、ともすれば自分は、チームワークで業務を分担していたのではなく、「(本来は自分がやるべき)仕事をお渡ししてあげている」などという勘違いをしてはいなかっただろうか。

結局、自分の責任範囲から手放すことを恐れて「(本来は自分がやるべき)仕事をお任せしている」などと、ズレた場所に立って、必死こいて見せかけの役割分担を行っていたのではなかろうか。

それは、チームメンバーを心から信頼しきれていなかったことの現れではないか。

非力な自分自身にどこまでもすがろうとする、器の小さな自分の痛いところが見えてくる。

と同時に、だからこそ、このタイミングで「すべてを完璧にやる必要もないな」と心から思えた。仕事でミスしたくらいで命を落とすわけじゃあるまいし、と。ストレングスファインダーで最上志向という資質に最も強みがある自分は、根っこのところで100点以上を目指しがちな傾向がある。そういう自分の特性も認識しつつ、チームメンバーそれぞれの強みを活かしあって、弱みを補いあっていけばいいのだと思えた。

リーダーになってから1年が経ち、ようやく、「チームでやっているのだから」と心が楽になった。ひとりじゃないのだ、と。

自分を縛っていた価値観を認めてあげた上で、新たな価値観を受け容れる

「ミスはよくない」
「失敗は悪」
「完璧にやらなきゃ」
「嫌われるのは怖い」
「いい成果を出さないと価値がないと見なされる」
「リーダーは強くあらねば」
「"いつも優しいつなしまさん" でいなきゃ」

という心の声が、無意識のうちに自分を束縛していることに気づいた。

そしてこの心の声、言い換えると、価値観や世界観、自分を支配しているものの見方、心のOSは、何も社会人になってから生まれてきたものではなく、幼少期からの育ってきた環境や周囲との関わり方にも強く起因している。そして最近の生活の状況が、その価値観をネガティブな方向へ増幅させる流れに働いていたのだと気づく。このあたりは、お世話になっているコーチとの対話の中から見えてきたものでもある。

どうして自分を苦しめる考え方をしてしまうのだろうと、自身の心の奥底に向き合うことはしんどいことでもあった。それでも、湧いてくる想いをポツポツと身近な人たちに語っていく中で、自分の価値観が変わっていくのを受け容れてみることにした。 

完璧じゃなくてよい。でこぼこでよい。そのほうが人間らしい。
何でも自分で決めるのが自立じゃない。他者や自然に生かされていること、依存先がたくさんあることを自覚してこそ、自由な選択肢が増える(から、結果的に自立できる)
ついついがんばりすぎてしまう自分を否定しない。「よくやってるねぇ」と受け容れるところから始める。
・でも、どうせがんばるなら、自分の心が望むものに命を遣ったほうがよい。現在のスケジュールがパツパツの日々を望んでいないことは、すでに身体が証明しているのだから。勇気を出してペースダウンしてみよう(実際、スケジュールを圧迫しすぎていたコーチングの仕事は、単価を上げてクライアント数を絞っている。より深くコミットメントしあえる方々との濃密な時間を創ることにもつながっており、いい感じである)

話すことは、離すこと・放すこと

ここまで書いてみて、自分はある程度ストレスには強いほうだと思っていたけれど、環境の変化(コロナ、仕事での立場、複業とのバランスなど)によって、メンタルって、けっこう簡単にやられるものだな、と実感しました。

これまでの人生、「やるべきところはちゃんとやる」で生きてきて、それで何とかなってきたタイプでした。そのためか「やるべき」に押しつぶされてしまう人の心の痛みが理解できないようになっていたのかもしれません。だから最初は、自分の身に起きたことが信じられなかったのです。

「こんなはずじゃない。今まで自分の力で困難を乗り越えてきた強くあるべき自分は、こんなはずじゃない」と。

ですが、文字通り、自分で作り出した「やるべき」に押しつぶされた今回の件を経て、そうした心の悩みに対して寄り添えるための、心の余白ができたような感覚があります。もちろん、他人の心をすべて理解できるわけはありませんが、分からないなら分からないなりに、その悩みを一緒に分かち合う時間をゆっくり過ごしたいな、と。こういうことをこうした場で書いてみようと思うほどには、心から本当に、そう思えている今です。

コロナに限らずさまざまな環境変化が激しい昨今ですので、しんどい気持ちをお抱えの方は、ご自身に向けて「よくここまでがんばってきたねぇ」とお声をかけてあげてください。まずは自分で自分のがんばりを、認めてあげましょう。

「自分で自分のことを認める余裕なんてないよ」というときは、誰か話せる人に、ちょっとでも打ち明けてみるといいかもしれません。

とにかく、自分のモヤモヤを「話す」ことで、そのしがらみを心身から「離す」「放す」ことは、自身の心をいたわるためのとても大切な一歩だと気づきました。

今日もどこかでがんばりながら苦しい想いをされている方に、この文章が何かすこしでも支えになることを願っています。

頂戴したサポートは、私からのサポートを通じてまた別のだれかへと巡っていきます。