信じるということ

信じるという行為は能動的な行為であり、基本的には100%自分の意志で決めることができる。逆にその結果に対する責任もすべて自分が負うことになる。と考えている。
「信じていた人に裏切られた」ということがあったとして、その結果として被る損害の責任はすべて、その人を信じた自分にあるのであって、ただ裏切った人を責めるのは違う、というか、そんなことしても仕方がないだろう、という考え方だ。
もちろん、意図的に相手を騙すという行為は好ましくないし、法に触れるような部分に関しては該当する罪に問われるべきだ。しかし、それを信じたのはあくまで自分だし、そんな人間であることを見抜けなかった自分の責任だと思う。
以前に書いた話で言えば、「だますひとが悪い」というのは倫理的正しさであり、「騙されるのは自分の責任(だからだまされないようにするしかない)」というのは実利的正しさである。どちらも間違いではない。しかし、他人という、自分がコントロールできない存在を「信じる」という行為の性質を考えると、倫理的正しさばかり主張しても実効性に乏しい。自分が全く理解できない価値観を持っている人はどこにでもいる。なまじ言葉が通じるからわかりあえそうに錯覚してしまうが、そこには海より深い溝がある。そういう相手に倫理的正しさを主張しても全く意味がない。なんの準備もせずにサバンナに行ってライオンに襲われたとき、そのライオンに対して「なんで人を襲うんだ」って怒っているようなものだ。何の準備もせずにサバンナに行く方が悪い。それが実利的正しさである。

ということで、「信じる」という行為にあたり、問われているのは、相手ではなく、自分である。自分の人を見る目と、そして、裏切られたとしても仕方ないと思えるかどうか、その覚悟が問われている。と思っている。
信じるということはそれだけ重い行為であり、だからこそ、時間をかけて、慎重に判断しないといけない。簡単に相手を信用するのは、「信じる」という行為そのものを軽んじているということであり、むしろ失礼な気がしている。
そして、「信じる」というのは白か黒かでわけられるものではなく、グラデーションになっているべきである。0か100かでなく、何%くらい信じているのか、なるべく正確な評価と、その自己認識が必要だと思う。口のうまい人はいくらでもいるから、言葉だけでなく、その人の行動を、長い時間をかけて見極める必要がある。簡単なことではないし、見ていくなかで、思っていたのと違う部分が必ず出てくる。違う人間なんだから当然だ。でも、本質的な部分で言動が一貫していて、自分にも他人にも誠実で、つらかったり余裕がなかったりするときにも考えや行動、態度がかわらない、そういうところが見える人は信頼できるし、少しずつ信頼のパーセンテージが上がっていく。

信じよう、としてはいけない。ひとは自分が信じたいものを信じてしまう。信じる、というのは能動的な行為だけど、信じようとか信じたいとか思って信じるのではなく、判断の積み重ねの結果が「信じている」という状態につながるのだと思う。信じようとする気持ちは冷静な判断を失わせる。すでに信頼しているものを信じることは問題ない、でも、まだ判断がつかないものを信じたいと思うことは危険である。
なぜ信じたいと思うか、というと、信じられるものがあることは心の安定につながり、幸せにつながるからだ。その想いは理解できるけれど、幸せになりたいから信じられるものや人を得たい、というのは順番が逆である。信じられる人はそう簡単には得られない、でも、だからこそ、そういう人がいるのは幸せなことなんだと思う。

そう、信じられる人がいるということは、それだけで、とても幸せなことだ。信じるという行為そのものが幸せにつながっている。結果ではない。
信じるということはとても重い行為で、時間をかけて判断する必要があるのはもちろんそうなんだけど、それでも、警戒しすぎて心を閉ざしてしまって、誰も信じられなくなるのは、その人自身にとって不幸なことなんじゃないかと思う。このひとはいいひとかも、と思ったら、とりあえず、まず5%だけ信用してみればいい。5%だけ信じた人に裏切られても傷つく必要はないし、付き合っていくなかでまた別のいいところを見つけたら、こんどは10%信じてみればいい。あとは、「この人はお金に関してはルーズであまり信用できないけど、人に対してはやさしいし信頼してもいいな」みたいに、そのひとの特定の部分だけ信じる、みたいなのでもいいと思う。

前も書いたけど、

信じられぬと嘆くよりも
人を信じて傷つく方がいい

ってめちゃめちゃいい歌詞だよねえ。昔からずっと大好き。簡単に人を信用しないけど、根っこの部分では完全に同感。

まあ、実際、本当に信頼できるひとは多くない。でも、もし出会えて、お互いに信頼しあえる関係になれたとしたら、それは本当に幸せなことだから、簡単ではないけど、傷つくことを恐れずに、相手を見極めていくことが大切なんだと思う。

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