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誰かへの信頼は自分の中にあって、素直になるほどなぜか誰かを信頼できる

vol.66【ワタシノ子育てノセカイ

関係が壊れそうだから本音を伝えられない、はなくて関係が壊れているから伝えられないのかも。

嫌われるかも、バカにされるかも、怒られるかも、などと感じるのはもとより関係がないだけ。取り繕った自分だけを見せる相手と、深い関係性は築けない。

日々の努力と取捨選択の結果が、人間関係で、愛の育みなんだろうな。

ところで私には「実子誘拐」で6年間離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。

次男ジロウとの下校密会を、2024年の1月もちゃくちゃくと重ねている。

駐車場で交わすおかえりとただいま。車内で語り合う学校での出来事。下校時間にこっそり立ち寄るお母ちゃんち。

私たち親子の何気ない日常を、ジロウはどんな風に記憶して、年を重ねていくんだろうか。

何気ない日常ほど幸せなんだけど、非日常が刻々と日常になってしまう自分に、時折、切なくなってしまうんだ。

ジロウとの待ち合わせ場所から母の自宅までは、車で10分くらい。密会交流における絶好の会話タイムになっている。

いつもの踏切を越えて右折して20秒ほど走った頃、「お坊さんがおる!川のとこ!」とジロウが声をあげる。私は川土手に一瞬目をやるもお坊さんの影はなく、車はするすると進んでゆく。

「お坊さんやで、あれ。あ、お地蔵さんか」「お母ちゃんあそこあそこ!見てみ!あそこにおるやん!」となんしかくり返すジロウに、人物ではないと理解する私。亡霊でもおったんか思たやん。

200mもない道路上で、ジロウはなぜか5回以上もお地蔵さんを連呼するから、見落とした私は引き返そうとした。「お母ちゃんも見てみたいから戻るわ」と突き当たる三叉路で告げると、ジロウが回答する。

「いや、時間ないからはよ家行って」

ジロウがお坊さんと叫んだときに、なんで私はブレーキを踏まなかったんだろう。車の姿は一台たりともなかったのに。

翌日もジロウとの密会ができた。昨日の地蔵ゾーンに近づくと、ジロウが私にお地蔵さんの話をはじめる。この日も道路上には、私たちが乗っている車だけだった。

「ほら!お母ちゃんあそこやで。見てみ!」というジロウの掛け声とともに、車を停めてジロウの指先を目でたどる。川土手の向こう岸の山裾から、お地蔵さんの小さな頭が覗いていた。お坊さんみたいな石造。

お地蔵さんは墓地の一角にたたずんでいて、記憶をたどるとそういえば、いつのまにか綺麗な石造ができていたことを思い出した。まだ母子共に暮らしていた10年前、幼稚園の長男タロウのお迎えに、うとうとするジロウをベビーカーに乗せて散歩した川土手から、一緒にお地蔵さんを眺めた気がする。

もちろんジロウは覚えていないけど、お地蔵さんはあの日と変わらずたたずんでいたらしい。

その翌日の下校密会でも、ジロウはまたお地蔵さんを知らせてくる。「今日もおってやな」と私が相槌をうつと「そらずっとおるわな。地蔵やで」とジロウ。

地蔵を見過ごした初日の密会日、時間がないと答えたジロウに私は「ジロウが気になるもんは、お母ちゃんも知りたいねん。見に戻ろうや」と食い下がっていたんだ。

お地蔵さんを連日知らせてくれるジロウの姿は、私にとってはお地蔵さん以上に尊かった。どなたか存じませんが墓地の檀家さん、お地蔵こしらえてくださってありがとうございます。

ジロウと私は下校密会で、学校であったハッピーを分かち合っている。2023年から始めただけあってか、日々の幸せ探しにジロウはまだ慣れないようす。

2学期の後半からは「ない」がちょくちょく出てくるようになり、なんしかジロウは母からつっこまれるようになってきた。

お地蔵さんに後ろ髪惹かれた密会日もそう。戻ることなく家に向かう途中でハッピー話をしたけれど、ジロウの答えは「ない」だった。地蔵で力尽きたのかしら。

日常に幸せがないはずないので「業間休みは?昼休みは?」とつっこむ私。「ん?楽しかったで?」とジロウは答えながら、肩をすぼめてニヤケながら言葉をつづける。

「ハッピーあるやん!」
母子してケタケタ笑った。

2人で笑うこの瞬間の母の幸せを、ジロウはどれくらい感じているんだろうな。

ジロウと密会を重ねる一方で、長男タロウとは1月5日以来、会っていない。朝のお見送りを15秒くらいはしているので、厳密には会っているし、おかえりとただいまの生存確認もできている。

親子分断状態での子育ては7年目。自分を見失うと、子育ては一気に不安になる。失った子育て時間が覆いかぶさるように、母親としての自分を消そうとするんだ。

やってくる不安に大丈夫大丈夫と唱えながら、これまでの母子の関わりを振り返り、タロジロとの思い出を引き出しては自分を温める。子からの愛こそ無償でしかなく、時空を超えて親を支えてくれるんだ。

だけどなんでか今週は、自分で自分を支えきれずか、タロウに顔を見せに来るようLINEしてしまう。こんなこと初めてだ。素直に了解する返事がきたので、それだけでとてつもなく安堵した。

これでもう、会えなくても大丈夫。いやいや、毎朝の登校で会ってんねん。

21日午後1時半すぎ。階段をトトトと上がる音がして「お母ちゃん」とタロウがドアから顔をのぞかす。私は想定外すぎて、一瞬、地蔵に。

実子誘拐から6年以上、日曜日にこっそり会いに来たことなんてない。

どうやら散髪に行くらしく、その道中で寄ったらしい。タイムリミットは約10分。お気に入りのゲームを丁寧に説明してくれるから、時間の限り、命一杯、一緒に遊んだ。

写真を撮ろうとスマホを握ると、私に会いに行くことを知らせるLINEがきていた。私からの返事がなくても足を運び、返事がないことに何も言わず、10分間ずっとエクボで、自分の話をしてくれたタロウ。

いつもは2階から見送る自転車こぐ姿を、同じ地面を踏みしめて見送る。半月見ないうちに、体つきが一回り大きくなっていた。

タロウが突然現れて、母が地蔵になった話を、ジロウと週明けにできるといいな。



タロウの有言実行に感謝!
私はもっともっと素直に伝えていいのかもしれない
もしまた会えたらタロウに尋ねてみよう

世界標準の共同親権を日本に導入するプロジェクトを立ち上げました↑↑国に具体的なアプローチをしていきます。

共同親権制度は「個人の尊重/男女平等」の礎システム。親権制度と婚姻制度の分離が基盤です。

法務省の法制審議会でまとめられつつある要綱案は、共同親権風な単独親権制度です。日本で生きていたら理解がとてもとても難しい。日本人のメンタリティは単独親権制度でできているから。だけど私は諦めない。

日本人の生きづらさの種を知った以上、誰かがなんとかしないといけない。微力にもならないけれど、自分の役割を粛々と全うして、今と未来の子どもたちによりよい社会を贈ります。

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