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11月30日 新しいキーボードの話と映画を観に行った話

みなさまこんばんは。
津麦ツグムです。
残すところで11月も今日が最後になりました。
明日になったら師走ですね。大忙し。ひい。
今年も今年とて、色々とあったような、自分にとっては大した影響もなかったような、なんというか押し流されていく風景に圧倒されて立ち尽くしているうちに、自動運転の動く歩道で知らないうちに15メートルほど移動していたような、そんな気分になっています。
得てしてか、必要性があってか、どうにかこうにか、ひいこら言いながら変わってきたような気もすれば、その実自分自身は1ミリも変化も成長もしていないような気分に襲われることが歳をとるにつれて増えてきたような気がします。
ちょっとだけ諦めているような、でもなんとなく居心地が悪いような。
なんとも座りが悪い。
だからといって、変化しないことを悪だとも退化とも思わないし。
周囲の環境も含めて変化していないか?と聞かれると全然そんなこともないし。
まあこういったどうしようもないことをつらつらと考えて、煮え切らないまま、ずぶずぶと思考する辺りは全くもってなんの変化も進歩もありません。
考え事をし始めるのは自分の悪癖でもありますが、ある種の趣味でもあることをいい加減受け入れるべきですね。
一番手軽で、何をしている時でもできてしまうのがよくないポイントで、ついでにいうと気に入っているポイントでもあります。本当にどうしようもない。

⚠️WARNING⚠️

2つめに書いた映画の話のテーマは「ボクたちはみんな大人になれなかった」の超超個人的感想という名前のボヤキです。
ネタバレ等はないように配慮して書いていますが、映画を観る前には一切合切の情報をシャットアウトしたい系の方はご遠慮ください。
あと、めちゃくちゃこの映画が好きで火力強めの信者になってしまった方も、あまりよい気分にはならない危険性があります。
そのあたりはご自衛ください。

キーボードを買った話

さて、先日「キーボードの上の蜘蛛」というブログ記事をあげました。
ちょこちょこ読んでくださっている方もいて嬉しい限りです。
そんなのを書いた矢先に、ついに蜘蛛の舞台であったキーボードがイカれました。
逝かれた。大往生。
いや、大往生ではないですね。まだ1年くらいしか使ってなかったし。
オシャカになる、という言い方は果たして関東圏でも言うのでしょうか。
あまり品がいい言葉でもないような、なんとなくスラングっぽい俗っぽさと雑さがある印象があるので私はあまり使わない言い方ですが確か両親はたまにそういう言い方を物が壊れた時に使っていたような気がします。
もっとも、私とて「イカれる」という言葉をつい使ってしまうのでそう美しい日本語を正しく使うような人間でもないのですが。
とにもかくにも、キーボードが壊れました。
少し前から時々Bluetoothの接続が悪かったり、時々キーボードが反応しなかったりということがあったのですが、最近になると4回に3回くらいの頻度でキーボードにさわっていないのに勝手にキーボードが接続された端末に「111111111111111111111111....」とひたすら1が入力されるようになってしまいました。しかもホーム画面で入力すると勝手にGoogle検索をする仕様のタブレットのため「エンジェルナンバーとは」みたいな検索が自動で始まってしまいタブレットで他の操作ができないという問題が起こりました。
エンジェルナンバーがいったいどういうものなのか、あまり興味もわかなかったので特に調べてはいませんが、なんとなく「自動で1を打ち込み続けるキーボードと検索されるエンジェルナンバーという謎の言葉」という組み合わせが不気味で嫌になってしまいました。
あと、一度タブレットの不調かキーボードの不調なのか、どちらに原因があるのか確認するために携帯の方にBluetooth接続をしたところ接続して少し経ってからロック画面で1を自動入力し始めまして。
危うくロック解除コード入力の上限まで行ってより面倒くさいことになるところでした。
危ない危ない。いや本当に。
慌ててキーボードの電源を落としました。
ということで「もう無理」とキーボードに見切りをつけまして。
先日、たしか金曜日にたまたま渋谷にいく用事があったのでせっかくなら大きな家電量販店で探そうと思い立って買いに行って来ました。
ビックカメラだった気がします。
別に家電が特別嫌いということもないのですが、結構久しぶりにいきました。
家電量販店。
せいぜい、蛍光灯を買い換えるか、電球を買うか、イヤフォンを買うか、まあ、もしくはキーボードを買うか、くらいしか私には用事がない場所です。
上であげた中で一番多い目的はキーボードの購入です。
実はキーボードは今回で3個目です。
別にキーボードにたいしてあまりこだわりはないのですが、そのせいもあってちょこちょこ買っては1、2年使って壊す、ということが多いです。
まさに安物買いの銭失いですね。
探せばもうちょっといいのとかはいくらでもあるのはわかっているのですが、どうにも私は長時間の外出とか旅行がある時はキーボードを持っていきたくなってしまうので結局は気を使う「ちょっといいやつ」よりも雑にリュックやトートバッグに突っ込んでも気にならないような「まあまあのやつ」を選びがちになります。
タブレットは壊しそうだし、携帯ほど使わないし、特別コンパクトでもないのでお家でお留守番してもらうことが多いです。
携帯とキーボードをBluetooth接続して、携帯を横にして書くのでも私はあまりストレスを感じずにダカダカ文章がかけるタイプです。
フリップ入力もそこまで遅い方でもないし、インスタの文章はどちらかというとフリップ入力で作っているのですがなんというか、キーボードで打ち出す文章とフリップ入力で入力する文章ってちょっと違うような気がしてしまいます。
簡潔だったり短文だったりするものはならばフリップ入力の方がそれらしいのが書きやすくて、逆に今ここで書いているような考え事をつらつらと、まるでおしゃべりするみたいに書き出す文章や、小説等はやっぱりキーボードの方が向いているような気がします。
そもそもの指の動かし方や労力、慣れだとかもありそうですが。
こうやって考えるとちょっと面白いですね。

