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任天堂の歴史1 (花札 → トランプ → 玩具 → ゲームとの出会い)

誰かに説明しようと思うたびにほぼほぼ忘れているので、備忘のために書き残します。

京都の老舗企業ですが、なんだかんだでターニングポイントで海外とのつながりがあるんですね。

気が向いたら続き書きます。




花札 → トランプメーカー

100年くらい前の初期の任天堂は花札の製造をしていた。

なぜそれが良いビジネスだったかと言うと、花札は賭け事に使われていたから。不正を防ぐためだったり、縁起が良いから(?)か、賭博での花札は、古い物が使い続けられるわけではなく、新品の花札が使われていた。つまり、賭博業界からは新品花札へのニーズが常に発生していた。

その後、1953年に任天堂はプラスチック製トランプの量産を開始した。紙製のトランプはすぐに痛んでしまうイシューがあったので、プラスチック製であることに意味があった。新素材でのトランプ製造を内製化し効率化したことで、紙製のトランプを手作りする中小企業に対する優位性を確立した。手作業の職人技から、仕組み化された工業に進化した。


Key Takeaways

  1. 今利益を生んでいるプロダクトに満足せず、近接する有望な市場へ進出することを常に検討する

  2. 有望な新たな技術に投資することを恐れない


蛇足だが、花札の歴史もおもしろかった。
もともとは安土桃山時代にカルタがポルトガルから伝来している。その後カルタは賭博に使われるようになったので、禁止された。そのカルタ禁制を逃れるために、数字やら記号やらを取っ払い、和風の絵柄に変えた物が花札になったとのこと。
その花札も賭博に使われたので結局禁止となったが、明治に入りトランプが海外から入ってくるようになり、花札の販売も事実上許可され始めたらしい。なるほど。


ディズニー → IPO

アメリカのディズニーは日本市場への進出を検討しており、1959年に任天堂がディズニーキャラクターを使ったトランプの独占販売ライセンスを獲得した。

このディズニー提携はアイコニックだが、実はそこだけではなく、浮世絵トランプや立体印刷トランプなど様々なアイデア商品を発売していた模様。

子供でも遊べるトランプ市場の中でPMFを達成し、グロースした。
この流れでIPOを果たした。

※ ディズニートランプ、メルカリでもありました(これとかこれとか検索結果とか)


Key Takeaways

  1. 初期のビジネス業態にとらわれずに、近接業態への拡大を検討する(メーカー → ライセンスビジネス)

  2. 失敗を恐れずにアイデアを形にして市場に出す


トランプから玩具、そしてゲーム業界へ

その後多角化を進めたが失敗(タクシー業界にも進出したことあるらしい)。

だが、新たな玩具として販売したマジックハンド「ウルトラハンド」が大ヒット。アラフィフあたりの人は見たことがあるはず。ちなみにこの玩具は任天堂初の初の大卒新卒社員の横井軍平が作っている。

玩具路線の中で、銃で光を的に当てる「光線銃SP」がヒット。さらに、当時人気が落ちていたボーリング場を使って、スクリーンに映る円盤を光線銃で撃ち落とすアトラクションを開始。いっとき人気を博すもオイルショックの波を受け低迷する。

ちょうどその頃、アメリカのMAGNAVOX社が世界初の家庭用ゲーム機「ODYSSEY」を発売していた。そのODYSSEYは初の光線銃ゲームを発売しており、別売りされていた周辺機器の光線銃を作っていたのは任天堂だった。

ここで、任天堂がビデオゲームと出会った。


Key Takeaways

  1. 若手に大胆に任せよう

  2. 人生色々あるけど頑張ろう




出典


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