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生命の息吹はお断りしますけど

「生命の息吹の練習をさせていただけませんか?」

公園で突然おじさんに声をかけられた。

音も流さずに振り付けを確認していた私たちはぴたりと踊るのをやめ、その中肉中背の冴えない男に不審と好奇の目を向けた。


当時私は大学のよさこいサークルに所属し、柄にもなく踊り狂っていた。考えなくても体がひとりでに動き出す。指先に感情を乗せひらり、太鼓のリズムで飛び、風を切って回る。それまで勉強一筋だった文学少女は、体ひとつで表現する喜びに満ち満ちていた。

秋になると各地で祭りが開催される。そこでの演舞を目標に、爪から頭の先まで美しい動きを極めていく。一般的なダンスより穏やかに見えるが、中腰でいる時間が長く、抑揚も激しい。自分たちの演目に加え、プログラムの最後に出場チーム全員で踊る曲(総踊り)も覚えなければならない。

普段はキャンパス内のピロティーやダンススタジオをレンタルするのだが、夏休みの練習は公園。炎天下だとシャツの色が変わるほど汗だくになり、無数の蚊に噛まれた脚はパンパンに腫れ上がる。和気あいあいとは程遠いハードさだが、他のよさこいチームだけでなく、ヨガを楽しむおばさまや列を作って散歩する幼稚園児、トランペットを奏でる学生などみんなが思い思いに過ごしていたので、珍しがられることもない。


そんな中で話しかけられたものだからつい黙り込んでしまう。これといった特徴もなくどこにでもいそうな気弱なおじさんだが、「生命の息吹」って。壮大すぎる言葉の組み合わせがどうにも胡散臭い。「どうする?」「場所変える?」チームメイトは目配せで会話する。不穏な空気を察したおじさんが食い下がる。

「あの、体で痛いところとか凝っているところとかないですか?」

これはさらに怪しい展開!
疑いの眼差しをじっとり向ける私。

「手をかざすだけで症状が和らぐんです。私はまだ練習中なんですが、よかったら試しませんか」

あくまで「手を貸してほしい」という低姿勢を貫くおじさん。

こんなん絶対、怪しいスピリチュアル団体の下っ端やん!
効果を実感する素振りでも見せようものなら、「実はこういう治療もしてまして」とかなんとか若葉色のチラシを見せ、得体のしれない施設に案内されるや高額な請求をしてくるに違いない!

人一倍の警戒心を育む私は即座に確信した。愛想笑いを絶やさないように意識しながら、頭の中ではせっせと断る口実を探す。ところが横では先輩が肩やら腰やら擦っておじさんの求める「痛いところ」を探しているではないか!

「あー言われてみれば肩が、気功みたいなものですか?」と興味津々で質問を繰り出す先輩。

「近いかもしれません」とおじさん。

気功なら知ってるしと俄然やる気になるチームメイトたち。よさこいなんて根からの祭り好きの集まりである。ちょっと怪しかろうが危なっかしかろうが面白そうならおかまいなし。ガンガン首を突っ込んでいく。

「体も柔らかくなりますよ」

おじさんの悪魔のささやきに「はいはーい」と威勢よく手を上げたのは、なんと女子マネージャーさん。促され無邪気におじさんの前へ。

「いやいやいや、ちょっとちょっと」

私が止めようとするも、「大丈夫です。体には絶対触れませんから」とそこだけは強く言い切られ、しぶしぶ引き下がる。本人が嫌じゃないなら仕方ない。

「じゃあ、まず立ったまま前屈してみてください」

えい、と体を半分に折るマネージャーさん。指先は脛ぐらいまで。地面に近づけようと腕を伸ばすが、15センチほどの空間は埋まらない。

本来の柔軟性を測ったところで、生命の息吹とやらの出番である。みんなが囲むようにして見守る中、おじさんはマネージャーさんの腰のあたりに手をかざし、筋肉をほぐすようなイメージで空気をやわらかく撫でていく。肩甲骨、背中、腿とゆっくり手を動かす。目にぐっと力を込め集中するさまは、内なるパワーを絞り出す整体師にも、魔法をかける演技をしてタネをごまかすマジシャンにも見えた。


