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迷子のすすめ【癒しを求めて別府旅②】

迷った。

亀川駅前、バスの案内看板を前に思った。


そもそもは市場で海鮮丼を食べたかったのだ。

ところがたどり着いたのは「関係者以外立入禁止」のすげない札。業者さんしか入れない別府市公設地方卸売市場と飲食店のある大分市公設地方卸売市場を勘違いしていたのだ。下調べを怠った罰である。

ちなみにそこから車で30分ほど離れている。こう聞くと近く感じるが、徒歩ならなんと3時間半!地獄にたどり着く前に地獄である。


泣く泣く海鮮を諦め、地獄が集まる鉄輪エリアにバスで向かうことにしたのだが、ロータリーには逆方面のバスばかりが入ってくる。本当にここで待っていていいのか。

「すみません」

途方に暮れていると背後から突然声を掛けられた。

これはもしや神からのお告げかもしれん!

勢いよく振り返ると、ガラガラを引いた地元感100%のおばあちゃん。今し方私たちが睨んでいた看板に目をやった。道を教えてくれるのでは、と淡い期待が胸を掠める。

「ヤクショって、どこです?」
「あ、はい?」

突然のことにきょとん。

「ヤクショって、あの役所ですか?」
「役所です」
「市役所のことでいいですか?」
「いえ、役所です」

耳馴染みのない言葉に戸惑い、自分たちも迷っているという肝心なことを告げられぬまま、役所について掘り下げてしまう。おかげでおばあちゃんも「このへんにあるって聞いたよ」「場所変わったんかいね」とぐいぐい。いやいや、数十分前に人生で初めて降りたったんです!案内なんてできません、ロザンでもできません!どこからどう見ても旅人風情、いや迷子風情の私たち。大分県民のオーラが出ていたんだろうか。

困り果てていると運良く側を通ったおじさんが「ああ、役所ね!」と気づいて場所を教えてくれた。ほっと一安心、したのも束の間、役所探しの間に目的のバスの時刻が過ぎている。が、一向に来ない。もしかしてもう行ってしまったのか?空腹も相まって焦る。このまま待つべきか動くべきか……


「循環バスやし、最悪ぐるっと回って着くやろ」
とせっかち3人組は結局次に来た逆方面のバスに乗り込んだ。一日乗車券があるので値段は問題ない。むしろモト取れまくりだ。席についてふうと一息。するとタッチの差でバスがもう一本。振り返ると電子板には鉄輪行きの文字。

「うわ、うしろのバスやん!」
と気づいた時には発進済み。手元の路線図を確認すれば、次の亀川新川駅までは同じルート。その先の交差点で別れるらしい。すぐに降りて乗り換えれば間に合うのでは!?こういう時だけ勘が冴える。すぐさま降車ボタンを鳴らし、たった一駅、約50メートル先で降りた。

が、もたもたとパスポートを提示している間に、地獄行きのバスは私たちには目もくれずするすると通り過ぎていった。
嗚呼、無情。
人生で初めて50メートルのためにバスを利用した。なんだかものすごく疲れたし、損した気分。
いや、これもフリーパスだからできる所業、前向きに考えるより他ない。


次のバスは20分後。
これ以上時間を無駄にはできないので歩く。
人通りの少ない緩やかな坂道をぶらぶらと。
遠くの山並みに白い橋がかかっている。どうやらあのあたりに大学があるようだ。
Googleさんによると20分くらいの道のりらしいが、これといった飲食店も見当たらずさすがに不安になる。


こういう時に限って別れ道。勾配は急になるが車道沿いの確実に血の池地獄にたどり着ける道と、住宅の間のなだらかだがどこに続くか分からない道。

「どうします?」と同僚に指示を仰ぐ。

ここまで勘という勘を外しまくっている。
今日は明らかにツイテナイ。

なぜだろう。
そんなときほど冒険したくなる。

迷いもなく脇道へ。
一歩踏み入れれば、道の匂いも変わる。
そこでは〝日常〟がひっそりと息をしている。


ってあれ?
本当に臭いが違うかも。


側溝の柵の部分からもわもわと薄い蒸気が漏れていて、それがどうにも硫黄くさいのだ。
試しに手をかざしてみると、じわっとあたたかな水気がまとわりつく。

温泉だ。
側溝に温泉が流れている。

少し先では猫が湯煙で腹を温めていた。
私たちが近づくと退いてくれるのだが、離れるとまた定位置に戻ってくる。ここの猫にとっては側溝が温かいのが当たり前なんだなあ。

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一見、なんの変哲もない道だけど、アスファルトはところどころ赤茶けている。
お湯が流れ込んでいるところを発見。ここは一番濃い、錆びたような赤だ。目に映るものすべて、セピア色のフィルターがかかったみたい。


勘は外れてなかったんだ。


と、そのとき気づく。
大分市の市場で海鮮丼を食べていたら、あと10秒待って正しいバスに乗っていたら、私たちがこの道を歩くことはなかっただろう。

道を赤く染めるお湯の不思議さも、手のひらをやわらかく濡らす蒸気の温もりも、それを利用する猫の強かさも、全部知らないままだったのだ。


なーんだ、私たちの旅センサーは絶好調だ。
心なしかステップを踏むように地獄へのみちをゆく。

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