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【共同親権法案成立】途絶えさせずに廻らすほど新たな誕生を重ねていける

vol.80【ワタシノ子育てノセカイ

幸せは自分で掴むもの。目の前にも足元にもたくさんある。自分を生きてさえいれば、いつなんどきでも幸せだらけなんだ。

誰かにぶら下がり、誰かにしがみつき、誰かになろうとすると、人は幸せを見失う。誰かは自分ではないんだもの。

惑わされるな。流されるな。自分の声を聴け。幸せはいつだって、自分の中で響くはずだから。

ところで私には「実子誘拐」で6年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。

6年生の次男ジロウと初めて会った4月22日の放課後。いつもの川沿いを車で走っていると、川面にまるっこい顔を出した何かが泳いでいた。車を停めて確認すると、たぶんヌートリア。

実子誘拐に陥ってまもない時期の面会交流で、同じ川沿いにて長男タロウと、ヌートリアを一緒に見つけた。それ以来タロウは「お母ちゃんとヌートリア見たな!今日はおるかな?あそこにおったよな」としばしば口にするようになる。

一方で面会交流の開始時間がズレていたジロウは、ヌートリアに遭遇できず。その後もいくら探してもいなくて「ジロウもヌートリア見たい!タロウとお母ちゃん見たやつ見たい!」とことあるごとに悔しがっていたんだ。

興奮する私の隣でおとなしく座っている2024年のジロウに、言葉を溢れさせてお喋りしてた幼稚園児のジロウが被る。

タロウと見た個体より小さいヌートリアは、優雅に泳ぎながら川面に波紋を響かせていく。うららかな春の7年越しに、私たち親子とヌートリアは、どうしてまた出逢ったんだろう。

2024年5月18日お昼過ぎ。77年ぶりの改正民法が成立して、選択的共同親権が誕生した。

親権を選択できるので「親子を選択」できる法となる。つまり「子捨て制度」または「親放棄制度」ができあがったんだ。子を捨てるか、親を放棄するか。もしくは、子どもを持つか、親になるかを、すでに子どもがいる状態で決める制度。

改正民法の社会では、親権のない親子の差別が強化されるだろう。選択できる親権、のない親子だから。

親を放棄しない「親権」は「親たる証」なので、親の中身はたいして問われない。実際、親が何たるかの明文化は法にない。いまいちなら親を交換すればいいらしい。現に、家存続のための親交換制度である、普通養子縁組が残されている。

選択は確たる礎がないと難しく、礎とは意味や意識のあることで、モノゴトの原則だ。ただし不合理な原則は意味がないので、無責任がはびこる。また、意味や意識のない選択を「無責任」という。

選択的共同親権の原則は単独親権制度だ。

改正民法では「親権者が親」という単独親権制度による勘違いを強化させるから、無責任な社会をますます醸成させるだろう。親は家族という最小単位の社会をつくる役割を担う。中身のない器を親と信じるほどに、社会はますますカラッポになっていくんだ。

ところで中身のない器は差別できる権利ともいう。中身のない器を欲するとき、だいたい中身があると信じてて、ナイのにアルを疑わないから、世界が歪んで見えちゃって、人間も歪んで見ちゃうんだな。

ところで日本は実子誘拐が合法、と世界各国で報道されたが違う。正しくは、さも合法的に違法な実子誘拐をできる国だ。法改正にて日本はようやく実子誘拐が合法になった。

『なんで日本が実子誘拐大国なのか?』への探求こそが、現代の家族を日本らしく支える礎となる。しかも解はすでにある。あとは気付くだけなんだ。

改正民法に肉付けはいらない。もう付け足すな。とにかく削ぎ落とせ。世界を変える絶対条件は「ゼロ」なんだから。これまでを呑み込んでゼロにした瞬間、夢を叶える歩みがようやく始まる。

夢が叶うとは世界が変わることで、幼い時に誰もが絶対必ず体験している。たとえば、お父さんとお母さんから産まれてきたことは、世界が変わるかけがえのない初めての体験。

だからこそ夢はひとりでは叶わない。新しい誕生を信じてくれる誰かと一緒に夢みれば、いつだって、誰だって、世界をよりよく変えられるんだ。

大丈夫。7年前のヌートリアは、おしりを向けて対岸に消えていったけど、7年越しのヌートリアは、こちらを向いて泳いできたじゃないか。

5月8日水曜日の夕刻。タロウからLINE通話が鳴る。応答すると、ジロウだった。そういやジロウと話すのは半月ぶり。

連休何してたとか、休み明けはどうだとか、たわいのない会話をして、まとめで「プランB」の親子時間の実行を約束した↓↓

まだ下校中の密会交流をできてた5年生の後半、月はじめはマクド、とジロウと私は新たな習慣をつくった。だけど3回つづいて幸せかみしめてたら、密会交流がなくなる危機へ。人生とは諸行無常である。

