すべてを自然と包みこむ子どもたちは、世界を創造する力をもっている
vol.64【ワタシノ子育てノセカイ】
違うけど同じであることが人間らしさ。
白と黒の境目が中庸だと感じるうちは、白黒の世界の中にいる。「同じはずなのに違う」と勘違いして線を引き、分断によって自己防衛したがるんだ。
中庸とはきっと、白と黒を包括できること。「違うけど同じ」と感じるから、まるっと抱きしめられるんだろうな。
線より球だと「同じ」は優しくなるのかも。
◇
ところで私には「実子誘拐」で6年間離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。
◇
「5日お母ちゃんところ行く」
2024年1月3日。長男タロウからLINEがきた。三が日に我が子と連絡をとれるのは、7年ぶりかも。
ワクワクしていると4日の夜もまた、LINEがきた。どうやら朝ごはんを一緒に食べられるらしい。
5日当日。約束の時間に迎えにいくと、タロウが開口一番にエクボをくぼませる。「お母ちゃん、今日は晩ご飯も一緒に食べれるで!お昼はなに食べる?」。次男ジロウもつづく。「今日の晩ご飯なに?」
タロジロ揃って、親子でお喋りするのはいつぶりだろう。「とりあえず、まずは朝ごはん食べへん?」と私が口をひらくと、小さな車に笑い声が響き渡った。
2024年で、一番幸せかも。
◇
親子でピクニックにいこうかな、と私は3日から考えていた。2年前のこの日に、タロジロと遊んだ公園↓↓に行きたくなったんだ。
一方でタロジロの荷物が予定を暗に示す。タロウは大きなリュックにぎっしり問題集を詰めていて、ジロウは持てる限りのゲーム類を抱えてきたんだ。よくよく見ると、ジロウもしれっと宿題を持参。
タロジロはどうやら、勉強というミッションがあるらしい。年末年始に、楽しい時間を過ごせたんだろうな。ゲームもせねばならないので、公園で遊ぶ暇はなさそうだった。
過去という思い出は大切だけど、しがみつくと今を大切にできなくなる。朝食の準備中に問題集を広げるタロウと、つられて宿題をだすジロウを眺めて、我欲だした自分を抱きしめた。
そこにある確かな幸せを感じられると、人生はどーにかなる。
◇
時は遡り2023年末。ジロウは母子時間を2回逃す。曽祖母の49日と長男タロウの誕生日に、なぜだか参加できなかったんだ。
母子分断状態で7年目ともなると、思い当たる節はさくっと浮かぶ。節が合っていれば、ジロウは葛藤しているとも気づかずに、葛藤を抱えている状態だろう。
傷ついても痛みを味わえないと、傷を癒そうとすら思えない。せっかくの成長のチャンスを潰すだけでなく、人生の足枷になってしまうんだ。誰かを傷つける行為も厭わず、つまりは自分を傷つけ続けるから。
ジロウの心中を想像すると、是が非でも母は今まだ死ねん。
だけどジロウの話を聴くことはもちろん、顔を見ることもできないまま、いつの間にか2024年になっていた。
◇
元旦を迎えて、ぼんやりタロジロのことを想っていると、家が揺れはじめる。収まる気配がなく、29年前の地震とそっくりで、鼓動が少し早くなる。
震源地は能登らしい。兵庫県中部でこの揺れなら、現地は一体どんな状態になっているんだ。
とにかくタロジロの安否を確認をしなければ。私は親のくせに、なんで我が子の居場所すら知らないんだ。
タロウとLINEで繋がれた。早朝に旅先から帰宅して、父方の実家にいるらしい。親子間で連絡できるツールに、心から感謝した。
一方で、親子断絶に陥っているお父さんが、被災地に暮らす幼い我が子と連絡がつかず、ただ、ただ、叫んでいた。
◇
時は戻り新年5日。タロウが席を外したすきに、私はジロウに問いかけた。祖母の49日とタロウの誕生日に↓↓ジロウが参加できなかったイキサツについてだ。
結果、すべてが私の想像どおりだった。むしろなんで外れてへんねん。
