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アラフォーのワニと100日後に死ぬワニ【癒しを求めて別府旅⑤】

あんなに鬼尽くしだったじゃないか。
それが何故、急に、ワニなんだ。

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右も左も見渡す限り頑丈な檻が続く。
動物園にしたってあまりにおっかないここは「鬼山地獄」。

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メインの地獄はもうもうと蒸気を噴出し、色も薄緑色でいかにも温泉らしい。にもかかわらず、あまり印象に残っていない。ワニが70頭近くいるのだ。

いっぺんにこれだけのワニを見ることもそうそうないだろう、と浮足立っていたのは最初だけ。眠たいのかどのワニも置物のようにじっとしてぴくりとも動かない。「あれ、これ生きてるよね?」と確認する声があちこちで上がる。顕微鏡で覗いた自分の手の甲みたいにごつごつした表面は、すっかり渇き深いしわが刻まれている。黄色く濁った瞳だけがじっとりと無防備にはしゃぐ人間たちを追っている。進めど振り返れど絡まってくる視線にこちらのほうが闖入者ではないかと居心地が悪い。


餌やりが始まるというので、大きな池のある多頭飼いの檻に行ってみる。飼育員さんがやってくると、折り重なるように浮いていたワニたちがそわそわ。我々に向けられていた視線がワニ同士でぶつかり合う。バチバチと張りつめたものを感じ、これが野生の血が騒ぎだす瞬間かと息を呑む。

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飼育係のお姉さんが巨大なトングので肉の塊を差し出した。一番近くのワニが鋭利な牙をむき出しにして勢いよくとびかかる。ガンッと仲間にぶつかる音。高く上がる水しぶき。迫力もすごいが、強きものが獲物を仕留めるときの容赦ないむごさにぞくっとした。そばにいた男の子がぎゃんぎゃん泣きだす。なかなかカオスなパフォーマンスである。

このおっかなさを緩和するためなのか、親近感を持ってもらうためなのか、柵にはそのワニの名前や年齢を紹介するパネルが貼られていた。そもそもは大正時代、創始者がマレーシアから連れてきたのが始まりだそうで、「イチロウ」と名付けられた。その血筋なのか「三代目イチロウ」はひときわ大きく貫禄があった。イチロウみたいに人間っぽい名前もあれば、今時なのもある。飼育員さんはちゃんと見分けがつくんだろうか、と眺めていると気になる文字を見つけてしまった。

「ナナシ」とある。間違いなく名前の欄に書かれている。

檻の中を覗いてみたがいたって普通だ。

はて。これは名前が「ナナシ」なのか、そもそも“名無し(名前がない)”のか。一見名前を付けてもらえない原因はなさそうだが、これが後者ならかなり切ない。


いたたまれず奥へと進むと、より複雑な文言が飛び込んできた。思わず声に出して読み上げてしまう。

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「ぼくたち、アラフォーだよ!!」

見出しに劣らぬビッグなフォント、ポップな字体。力強くビックリマークはふたつ。当のワニたちは相変わらず死んだように身動きひとつしない。「言わされている」感がすごい。

ある一定の年齢で区切る人間特有の価値観をワニに適用しているのがじわじわくる。そもそも「アラ〇〇」という言葉は自虐的に使うことが多く、そんなに意気揚々アピールするものでもない。百歩譲って、「ぼくたちももうアラフォーなんで昔ほど顎が動きませんわ!!」だったら哀愁的なものを感じたかもしれない。

帰宅してからも「ぼくたち、アラフォーだよ!!」は何度も思い返してしまう。滑稽であり、どこか胸がざわざわする。

最近、Twitterで『100日後に死ぬワニ』というのを読んで、彼らのことを思い出した。きくちゆうきさんという漫画家が毎日“100日後に死ぬ”ワニの一日を四コマに描いていく。ワニくんは自分の運命を知らないのか、漫画の続きを楽しみにしたり、一年後の予約を入れたり、入院している友達を励ましたり、二度寝して時間を無駄にしたりするのだ。先を知っている私たちは、「限られた時間を誰かのために使うなんて」と感動したり、「もっとやりたいことやれよ!」と突っ込んだりして更新を待つ。

でも、「いつ終わるかわからない」のは私たちも一緒なのだ。限りある一瞬一瞬をどう生きるか。後悔しないようやりたいことをやって、大切な人を大切にする。「アラフォー」とか「アラサー」とかいう言葉は、なんとなく、その対極にあるような気がする。忘れちゃいけない絶対的真理から、自虐と仲間意識はそっと目を背けさせてくれる。

別府のワニたちよ。
アラフォーだっていい!名前がなくたっていい!

思う存分恋をして、肉を食らって、言いたいことを言って生きろ!

遠く関西の地で熱いこぶしを突き上げる。


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※エッセイで紹介できなかった白池地獄もミルキーな青と日本庭園の美が融合したステキな地獄でした。ぜひ!

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