プランBは月一密会だから、月はじめのマクドを継続するなら、いつ会ったとてマクド密会。だけどなんか悔しい私は「月のはじめやでマクド行こか!」とジロウを誘った。

プランBでジロウが決めてた日取りは9日。翌日だ。電話口のジロウは、下校時間だけでなく、放課後のすべてを母子時間に費やす計画を立てる。これまでよりも、マクドタイム増量。

明日が見える今に感謝して、私たちは通話を終えた。

翌9日。これまでどおり下校時に待ち合わせて、まずは母宅でジロウはくつろいだ。そして父宅に帰宅してランドセルを置き、月はじめのマクドへ向かう。

道中のジロウは何を注文するか、私のスマホとにらめっこ。「LLセット頼んでみたいなぁ。お母ちゃんはコーヒーやんな?」とクーポンを探している。

実子誘拐2日前のクアラルンプール国際空港。帰国前のマクドでの光景をなぜか思い出す。タロジロと、ハッピーセットと、1リンギットのソフトクリーム。

そういやジロウはいつから、ハッピーセットじゃなくなったんだろうか。

マクドで席に着くと、LLセットは取り扱いがないとわかり、コーヒーはモバイルオーダーができなかった。気を取り直してカウンターでの注文にする。

なんかいつもと勝手が違うついでに、決済までのすべてをジロウに任せようとすると、現金しか使ったことのないジロウは躊躇する。てか、嫌がる。

それでも自分で選んだクーポンを店員さんに伝えて、モバイル決済をして、番号札をもらって、遠巻きの母と目があって、ジロウは得意げに笑ったから、万事OK。

マクドで恒例となった、ジロウのポイント投資のチェックも終え、穏やかな親子時間が流れる。

いつしか児童会の話題になった。学校での10歳宣言↓↓をジロウは有言実行して、選挙に出たけど落選していたらしい。後期の選挙には出ないという。

なんで私はジロウが選挙に出たことすら知らないんだろうな。

話しを聞いていくうちに、後期の選挙に出ない理由がわかった。また落ちるのが怖いらしい。そうやんな。怖いよな。ひとりじゃ無理やんな。

なんで選挙に出たのか、どんな選挙活動をしたのか、受かった子は何をしてたのか、落ちたジロウはどうだったのか、そもそも児童会で何をしたいのか、ジロウの意見を私は求めた。

Lサイズのポテトをシェアしながら、もう少しいけるかな?まだいけるかな?と、Lサイズのドリンクを持つジロウが喋り切るのをつどつど見守る。

一生懸命に言葉を探すジロウの姿に、失った7年の子育てが覆いかぶさってくる。コミュニケーションスキルは日々の訓練でしかなく、なんなら日常の親子の会話が子育てみたいなもんなんだ。

ジロウは途中で言葉に詰まり、ベンチシートの背もたれに寄りかかって、無言で数秒間、マクドの天井を仰いた。

あなたはどう思うの?あなたはどうしたいの?あなたは何をできるの?あなたを伝えて、他の誰でもないあなたを表現して生きて、と母はずっとずっと願ってる。

そういや10歳のジロウが私を褒めてくれたことがある。「お母ちゃんのいいとこは、話す力があるところやで」って。ジロウの中に話す力があるからこそ、ちゃんと見つけて伝えられるんやで。

おおまかに整理がついた頃、ジロウは飲み干したドリンクの氷を口に含み、穏やかに話をまとめた。

後期の選挙、挑戦するわ。

失敗は挑戦するからできて、失敗が新しい自分となるから、挑戦するかぎり世界は、たゆまなく生まれ変わるんだ。



2017年12月クアラルンプール国際空港
空腹でも撮影に付き合うタロウ8歳→
←何があろうとポーズをきめるジロウ5歳
のんびりしすぎて搭乗口まで猛ダッシュ

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