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《#無垢な泥棒猫》グラスの中の希死念慮【京大出身ボーイ】#23才秋

「びっくりするほど高貴な精神を持ちながら、
同時にどうしようもないほどの俗物だった」

ノルウェイの森/村上春樹

買ったばかりのヒール

タグが取れなくて

ハサミか何かありますか、って聞いたら

ちょっと貸して、って言われて

彼はポケットから出したライターで

一瞬でプラスチックのタグを溶かしてくれた


その後、

まるで全然嘘じゃないみたいに

綺麗に整えられた髭に飾られた唇を開いて


「今日入ったの?」って優しくも怖くもない口調で

そう言った


はい、と答えるとライターの彼は

「すげえ綺麗、びびった」

ってそう言って階段を降りていった


言葉があまりに率直だから、

一瞬で何に対しての感想なのかわからなかった

また、何も遠回しな言葉だけが美しいわけではないことを

ふと感じるのだった



8年ぶりくらいに見てはいけないものを

見てしまった気がする

まさかあの薄汚れた空間に

あんな重層的な瞳があることを知らなかったから


あの時私は、情けないほど無防備に

それを直視してしまって、

触れないように壊さないように

必死に守って生きていた私の中の石碑に

一気に踏み込んでくる感覚があった


壊したら祟りがくるような場所


言うなれば早熟な時期に

既に何かを悟ってしまったような

達観的な奥二重、一方でそこから滲み出るわずかな幼さ...


並な表現だけれど

それはあまりに強すぎる性的な引力だったような...


彼が発するいかなる言葉も、拒否しなければならない対象として

動物的な本能が作用した


夜職を続けていくうちに、私の心は荒んだ

他者への興味の無さがエスカレートして、

今この店で誰が亡くなっても悲しくないな、と

キャストへのドリンク代さえ渋ったフリー客を

見送りながら、ふと思った


毎朝、日の昇る時間帯に送りの車を降りて帰宅すると

得体の知れない高揚感と共に極度の無力感に襲われた


指名客を増やし続けることへのプレッシャーと、

店を辞め就職し

明るい時間帯の社会人としてやっていけるのかという不安から

私は日に日にあらゆる能動性を消失してゆくのだった


今夜、この小さな部屋で、スッと消えてしまえたら
いろんな記憶を蒸発させて、
そしたら予測できない心の波に怯えなくていい
明るい場所で綺麗な顔をしていなくてもいい
今夜、この大きな世界から、スッと消えてしまえたら

希死念慮。キシネンリョ?

そもそもキシネンリョって、

あの人の口からこぼれるみたいに

わたしの前に現れた


グラスの中でしかくの氷が3つ、

カラカラって鳴るみたいに

こんなに重さのない、可憐な響きでいいの


ことあるごとにわたしの身体の全細胞へ

きらきらと反射し始めて

なんだか早朝の海の波の

表面の軽やかな凹凸みたい


どうしてみんな、そんな笑えるの
なんでそんな、いろんなことがこわくないの
不安じゃないの

私が弱いだけ?

私がどうしようもない人間なだけ?


誰も教えてくれない

何を信じたらいい

急に消えるでしょ


私だって、急に消えるしさ


あなたの言葉が欲しかった

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