ジロウは話していくうちに、自信を持てない自分の考えを、改めて形にして固めていった。当時、何を感じたのか、ほんとはどうしたかったのか、かみしめるように言葉にしてくれた。
ひとりで闘っていたジロウがありありと現れてくるようで、聴いてる私は今にも泣きそう。だけど言語化するうちに、ジロウの表情は嬉々としてくる。
話切った11歳ジロウは、お昼ご飯をモリモリ食べて、いつのまにかウトウトしはじめた。
◇
夕食にたこ焼きをオファーしたタロジロ。ジロウは眠たくて留守番を選んだので、買い出しへはタロウと二人で出かけた。
タロウは塾の課題をしたかったんだけど「お母ちゃん、ひとりで行くのはさみしいやろ」とついてきてくれたんだ。
スーパーへ向かう車内にて。年末の出来事について、私はジロウの想いをタロウに共有した。タロウからすると、私に「嘘」をついていたことになる。
嘘をつかせた親である私は、タロウのことも気になっていたんだ。年末にタロウと私は会えていたので、しようと思えば話はできた。だけどジロウの話を聴いてみないと憶測が多くなり、ともすればただの批判になりかねない。
2週間後の1月5日、タロウの傷を癒せるタイミングを、ようやく創れたんだ。母子で会える、確かな今に、感謝しかない。
◇
とはいえタロウの第一声は、必死の抵抗だった。日常生活の対話のようすが垣間見えるようで、失った親子時間をちょっと呪う。コミュニケーションは日々の訓練だ。
それでも受け答えを続けるタロウの声が、震えている。まるで「お母ちゃん、どうか僕を捨てないで」と叫んでいるみたいだった。なんで私は前向いて、運転してんねん。
10分ほど車を走らせスーパーに着く頃、タロウは私の意図を理解できたようで、すっかり落ち着く。車を停めてタロウの頬を両手で挟むと、「今日もお母ちゃんの手は冷たい!」と両手で私の手を押さえるタロウ。
あたたかいタロウの手は幼いころと一緒だったけど、私の手の甲を覆う手の広さまで一緒になっていた。
◇
買い物から思春期の長男と帰宅すると、次男が床に寝っ転がって待っていた。間違いなく、幸せな今が、続いている。
3人でたこ焼きの下ごしらえ。タコ切って、キャベツ切って、卵割って、粉まぜて、たこ焼き器に流しこんで、クルクルまわす。忙しい手くらい口も動きまくる。
3回目の生地を注ぎ、小腹が満たされてきたころ、いつのまにか親権制度の話になる。たこ焼きが恐縮するがな。
2024年の通常国会にて、家族法制の改正案が提出される見込み。
タロジロは自分たちが社会問題の当事者で、実子誘拐が親権制度に起因することも知っている。タロウはちょうど1年前の今頃、パブリックコメントにも参加。
法改正の流れや法制審案の問題点を説明し、タロジロにできることを私は問うた。
◇
5年生のジロウは三権分立すらまだ知らない。だけどジロウのあまりの食いつきように、ちょっと尻込みしてたタロウが、私の説明に補足をはじめる。
ジロウの質問はガンガンつづく。「共同親権になっても、親に会えへん子もおるんちゃう?会わせへん親はどーなるん?」。離ればなれになった5歳から、ジロウはどんな想いで生きてきたんだろうか。
親権制度が変わったとて、私たちの失われた親子時間は戻らない。
だけど未来の子どもたちが、親子として普通に暮らせる、アタリマエの社会は創れるんだ。そしてその未来は、タロジロが子育てする社会のはず。
タコがウインナーになって、チーズフォンデュがはじまって、焼きおにぎりがクルクル転がる。たこ焼き器の多様性よ。
熱々のたこ焼き器を4ターン使うと、私たちの親子時間はとけた。
朝も、昼も、晩も、共に食事して、命を繋げた1日に、感謝しなくちゃな。
よりよい社会を子どもたちに贈れますように
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