「では、もう一度前屈を」


一通りの施術が終わり、ついにその真価が問われるとき。緊張した表情のマネージャさんに一斉に注目が集まった。数分前まで疑っていた私も、「さっきより体が軽い感じがする」という彼女の言葉に、もしかしたらと思い始めている。高まる期待に昼下がりの公園が一瞬静まった。

「えい」

一思いに体を曲げる。私たちの熱い視線が彼女の指先に注がれた。

「えっと……」
「あー、うーん」

はっきりしない言葉がぽつぽつと上がる。正直に言うべきか決めかね、気まずい間をなんとか取り繕う先輩たち。

マネージャーさんのかぼそい指は相変わらずコンクリートの15センチほど上をぶらぶらしていた。

ぺちゃんと手が地面に触れるくらい歴然としていれば「すげー」と素直に歓声を上げられたし、膝にも届かないくらいなら「さっきより固くなっているじゃないですかー」とツッコミをかますこともできた。なんともパッとしない結果。そもそも最初の測定自体が「脛ぐらい」と曖昧。きちんと定規で測っていればひょっとすると数ミリぐらいはやわらかくなっていたのかもしれないが、まあ、あと祭りだ。

こんなビミョーな空気にしておいて、当のおじさんが一番戸惑っていた。言い訳のひとつもしてくれない。ただ目をぱちぱちさせるだけ。

「一回目、どんなもんやったっけなあ」
「お、覚えてないからなあ」

先輩たちが気を遣う。
マネージャーさんも「さっきよりも楽な感じがするよ」とフォロー。遠慮がちな拍手が起き、おじさんは「続けていけばだんだん効果が出ます」と調子を取り戻す。

なんとか丸く収まりそうだった。が、私は胸のざわつきを抑え込めずにうずうずしていた。言わなくていい。黙っておけ。頭ではわかっているのに口は勝手に開く。


「一回目で体がほぐれただけじゃないですかね。スポーツテストも2回目の方が結果は伸びるじゃないですか」


しーんと沈黙。賑わいが遠くなっていく気がした。先輩たちはどうにかフォローしようと言葉を探すが、本当は同じように思っていたのだろう。「そういう見方もあるかあ」「まあ、一回ではわからないですよねえ」と愛想笑い。おじさんは笑ってはいたけれど、すっかり覇気を失っていた。

「ありがとうございました」

と場を乱すだけ乱したおじさんは早々に退散。
公園の出口へと向かっていく。


「なんか、かわいそうだったかな」

見送りながら先輩が隣でぽつりつぶやく。
しょげて丸くなったおじさんの背中からはちっとも生命の息吹を感じなかった。

確かに厳しい仕打ちになってしまった。修業中と言っていたし、少し自信が欲しかっただけかもしれない。だけど、私たちには必要なかったんだ、生命の息吹なんて。


祭りの熱狂と高揚を思い出していた。「今日は思いっきり楽しむぞ!」いつになく大きな先輩の掛け声に、「シャーッ」と腹の底から空に投げた鬨。音に身をゆだね、生の風と踊る5分間。数百人が一斉に舞う総踊り。チームのメンバーと踊っていたはずが、いつの間にか全然知らない人たちの輪の中にいる。運営スタッフも観客も一緒になって踊る。相手が誰だっておかまいなしで手を打ち鳴らし、「それ!」「せいやっ!」と叫ぶ。

もう二度と巡り合うことのない人たちとひとつの踊りを共有するあの瞬間、気温を1度も2度も上げるほどのエネルギーを放出する私たちこそが生命力の塊だった。どんな経緯で平日の昼間っから得体のしれないパワーの修業をする生活になったのかはわからないけれど、おじさんに分け与えてもらうものなんてなんにもなかったんだ。


今や私も肩は凝る、腰がだるい、視力も聴力も落ち、ちょっとでも脂っこいものを食べようもなら胃が重たい。体のあちこちにガタが来て、それこそ神に頼みたいくらいだ。あんなに熱を上げていたよさこいも1年足らずでやめてしまった。

だけど、もし、またあのおじさんに声を掛けられることがあるのなら。「よさこい祭りでも観に行きません?」勇気を出して誘ってみようかな、とぼんやりと夢想している。生命の息吹はお断りしますけど。


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