探してはいけない人
逢いたい人がいる。とても逢いたくて、何年も逢いたいと思い続けている人。でもきっと逢ってはいけない人。
就職してすぐつきあって半年で別れた、かなり年上の人。
私、あの時のあなたの歳を追い越しました。あの時はできなかったけど、今ならできる話があると思うの。
心の奥でそっと話しかける。月を見ては思い出す。
あれから長すぎる時間が過ぎてしまった。今何しているか、どこにいるのか分からない。ググってみてもその人の名は見つからない。
生きているのかさえ、分からない。
たまらなく逢いたくなる時がある。今探さなければ、時間が経つほど逢える可能性は下がる。わかってる、だから焦ってる。
いっそ探偵に頼めば見つかるかもしれない。氏名、生年月日、当時の住所と職業、そして写真。これだけそろっているから、きっと簡単に見つかる。10万円くらいのお金と勇気があれば、きっと逢える。あの笑顔と懐かしい声に。
でも、と思う。あの人を探すためにそんな大金をかけていいのだろうか。命を削って働いた代償の大切なお金。甘い、ふわふわした思い出のつづきのために使っていいの?
あの人と逢うことで私は幸せになれるの?
思い出補正されているイメージと現実の落差に失望するだけじゃないの? なにより、あの人と恋愛関係になってはいけないことは、私が一番知っていることじゃない?
なにより、大切な人を傷つけることになるんじゃない?
いくらあの人が今はおじいさんだからと言って、探偵まで使って探したら特別な感情を持っていると思われる。私もそれを否定できない。
それに
あの人が私にあいたいと思うとは限らないじゃない。
そこまでやったらストーカーだとドン引きされるのが関の山だよ。
やめた、やめた。私の独り芝居、妄想、おばさんの暇つぶし。リスクしかない願望を実行するメリットはない。何年もくすぶっているこの思いは、現実逃避でしかない。
何もしないなら、何もできないなら、忘れよう。
忘れることすらできないのなら、胸の奥底に沈めておこう。北の地にある、冷たすぎて中に入ったものが腐らないという透明な池に沈めるように。静かに深く深く。逢いたいと思ったことすら、いい思い出になるように。
あの人が幸せでありますように。それだけを祈ろう。
お読みくださりありがとうございます。これからも私独自の言葉を紡いでいきますので、見守ってくださると嬉しいです。 サポートでいただいたお金で花を買って、心の栄養補給をします。