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頑張れない理由

「さあ、ちょっと一発頑張りますか」
心の奥底からふつふつとエネルギーが沸き、闘志を燃やすような経験はあるか。私にはある。漢字ドリルを誰よりもはやく終わらせようと集中して手を動かしたり、テストで学年一位を取ろうと猛勉強したり、部活動で成績を残すために汗を流して楽器の練習をしたり。学生時代の私は、目の前のことを意欲的に取り組み、「やるからには一番」の精神で努力した。けれど、今は違う。社会人になってから、学生の頃のように夢中になることが減った。仕事は嫌いじゃないのに、熱を持って取り組めないし、趣味の音楽や物書きもイマイチ中途半端だ。もっとできるはず、と思いつつ、行動に移せない。

私が前みたいにキラキラ頑張れない原因はきっと、社会人というものが
①     競う環境が少ない②期限が存在しない③成長の機会が降ってこない
からだと考えた。


①     競争環境が少ない
会社には同期や先輩など仲間がいる。けれど、誰もが同じ目標を持っているわけではないし、あえて出世を望まない人までいる。学生時代は400人の同級生がいて、色んな考えの子がいるなかでも母数が大きいため、同じ目標に向かう友達に沢山出会えた。だからこそ、競争感覚がクセになり、それがゲーム感覚に近く、闘志を燃やした日々があったのかな、と思う。

②     期限が存在しない
例えば、「もう完璧に覚えたと思ったら、テストを受けに来てください」よりも、「一か月後のこの日にテストをします」の方がやる気が出るし、モチベーションや勉強の質が高まる。仕事、スポーツなどもきっとそうだろう。学生生活は年間を通して部活・勉強・校内イベントが決められているので、頑張りやすかった。一方、社会人生活はすごく長期的で、終わりが見えないからこそ、ダラダラとゴールのないマラソンをしている気分になる。それが「覚えたらテストを受けに来てください」に近い気がした。結局あなた次第ですよ、みたいな。卒業のような区切りもなく、どこの会社でどれくらいの期間働くかも、本当に自分次第。これが、モチベ―ションを保つのが難しい理由だと考える。

③     成長の機会が降ってこない
この要因が一番大きい気がする。社会人は学生ほど縛りのない生活のため、とにかく自由度が高い。どんな趣味を持つか、何に時間を割くかだって、全部自分で決められる。好きなことに全集中できる反面、新たな成長の機会に出会うことが激減する。例えば、学校では「裁縫」や「水泳」など、誰もが様々なジャンルのことに嫌でも触れる。しかし、社会人になると、そのような「新しいことに触れる機会」はない。世界を広げるためには自分で見つけに動くしか方法がなく、能動的でないといけない。運動すべき、と判断するのも自分だし、動く機会を作るのも自分。嫌でも朝のラジオ体操があったあの頃とは違う。

結局この3つの要因は、「他責」だ。頑張れないのは環境のせい、と言い切っているこの文章は、どう考えてもダサい。けれど、「なんであの頃頑張れていたのか」を分析できたのは自分的にプラスになった。だって、そのころのような仕組みを、自分で無理やりにでも、ちょっと勇気を出してでも作ってあげれば良いのだから。興味がなくても行ってみる、とか、社外に同じ目標や価値観を持つ人がいないか、SNSで探してみる、とか。現状を、昔のような環境に自力で似せれば、何か変わってくるかも。
そんな風にして、前みたいにキラキラ夢中になれる生活を、試行錯誤しながら実現したい。

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