フィクションくらいハッピーエンドで

異世界に転生してきたら最強だったみたいなマンガが割と好きで、と言っても購入するほどじゃないから恐縮なんだけど、オフィシャルサイトで無料で1~2話ずつ読めるみたいなのをコツコツ毎日読んでいたりする。
異世界に転生してきただけで最強になるのは都合が良すぎる、という批判もあるけど、そもそも「異世界」も「転生」もフィクションなんだから、それ以上どんな設定をつけてもいいじゃないか…と思う。
ドラえもんの映画でも、違う星に行ったら重力が違うから普通の地球人であるのび太が最強になっちゃう、みたいな設定あったから、そういうのは昔からあったんじゃないかと思うし。

だいたい、敵に負けて生死をさまよったり、死ぬよりつらい修行をしたりしたからといって、必ずしも敵に勝てるほど強くなるとは限らない。努力は必ず報われるわけではないから、こういう描写があったからといって、修行や経験を積んだ主人公が敵を倒す必然性が生まれるわけではない。言ってしまえば、そういう物語だって少なからずご都合主義的だ。

かといって、身近な人の死やつらい修行、別れなどを経てラスボスにたどり着いた主人公がいいところなくあっさり負けて、「今までの苦労なんだったん…?」といいながらバッドエンドを迎える物語なんて、たぶん誰も読みたくないだろう。
少なくとも自分は読みたくない。

これはあくまで個人的な好き嫌いの問題だけど、自分は、マンガでも小説でも映像作品でも、その物語の世界に入り込んでいる時間はある意味で現実からはなれている時間になるわけだし、その時間は楽しい気持ちでいさせてほしいなと思う。フィクションの世界くらいは、最終的にはハッピーエンドで終わってほしいし、そういうストーリーが圧倒的に好き。

もちろん、異なる価値観を持つひとだってたくさんいるだろうし、それを否定するつもりはまったくない。あくまで、自分はそういうストーリーが好き、という意見にすぎないので、押し付けるつもりもない。

ただ、ハッピーエンドの物語が現実的でないとか、うすっぺらいとか、そういう切り口には異を唱えたい。幸せとは主観的なものだから、たくさんの絶望の中にたったひとつの希望を見出す物語だってハッピーエンドと言える。

多くの人が「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を観てやりきれない気持ちになるだろうし、自分も観たときはそうだったけど、この歳になって、クライマックスで安らかな気持ちになっているセルマの心に、少しだけ共感できるようになった。
以前、「チェンソーマン」の早川アキの気持ちについてエントリーを書いたことがあったんだけど、

自分の命よりも大切なものがあることは幸せなことだし、それを守ることはきっと、自分の命を守ることより大切なことだったんじゃないかと思う。
少なくとも、自分だったらそうだ。
だから、観ていて理不尽でやりきれない思いはたくさんあるけど、あの物語をバッドエンドと言い切ってしまうのは、セルマに少し失礼なような気がする。

…まあ、そうは言っても正直、ダンサー・イン・ザ・ダークはもう二度と観たくないけど。悲しすぎて。


そう、上でも書いたんだけど、フィクションの世界「くらい」は、ハッピーな気持ちで終わらせてほしいんだ。

現実では、うまくいかないことや、報われないこと、理不尽なこと、やりきれないこと、救いようのない不幸とかが、前触れもなく突然襲ってきて、回避できないこともたくさんあるから。


ハッピーエンド / andymori

それはハッピーエンドなんだ
ハッピーエンドなのさ
どうせどこにも行けないのなら
ずっとここにいてもいいんだよ


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