被虐待児のクリスマスとその後
子どもの頃のクリスマスに良い思い出はない。
父が帰ってくる物音がすれば、恐怖と緊張で全身が硬くなった。酔って帰宅した父は大声で怒鳴り散らし、母に暴力をふるった。プレゼントもツリーもない、逃げようのない狭い、和室2間の風呂なしアパート。ときとしてそのまま、一方的な夫婦の営みを聞かされることもあった。
この時私は思春期だった。私は父を憎み、恨んで育った。
母は母で、他の男と飲んだくれて0時を過ぎて帰ってきた。歩けないほどにしたたかに酔った母は、そのままトイレで朝までつぶれていた。これが私のクリスマスプレゼントだった。
これも私の思春期の出来事だ。私は母を軽蔑し、汚らわしく感じて育った。
世間が浮かれているクリスマスに、よその子がプレゼントを楽しみにするクリスマスイブに、私に与えられたのは逃げようのない家庭という名の地獄だった。
子ども時代のクリスマスの思いでは以上の二つしかない。幸せな思い出もあったかもしれないが、腐臭を放つどす黒いタールのような悪夢にすべてが塗り尽くされてしまった。
クリスマスを楽しめるようになったのは、彼氏ができてから。それからのクリスマスは、温かい楽しめるものになった。
始めてクリスマスを安心して過ごせたのは、20歳のときだった。
夫もクリスマスの思い出がない。私たちは毎年二人で幸せなクリスマスの思いを積み重ねている。あの地獄でうけた傷が早く癒えるように。
お読みくださりありがとうございます。これからも私独自の言葉を紡いでいきますので、見守ってくださると嬉しいです。 サポートでいただいたお金で花を買って、心の栄養補給をします。