生まれたときから哲学者。(20.8.30.19.23)//晒し

その子は小さなときから不思議な子だった。

一人で思索に耽ったり、作業したりすることを好みながらも、おしゃべりを始めると吃音で早口に口を動かしたまま止まらなくなった。科学が好きで新たな世界にワクワクしながらも、神の存在や倫理に頭を悩ませ、怖れていた。

その子は世界と正義を体内に抱え込んでいた。暴れまわる体の中の言葉がその子に牙を剥き出し噛みつく。自分の希求と矛盾する世界と正義が彼をおろし器に押し付ける。そしてその取り込んだ世界と正義、あるいは倫理と論理同士が牙を向けあうことにも悩んだ。善に勝るものはないと考え、世間に流布されている言葉を信じ過ぎているほど世間知らずでそれらを信じすぎていた。習ったことわざも信じすぎた。彼の中では二度あることは三度あり、三度目の正直であった。

彼は人類の哲学の歴史を彼自身が脳の中で再構築していた。イギリス経験論と大陸合理論までは頭の中にあった。カントはなかった。また古典から、現代に生きる知恵を学べるのだという嘘くさい言葉を信じ、現代カルチャーよりもそれらを読んで実践しようとした。自分の中に取り込むことはできなかった。あまりにも彼と乖離していたのだろう

人間は一人では生きられない。ご飯は食べなくてはならない。外部世界は摂取しなければ生きられないが、彼は外部世界の毒を消化しきれずに、病になったのかも。さらに精神の毒は行動の毒をポイントする。

確かにそんな世界とその世界観に強い違和感を感じた。けれども、感情については抑圧しなくてはならないものと考えていた。自分の堕落を嫌い、体が悲鳴を上げても頭が押さえつけてその都度苦しむ。

自分の欲求に素直になってもいいんだと何かのきっかけで気づいたとき、
ようやく少年は羽を広げ、今の僕が生まれた。

著.縁蝦夷

[今の私からのコメント]
これは2020年.8/30.19:23に書かれたNOTEの下書きである。あまり私は変わっていなかったけど、たどり着けていた最後の章の段階からあしをふみはずしていたらしい。今の私に欠けているものかもしれない。表現は嫌いじゃないけど駄文。最後に最初のころのノートの名前(今のツイーターの名前)がある。草。