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今のすべてがいつかの種で、今の種がいつかどこかで実を結ぶんだ

vol.82【ワタシノ子育てノセカイ

怒りや哀しみの痛さを叫ぶほど世界は廃る。

壊れそうな心ばかりが共鳴するから、重たくて沈んでしまうんだ。響きわたる声につい高揚して、浮き上がっていると勘違いして、しずしずとみんなで堕ちてゆく。

痛みを吐き出さずにかみしめろ。味わうという心を感じた瞬間に、今そこにある希望が輝きだすから。

ところで私には「実子誘拐」で6年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。

2024年5月28日火曜日、大雨警報。長男タロウと次男ジロウはどうしているんだろう。

警報が発令したときは、タロジロをいつでも迎え入れられるように、こっそりと準備している私。かれこれ7年目になるが未だ出番はないし、今や出番がないほうが吉報だと解釈している。

タロウが中学2年生になってからは、LINEにての安否確認ができるようになった。実子誘拐から5年目の頃で、スマホはもはや神さまだと確信している。我が子が無事に生きている、とわかるなんて凄すぎますもの。

携帯電話を発明してくれたマーティン・クーパーさん、ありがとう。あなたの50年前の発明が「子どもがモバイル端末を持つ」という文化を、今に根付かせたに違いありません。私たち親子の生命線になっています。

臨時休校らしき我が子の無事を確認すべく、タロウにLINEすると「無事やで」と返ってきた。軽快にメッセージを5ラリーほどすると、なにやら違和感をおぼえる。私は30分ほど間をおいて、タロウにビデオ通話をかけた。警報時に初の試み。

ほどなくして応答する声は予想外に高く、画面にはジロウが登場した。背景が自宅じゃない。違和感の意味がわかり、ビデオ通話した自分を陰ながら褒める。タロジロはサードハウスに流れ着いていたから、タロウは私に言い出しにくかったんだろう。

私はタロジロの食事があるのか気になってしまい、つい昼食について尋ねてしまったんだ。父宅で留守番している、とタロウは私の文脈を汲み取ったんだと思う。

そもそも母親がいない生活が7年目ともなれば、たとえ自宅待機だったとしても、タロジロ自身でどうにでもできるはず。ましてや15歳と11歳。毎度のことながら、私が自分のためにタロジロに何かしたい、とエゴっただけである。

不甲斐ない親をもつ子どもたちは、大人に気遣ってばかりでそら大変。などと自虐的な母をよそに、ふいにかかってきたビデオ通話に対して、タロジロは朗らかに応じてくれた。

ルールとは「型」ありき。型さえあれば、中身は整うから。

だからこそ改正民法は単独親権制度だといえる。個人の力を信じるより、個人をコントロールしたいんだ。

たとえば象徴的なのが、父母間の「人格尊重義務」と「協力義務」の明文化。なんで国から親のあり方を、国民が指図されるんだろう。日本社会が親の子育てを強制して何が起きている?実子誘拐はなんで起きているんだ?

尊重も協力も国民に対してではなく、国民から国に対して求めるもんじゃないのかな。私たちを、私たちの子育てを、私たちの社会を、私たちの国を、国が守るために、私たちを尊重し、私たちに協力しろって。

対処療法を原因療法だと勘違いする世界は、原因に呑み込まれて静々と朽ちてゆくんだ。社会は矛盾だらけだから対処療法はいるけど、一時しのぎだとわかっていないと、矛盾で自分が捻じれてしまい、矛盾の社会と同化する。つまり自分を失ってしまう。

丸い型に水を張れば、丸い氷ができあがる。どんな水にするかを悩んでも、丸い氷はできない。注ぎ入れる丸い型が丸い氷をつくるから。型を丁寧に繊細に整えると、どんな水もこぼれ落ちることなく、多様な水が美しい氷となれる。氷を作るために、水滴の質にこだわる、とはどういうことか?

型ではなく中身そのものを整えようとする行為は、中身をコントロールしようとすることで、誰かに対して実行するならば驕りじゃないのかな。これが改正民法の型で、DVや虐待の典型で、単独親権制度。だからほら、DVや虐待への不安の声が、今もなお治まらない。

外から中身を詰めれば詰めるほど、人間は感情と思考を失っていく。一方で、豊かな心が集う社会ほど、法という人間を縛る制限は、最小限ですむはずなんだ。

中身という解がなければ、ルールという「今」を問える心が育ち、型という「未来」を創造できるから、過去が終わって未来が今になるんだろうな。

5月16日の夕刻。突然ジロウが母宅にやってきて、5分ほど時間を共にした。ジロウと私はここ1年くらい、下校密会で母子時間を創出している。だけどひょんなことから中止しているので、1週間ぶりの再会だった。

中止の決断をしたのはジロウだけれど、なんだかんだで私が迎えに来る、とジロウは思っている節を感じつつ、新たな親子のあり方を2024年の春から模索している。

ところで下校密会が日常になりつつあった2023年。私がハグしようとするとジロウは逃走準備をするようになった。思春期ですな。子育てしないまま巣立ちゆく我が子に、空虚と感謝のバランスを粛々と探す春でもある。

母子で育ちゆく時節に、疾風の如くやってきたジロウは去り際、両手を広げる私のもとへ包まれにきた。

しっかりと抱きしめたのはいつぶりだろうか。背は今にも抜かれそうで、肩幅は私より広くて、体の厚みはもはや私の1.5倍?実子誘拐から、7回目の春ですものね。

大雨警報の中、通話画面に住まうのはほぼジロウさま。

タロウは呼ばれるとハニカンデ顔を見せては、しれっとフェードアウトする。そらそうだ。高校生が喜び勇んで、母親とビデオ通話するほうが健全ではなかろうに。それでも母の声にいちいち呼応して、エクボで現れるタロウは、ありし日のタロウのままだった。

タロウと顔を合わせて話すのは3週間ぶりで、抱きしめたいんだけど、よくよく見れば我が子は二次元にいる。ええ、ビデオ通話かけたのは私ですから。

もともとswitchをしていたタロジロは、雑談が佳境になってくると、ゲームしながら通話しだした。通話画面には寝っ転がった2本の胴体と脚しか映っとらん。もう通話終了でええやないかい、と私は思うがタロジロは切ろうとしない。

「おい、息子たち。お母ちゃんは愛する我が子の顔を見ながら、お話したいんですけど?」と苦情を申し立てるたびに、タロジロは笑いながら画面の位置を調整した。

なんか、ふつうの、親子みたいだ。

料理する私に、洗濯する私に、掃除する私に「お母ちゃん!お母ちゃん!」と一生懸命に呼びかけるタロジロに、私はどれほどちゃんと向き合っていたんだろうか。抱きかかえられる幼いタロジロの体を、私はどれほど抱きしめてあげたんだろうか。

子育てを振り返ると後悔ばかりしちゃうけど、今の私が成長したから後悔とやらをできるはずなんだ。

タロジロにとって、今の私のエゴは、愛される体験なんだと信じてる。



2015年5月最寄りの山でピクニック
弟のお世話を使命にしていた6歳タロウ
自由気ままな2歳ジロウ

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