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昭和後期、銭湯の思い出

銭湯育ちの私は、いまや希少価値があるかもしれない。

小さな戸建や風呂なしアパートや、個人商店が立ち並ぶ商店街がある、木造家屋密集地域で生まれ育った。ほとんどの道は狭く、絶好の遊び場だった。

最初の実家は、トイレ共同風呂なし木造アパート。なので、昭和40~昭和60年代に銭湯に通っていた。
メインで通った銭湯は2軒。メインの定休日や、友達と遠征したのは3軒。行ったことはないけど徒歩圏内にさらに3軒あった。
思い出せる範囲で、徒歩圏内で8軒もあったわけである。

約40年が過ぎて、1軒も残ってない。
銭湯の煙突が普通に見えた、あの風景はもう無い。



中3まで通った銭湯は、徒歩一分。商店街のはずれにあった。洗面器に石鹸箱とシャンプーにリンス、タオルを入れ、着替えを包んだバスタオルを洗面器の上にのせる。これが私のお風呂セットだ。後は小銭を持って、家を出た。
本屋、仕立て屋、靴屋、乾物屋、菓子屋、八百屋、煙草屋、ラーメン屋の前を通れば、もうお風呂屋さん。子どもの頃は、遅い時間にはお風呂に行かないから、行き帰りは活気のある商店街を歩いていた。

友達と一緒に行ったり、同級生とバッタリ会ったりもした。戸建の家でも内風呂が少なかった時代。さらに職人の多い土地柄で、風呂なしアパートも特に多かったのかもしれない。

下駄箱の鍵は、切手大の分厚い木の板。女湯の引き戸を開けるとすぐ番台。ここでおばちゃんにお金を払う。
男湯と女湯の境目は壁一枚。脱衣所も浴室も境の壁の上は開いていて、出るよー、なんて声が聞こえたりした。

脱衣場は板の間。重ねてある脱衣籠を取って、そこに脱いだ衣類と着替えを入れる。鍵付きのロッカーもあったが、使う人は少なかった。男湯も女湯も脱衣場は番台から丸見え。盗難があったという話は聞いたことがない。

銭湯イメージ

             イメージ(東京都浴場組合のHPより)

冷たい飲み物が入ったガラスケースがあり、入っているのはビン飲料。ペットボトルなど影も形もなかった時代である。

たまーに風呂上りに買って飲んでいた。

銭湯の屋根は高く、3~4階の高さの吹き抜けだった。浴室の高い天窓から陽が入れば、湯気で日の柱がみえた。

浴室はタイル張り。引き戸の入り口のすぐ横に、黄色のケロリン桶が重ねてある。湯気で視界は軽くかすむ。

正面にはお約束の銭湯画。絵は男湯と女湯で違い、銭湯によっても色々だった。富士山だけでなく、松原もあった。湯船は一つの湯船を二つに区切り、熱い湯と普通の湯に分かれていた。

脱衣所の男湯との境の壁には大きな鏡が張ってあった。体重計は大きな鉄製のはかり。丸い大きな時計のようなメモリが目の高さについていた。つまり、後ろから体重をのぞけた。

やがて、この銭湯は廃業した。最後はお湯の温度が安定しなかったり、カランのお湯に灰のようなものが混ざったりした。多分、設備の老朽化で閉めたのだと思う。


次に通ったのは銭湯も近くて徒歩4分くらい。ただ、その道のり全てが人気が無くて、静かだった。この時、私は高校受験を控えていた。理由は覚えていないが、銭湯へは夜遅くに行くことが多かった。
家から、本屋、仕立て屋、元靴屋と行き、お地蔵様の前からさらに細い、車一台通るのがやっとな路地に入る。周りは住宅で人目はない。路地は小川の暗渠で行き止まり。暗渠は遊歩道になっていて、ここも夜は人気がない。恐々暗渠を進み、自動車修理工場の前を曲がり、大通りに出る。車どおりも少なく、豆腐屋の前から道を渡るのは簡単だった。
向う側でまた細い路地に入る。一つ目の角を曲がると銭湯の灯りがみえる。夜に一人で行ったときは、この灯りが見えるとホッとした。

私の銭湯通い史上、記憶に鮮明に焼き付いているのは、この2番目の銭湯時代だ。
私は中学3年生、受験生。父、不倫相手の家に入り浸り。母、経済的不安から日中は社員食堂の皿洗い、夜に居酒屋の皿洗い。弟、小学3年生、言うことを聞かない。
常にキリキリしている母と、生意気で短気な弟。自分の部屋のない受験生の私。家の中の空気は常に張りつめていた。

銭湯の営業時間は0時まで。私は23時ごろお風呂に行っていたような気がする。親がいたら絶対に一人で出歩けない時間である。
銭湯の行き帰りは、一人になれる貴重な時間だった。とは言え怖いので、人気のない暗い道をビクビクしながら速足で歩いた。その時仰いだ空を、はっきりと覚えている。
銭湯の灯りがどれほど、頼もしく、暖かく見えたことか! 女湯のドアを開けて人がいると、どんなにホッとしたことか。

銭湯にあるドライヤーは、昔のパーマをかけるときのような頭全体をすっぽりと覆うもの。もちろん有料だったが、冬は髪を乾かさないと湯冷めするので使っていた。
寒い日はのぼせるギリギリまで湯につかり、熱を蓄えて帰宅した。

この時、昭和60年代。風呂のある家が増え、銭湯で知り合いにあうことはほとんどなくなっていた。

やがて、最初のアパートを立ち退いた。3点ユニットとはいえ、風呂のあるマンションに引っ越した時はうれしかった。
夏に汗だくで帰ってきて、すぐシャワーを浴びるのが夢だったのだ。

* * *

ボタン一つ押せばお風呂が沸く生活をしている今、銭湯を懐かしんでいる。番台と脱衣籠に黄色い桶、白いタイルの床、白い壁、高い天井。大きな壁に描かれた銭湯絵。
もう一度、最初に通った銭湯に入ってみたい。 

ちなみに当時の入浴料金は、12歳以上260~270円。
銭湯の営業時間は16時~0時、定休日は週1日だった。




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