それはともかく、ようやく閉店間際のビックカメラに駆け込んで買いました。
新しいキーボード。
打ち込み音は前に比べてやや控えめ。
代わりにキックバック性が弱いのでこれから慣れていかないといけない気がします。いままで割りとキックバックで跳ね返って来た指を移動させていたのだなあ、とわかったのは新しい発見です。
これで多少は丁寧の文字を打ち込むようになり、ついでに誤字脱字も減ってくれたら嬉しいのですが、流石にそれは期待しすぎな気もします。
あとちょっと珍しかったのでキーが丸いタイプのキーボードにしました。
かわいい。とてもかわいい。丸いからといって特別四角いタイプと比べてアドバンテージがあるようには思えないけれど。
とりあえず、かわいい。
可愛いは正義。
何よりもこれで5日間我慢していた文章作成をダカダカ作れるのでそれが一番嬉しいですね。
できない状況だとより一層やりたくなってしまうのが人情というものです。たぶん。知らんけど。
あと、前回のキーボードの反省を踏まえて今回は2年間の修理保証があるタイプのものにしました。大事!!!

映画を観に行った話

先日映画を観に行ってきました。
場所は池袋のシネマ・ロサ。
きっと有名な場所っぽいのですが、私は不勉強ながら全然知らず、初めていく映画館でした。
なかなか趣深い建物で結構テンションあがりました。
一階に謎の焼きそば屋さんがあって、ちょっと美味しそうだったので気になったのですがお店の前を3往復するだけ結局入らなかったです。
「いこうかな」と「いやいや時間ねえよ」という思考も3往復半しました。
さて、観た映画は「ボクたちはみんな大人になれなかった」です。
Netflixでやっているらしいのですが、入っていないので・・・
原作は2年前に読んで結構好きだったのもありうきうきしながら観にいきました。
ざっくり説明すると「東京で女の子と恋をしたお兄ちゃんが、歳をとってからその子との思い出を思い出す」みたいな話です。
元々Twitterで人気の方が出した小説で、随所に1990年代あたりの東京のネタが散りばめられているもので、そのあたりも映像化するとなると面白そうだなあ、と思うって個人的に楽しみにしていたポイントでもありました。

ここからは超個人的な感想です。
というか、個人的過ぎて人に言っていいようなものなのか、とちょっと迷ってしまうところもあるのですがきっと観た方の中には私と同じような感想の方もいるはず!と思ったため、ここに書いておきます。
映画を楽しめた方からすると「それは!!お前の!!問題だろ!!」と怒られてしまう気もします。
楽しめた方が正直羨ましい、と思っています。
いや、本当に。マジでマジで。
というのも私は原作小説が楽しく読めたタイプです。
映画の再現率は極めて高かったと思います。
あの映画を観て「主人公のイメージが違う」という方はあんまりいなさそうだなあ、と思います。

