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失う痛みを感じるほどに世界はなぜか拡がってゆく

vol.76【ワタシノ子育てノセカイ

世界を変える方法はシンプルで、心の中にあるものを実行すればいい。秘めたる想いが熱いほど、響き渡るように拡がっていくんだ。

だけど想いが痛くて冷たいと、世界はいっこうに変わらない。痛みの実行はなぜか攻撃ばかりになるんだ。痛みがあたたまるとき、希望が浮き出て、世界が一変しはじめる。

心の中にある愛が、熱して世界を溶かすんだ。

ところで私には「実子誘拐」で6年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。

三寒四温、強風に花粉で、せわしない気候がつづく3月下旬。中学校を卒業したのは長男タロウなのに、私が卒業したみたいな気分になっている。

埋まっているはずの何かが、カラッポな気がしているらしい。親離れ、いや、子離れする時期となり、7年間の空白の子育てが、どうしても私を襲ってくるんだ。

私はふつうの子育てを諦めたはずなのに、やっぱりどこかで、ふつうの子育てをしたいんだろうな。

だけど日本のふつうの子育ては、単独親権制度。

ますます「ふつう」が噛みあわなくて、世界を重ねるために交わす言葉が、ときおり世界を分断しようとしてくる。もうなにもかも、移りゆく季節と共に、過ぎ去って消えてしまえばいいのに。

タロウの卒業式にて、帰路に着こうとした瞬間、大きな声で私は名前を呼ばれた。タロウと次男ジロウと同級生のお子さんがいるお母さんだった。かれこれ16年来のお付き合いになる。

久しぶりだったので近況報告を軽くして、卒業式の感動を分かち合っていると、彼女へのとめどない感謝が溢れてどうしようもなくなる。

実子誘拐からの7年間、彼女は学校関連の連絡を、私にたやさず伝えてくれた。たとえば行事についてのお知らせとか。彼女の支えがあったからこそ、母に観に来てほしいと願うタロジロの想いに応えることができたといえる。

そしてなによりも、彼女からの何気ない学校のお知らせは、我が子に会うことをくじけそうになる私を、ずっとずっと支え続けてくれたんだ。おそらく彼女にそのつもりはなかっただろうけど、消えそうになる私の子育てを、ゆるやかに繋ぎとめてくれた恩人である。

学校行事へ行けば、親子の時間ができる。だからこそ来校制限があろうと、私は参加しているんだけど、学校へ足を運ぶことは尋常でないストレスでもあるんだ。

学校にとって来校制限に悪気はないので、私は自然と非常識な人間となる。偏見や差別とは、そもそも知らないだけなので、知らせようとするけれど、これがなかなか難しい。だけど私はあきらめが悪く、どうにかしようとするので、ストレスを味わってしまうんだ。

とにかく私は、くじけそうになる私を支えてくれたお礼を、どーにかこーにか彼女に伝える。すると彼女は絞りだすように言葉をかけてくれた。

今まで、ほんまに頑張ってきたよね。

私の子育てを、母としての私を、抜けるような青空に、開放するような瞬間となった。彼女と言葉を交わせた卒業式、ありがとう↓↓

学校に足を運ぶ別のストレスとして、再離別へのジレンマがある。

実子誘拐で親子の引き離しに陥り、不安定な再会をくり返すと、親も子も心が乱れるんだ。再喪失と再統合にパニックになるから。

親子がどうにか再会して、失ったアイデンティティが再生したかと思いきや、数時間でまた消失。自分が現れたり消えたりするから、どこにいるのか理解できずに心が彷徨う。

親子の引き離しは、確実に、虐待であり、DVなんだ。

だからこそ世界の共通認識となる条約では、親子のあり方の基準が「共同親権」なんだろう。女子差別撤廃条約でも子どもの権利条約でもそうだ。

一方で2024年の今も、単独親権制度をつづけている日本では、親子の引き離しがどれほど野蛮な行為なのか、理解しようにも理解しがたい。

実子誘拐そのものが、日本の子育てといえるから。

単独親権制度が実子誘拐で、親権制度が教育制度で、教育という子育てが実子誘拐でしかないんだ。だからまずもって日本人には理解が難しい。

実子誘拐大国が考えたからこそ、法務委員会にて今まさに審議している、共同親権導入の法案が、単独親権制度のままなんだろう。

卒業式から時間をおいた月末。声をかけてくれたお母さんと食事会へ。

無事に進学先の決まったお子さんの進路に、実はトラブルが発生していて、彼女は同志と共に署名活動をはじめていた。これまた彼女にそのつもりはなかっただろうけど、私は彼女の署名活動に心が震えるほどの勇気をもらう。

立ちはだかった理不尽な壁に、ただ屈するのではなく、ちゃんと声を上げ、社会に訴えかけ、子どもたちの未来を守ろうとしていたから。

1週間足らずで、彼女は200賛同、全体では1000賛同もの、直筆署名を集めていた。彼女の息子さんも、お友達に声をかけて、自転車こいで署名を集めていたらしい。

タロウも署名を書きに、こっそり私に会いに来た。

卒業式で深められなかった近況報告がひと段落すると、彼女がなにやらプレゼントをくれた。彼女の地元の銘菓に私が喜んでいると、本命はお菓子ではなさそうな気配が彼女から漂う。

袋の中を再度確認すると、お菓子のパンフレットと勘違いしていた、少し厚みのある封筒が入っていた。中をのぞくと、7枚の写真。中学校で一括購入できる行事写真を、彼女はなんと私のために購入してくれていたんだ。

文化祭でタロウは指揮者をしていた↓↓から、ひとりで写っているカットがたくさんあったもよう。

実は展示写真のHPに私はログインできていた。修学旅行の写真を私のPCから一緒に見たい、とタロウが1学期に誘ってくれたから。だけど文化祭の写真はなぜかいらないと言ったんだ。

私が撮影したタロウの姿は、指揮者だけに後ろ姿ばかり。だから私はどうしても写真が欲しくて、LINEにてタロウに2回交渉したけれど撃沈する。我が子の写真を選んで買うことすらできない自分が、なんだか、親として、情けなかった。というのもたぶん、タロウは写真が欲しいはずなんだ。

「いらない」と言ったタロウと、対話する時間を探したけど、どこにも見当たらなくて、子育てがまた、空に舞った。

彼女は息子さんの写真を選びながら、同級生の子どもたちに思い馳せ、タロウを見つけて、私を思い出してくれたんだろうな。思い出すにとどまらず、写真を買うという行動にいたれる彼女から、私はたくさんの学びをいただく。

卒業式の日に彼女が私にかけてくれた、言葉の意味がいっそう深まり、彼女が目の前にいるのに、どう頑張っても涙が止まらなくなった。

ところで実子誘拐からの7年間で、私には得意になったことがある。「あきらめ」だ。強い想いをあきらめるほど、想いが熱してめぐるのか、幸せが厚みをおびて、必ずかならず返ってくるんだ。

過去にしがみついてはいけない。
どんなに痛くても、抱きしめるんだ。
がんばれ、がんばれる、大丈夫。

子育ては、未来をつくる、希望の営みなんだから。



秋の思い出が
何倍もの幸せとなってまためぐる
ありがとう

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