見出し画像

自分を信じるにはどっちが先!?「信じる」と「信じられる」

Vol.22【ワタシノミテイルセカイ

何が起ころうとも自分を信じて歩めるのは、
本気で自分を信じてくれる人を
本気で信じているから
なんだと思う。 
 
ひとつの愛のカタチかもしれないな。 
 
・・・
 
セトちゃんがかっこよすぎる。 
 
 
ミュージカル「えんとつ町のプペル」のプロデューサーをする彼。
 
セトちゃんの苦悩から私はときおり絶望を感じ取る。 
 
苦悩の理由が日本社会の縮図にみえてしまうからだ。
 
 
でもすぐに希望で満ち溢れさすのが、私にとっての彼の凄み。
 
セトちゃんの強く己を信じる姿が眩しくて仕方ない。  
 
 
 
誰かに信じられることできっと自分を信じる勇気をもてるんだ。 
 

・・・ 
 
「信じられる」と「信じる」はどっちが先なのかな。 
 
子ども時代においては私なりの確信がある。 
 
 
 
「誰かに信じてもらえる」体験が「自分を信じる」糧になるんだ。 
 
 
 
3回おんなじこと言うとるがな。 
私の才能「しつこい」爆開中。 
  
 
閑話休題。  
 
親から子への負荷は切ない循環を生みやすい。 
 
 
親子関係のねじれは、
自己理解を困難にし、
人間関係に支障をきたし、
自己実現を阻もうとする。 

 
 
例えば。
虐待やDVの被害者が将来加害者になる。 
 
 
加害者は往々にして被害者だったりする。 
 
 
 
漂うようにテキトウに生きたい私。
多角的に物事を俯瞰できるよう修行あるのみ。 
 
・・・
 
単独親権制による被害加害トラブルも類似している。 
 
家族全員が被害者なんだ。
非親権者だけでなく親権者も。 
 
そして最大の被害者は子どもとなる。 


私たち全員に降りかかる問題のひとつが「親権制」。 
 
親がいないと私たちはこの世にいないから。
 
自分が成人したら親として。
我が子が成人したら孫へ。 
甥っ子姪っ子友人知人の子。

命がどこかで続く限り親子は終わらない。
 
・・・ 
 
世界には知らないことの方が多い。 
 
無知な私はきっといろんな人を気づかずに傷つけて生きている。 
 
 
だけど。 
 
いろんな誰かを癒している自信もあるんだ。 
 
だって。 
 
こんなにも信じられているんだもの。
会えない愛息子、タロジロに。
 
 
 
 
自分を信じるには誰かに信じられる人になればいい。 
 
角度変えて4回目← 
 
 
簡単なようでムズイ。
今日は紅茶で温まろ。

・・・・・
Facebook編2021.11.30記
・・・・・


ミュージカル「えんとつ町のプぺル」
 オンライン配信副音声付
 アーカイブ2022.2.28(月)まで


タロジロラブレター第1章 音声版


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?