ただ、私は映画になると急に置いてきぼりを食らったような気分になってしまいました。

なぜでしょうか。
答えは明白です。
これは100パーセント私個人の問題でしかないので、繰り返しますが映画のせいではありません。むしろ映像化という点でいったら十分すごいのだと思います。
答えは「その年代のトレンド知らんねん」問題です。
時代設定は女の子との出会った1995年あたりから現在までです。時々のことを回想するような感じですね。
舞台はもちろん東京。
ちなみに私は1992年生まれの今年29歳。
日本のど田舎出身。
絶妙に、本当にエアポケットのようにこの物語の舞台になった時代と場所に関する記憶はおろか中途半端に生まれていたこともあって知識もない。
人気だった曲やら文化もしらない。
それが東京サブカル系となるとなおさら。
しかし、そのあたりが劇中のファッション、音楽、小物、店名から詳細に再現されています。
そうなるとなんとも言えないのですが、ストーリーやすれ違いや、女の子に対する主人公の心情を楽しめて、えてして文字情報だけというところである意味では無視できていて、注目しなかった舞台背景が映像化されることで全面で出るようになります。当たり前です。
むしろそれは称賛されるべきことなのです。
ただ、その背景にあるカルチャーが嫌でも目に入ってくることでどうにも「ただのラブストーリー」ではなく「あのときのカルチャーを懐かしむ」ということも必要なのではないだろうか、という謎の義務感とそれができない自分の知識不足が頭のはしっこの方をチラチラしました。
しかもこの90年代から現在の2021年ってむちゃくちゃなスピードで技術が移り変わっていて、あんまりにも違う。
ポケベルとか、PHSとかからまさかのiPhoneです。
そういう大きすぎる文化の違いがあって、急に「ああ、全然、本当に、全くもって知らない場所の、知らない時代の、そういう世界なんだ」と思うと急にあんなに面白く読んで身近にさえ感じた主人公が遠い世界の住人になってしまったような気になってしまったのです。
文化や時代を目で観てしまったが故に、もうどうしたって感情移入ができない。
ジェネレーションギャップ、というやつです。
自分が思っていたより、もしかしたらジェネレーションギャップというのは深くて大きな河なのかもしれない、なんてことを映画を観終わったあとにぼんやりと考えました。

たぶん、私が一念発起してこの映画に登場する当時のカルチャーについて調べて聞いて観て勉強したとしてもこの感覚だけは拭えないのだろうな、と思います。
同じ時代を生きていて、そして同じ場所で過ごした人が抱くような共感と郷愁めいた感情を私が抱くことだけは絶対ありえないのです。
それはちょっとだけ寂しいような、それでもそれは仕方ないこととして片付ける他ないような、そんな気分です。
しかし、それで不思議になるのはやっぱり「じゃあ時代劇とかに感情移入できないって嘆くの?」という問いには間違いなく「違う」と答える自分がいます。

おそらく、そこにあるのは時間の距離感の問題。
あんまりにも昔過ぎて、今その時代を生きていた人なんていなくて、その時代の文化は残り香程度しか残っていないとそういった欲求や一抹の寂しさというのは生まれません。
むしろ完全なファンタジーやフィクションに触れるような、いっそ気楽な気持ちにさえなります。
しかし、90年代となると大体私の職場の先輩や上司やらが過ごした時代になります。
親世代と自分達の世代のちょうど中間地点。
あの時代にヒットして、いまだに人気があるブランドもたくさんありますし、歌手も聞いたことある名前の歌手が出てきます。
ようするに、身近の人々が過ごして来たらしき時代。
決して遠くなくてむしろ思い出話や好きな音楽や映画の話題になった時に幾度か上司の口から出てきたものがちょこちょこ登場する。
そういう距離だからこそ、近く、一方で現代では考えられない生活をしているという技術的、金銭的な距離感。
そういうのが一々絶妙だったから、私はこの映画を観てなんとも言えない気分になってのだろうな、と思います。

楽しめる人っていいな、と少しだけ羨ましいような気分を抱きながら、どうせ10年かそこら経てば次は私が懐かしく思ってしまうような何がしかの作品が出るんだろうな、と思ってしまいます。

楽しめた方、心底羨ましいです。
私と似たような感想を抱いた方、あと10年気長に一緒に待ちましょう。

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