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【茶を知る】これまでのお茶。これからのお茶。

こんにちは。TSUNAGUTO広報です。
いつも記事を読んでくださっている方々、ありがとうございます。

普段は、お茶の新しい楽しみ方、また意外なアレンジなどをお届けしていますが、
今回は原点に立ち返り、「そもそもお茶とは何たるか」ということについて雑記的に綴っていきます!
今回はまず、お茶というものがこれまで歩んできた歴史からみる特性を考えてみたいと思います。

ちなみに、主な参考文献としてワールドフォトプレス社さまのムック『茶学』を出典元に、何回かに渡ってお茶そのものをより知るシリーズとして書かせていただきます。
お茶に触れる時間がもっと濃密で楽しい時間になりますように。


そもそもお茶はどこで生まれどう使われていた?

歴史的な史料として最も古いのは、あの三国志の時代より少し前、漢代にあった奴隷の売買証文の中に「茶を買う」という言葉が出てきます。今からおおよそ2,000年ほどは前からお茶は飲まれているということになります。
しかしもっと厳密にはさらにそれより前から、薬草開発の実験として毒味した際の解毒のためにお茶を食したという記録もあります。
つまり日常飲用としてではないとはいえ、少なくとも5,000年ほど前からお茶という概念は人類とともにあったわけです。

いずれにしても、その原点は漢方薬としての用いられ方であり、今でこそ “一般的なお茶” の方が認識としては親しみやすく、漢方やハーブ的な役割の方が専門的な印象もありますが、当事はむしろ逆だったのですね。

ちなみに、現在のように煎じて飲むという用いられ方になったのはもう少し後の話。西暦670年頃に、のちに茶聖とも呼ばれる「陸羽」という人物による世界最初のお茶専門書茶経の中で出てきます。

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英語 “tea” の語源も中国語?(オマケ豆知識)

大昔、お茶の味を知ったイギリスの商人が中国と貿易を始めた頃、当時貿易港があった福建省のの方言で「テイ」と発音していたのが始まりのようです。それが伝播し、イギリスでは「ティー」、フランスでは「テ」、と少しずつなまりました。
今でもアジアに関わらず、世界中どこへ行っても基本的には「テイ」か「チャ」、あるいはその変化系「チャイ」のいずれかで通じるとそうですから面白いですよね…!

日本に伝わったのはいつ?どう扱われていた?

お茶の種子や苗木を唐から持ち帰ったのは、延暦24年(805年)。
場所は近江の坂本という地で、現在も日本最古の茶園「日吉茶園」として残っています。
http://www.chakumi.com/history/

史実的には、弘仁6年(815年)に嵯峨天皇が国内各地の国々にお茶の栽培を奨励したということが記録されています。対象は主に貴族社会ではありますが、喫茶の風習というのはここから広まったようです。
しかし、一般社会ではまだ関心が薄く馴染みもなかったのか、以降しばらくお茶の変遷に関して明記された文献は残されていません。

その後に明確なのは飛んで鎌倉時代。栄西禅師という人物が『喫茶養生記』というものを著し、そこでは製法や薬効について語られているほか、“粉末にしたお茶を茶碗に熱湯を注いで飲む” ということまで紹介されています。それをもとに抹茶や宇治茶の基礎が生まれました。

それらの礎ができた当時の栂尾(京都)の茶園によるお茶の良質さは評判になり、それを「本茶」、それ以外の「非茶(お茶に非ず)」と称されたようです。なんとも特権差別的な話ですが…、現在まで続く日本におけるお茶にまつわる業界的習慣や意識の由良にいくらかは繋がっているようにも感じられます。
室町時代には闘茶(利き茶的な競技)」というものも大流行し盛んに行われ、この頃には既にお茶について“良いものを見分けられる者が尊い”というような感覚が取り入れられていたのかもしれません。

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今のような飲まれ方をするようになったのはそんな昔じゃない?

さて、やがてそれとは異なる形で「侘茶」という文化が提唱され、それが最終的にかの有名な千利休によって「茶道」として完成されました。
この真髄はいわば「外見の華やかさに囚われずにものごとの本質を見極めるべし」ということであり、華美な道具や装飾は避け、今でいうミニマリズム的思想の中に“美”を見出そうとするもの。
これは日本的な美意識に即していて、ステレオタイプ的な表現ではありますが、日本人らしい「謙虚」「質素」さのような部分と繋がっているからこそにも思えますし、逆説的には、わかりやすく広く大衆化して共有し合うという現代的かつ越境的な趣からはやはり遠いとも言えるのかもしれません。

結果的に、今の番茶のような手軽さで一般化され始めたのは江戸時代以降です。ここまでくるともうそんなに昔という感じもしませんね。
以降、それから明治初期にかけ、現代的な飲み方でもある“急須などに茶葉を入れて上から湯を注ぐ”「淹茶」というスタイルが民間の家庭にもやっと広がっていきました。

今だからこそ、これからのお茶の楽しみをもっと届けたい!

ここまで、あくまでおおよそではありますが変遷を抜粋的に辿って記してきましたが、これだけ長い年月を経て文化として親しまれてきたことには重要な意味を感じます。
効能的観点も見込まれたからこそ重宝されたということ、利き茶で闘うほど風味や味わいそのものにも優れ探求されるものであったこと。
この両側面がしっかり歴史としてもあらわれていることを再確認できます。

私たちTSUNAGUTOも、こういったお茶の可能性をこれからも追求していくと同時に、しかし選民意識的な考えでその楽しみ方を制限することはせず、
より多くの人々の日々により自然に取り入れてもらうような商品、心身の健康に役立つ情報、可能性を拡げるアレンジアイデアなどをお届けし、
お茶を愛する皆さんとそれを一緒に楽しんでいきたいと思います!

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