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世界を区分する境界線が確たる自分をつくりあげてゆく
vol.55【ワタシノ子育てノセカイ】
人は一生、学んでゆけるらしい。
知っていることを知らない「無意識」は、知らないことを知らない「無知」で、知らないことを知っている「既知」が、知っていることを知っている「意識」となり、知っていることを知らない「無意識」に変わると、知らないことを知らない「無知」に戻るから。
学べば学ぶほど、知らないことが、溢れだしてくるんだな。
◇
ところで私には「実子誘拐」で5年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。
記事を紹介していただきました。おもわず目が潤んでしまった「六つの華さん」の感想と考察↑↑「子ども視点」への落とし込みに震えました。ご縁に感謝です。
◇
10月下旬。次男ジロウのオープンスクール。1時間目から4時間目までが地域住民に開放される。
いつもの密会交流にてジロウは「オープンスクール、来てもええで」と私をご招待。
ちなみに11歳ジロウは、王子みたいな物言いをしばしばする。放課後の密会交流でも「お母ちゃん、明日も迎えに来てええで」などのセリフを使うんだ。王子の喋り方、知らんけど。
とにかくジロウはまだ、母親である私との境界線は薄いらしい。
なにはともあれ朝の8:30から12:10まで、ストーカのごとく学校に入り浸ってきた。4時間以上の親子時間。ありがたい。
◇
実子誘拐以降、私は学校行事の参加に制限がかかっている、らしい。理由は単独親権制度による勘違い。いわゆるアンコンシャスバイアスというやつだ。
日本では親の意見より親権者を重視する。「事実」より「ラベル」に目を向けるんだ。親と揉めたり責任をとったりを、避けたいのかもしれないな。子どもたちを守るよりも。
嫌な一瞬をやり過ごす回避は、だいたい問題の先送りで、問題を大きく複雑にするだけ。
たとえば発達の特性がやや際立つ子どもの親へ、発達傾向を伝えることに学校は気合がいるらしい。つまり子どもを育てる親と学校が、子どもに適した教育について、自然に対話すらできないのである。
「子どもは親のモノ」「違いを排除」という、単独親権制度の概念が透けて見える。
親権制度が整わない限り、日本の教育は整わない。適した教育を受けなかった子どもたちは、成長するにつれて適した結果を出してゆくんだ。
19世紀仕様ともいえる教育制度の中で、21世紀の子どもたちはメチャンコがんばっている。
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さて、飄々と参加したオープンスクールにて。休み時間に子どもたちと会話して、確信できたことがある。
参観行事は親が子どもを観に行く時間というより、子どもが親を探す時間なんだ。
小5ジロウの同級生は口をそろえて、自分の親について話してくれた。「僕のお母さんはソコにおるで」「私のお母さんは弟見てから来るねん」「僕んちはまだ来てへんみたい」。
子どもによっては、かなり残酷な時間になりかねない。とはいえ参観できない事情もある。日常の親子のコミュニケーションのあり方が、発揮される場面といえるかも。
子どもたちはずっとソワソワして、自分の親が来てくれることを待っている。そしてたとえ来なくても親を責めず、想いを心の奥に秘めてしまえるんだ。
子どもたちはいつなんどきも、親を、ただただ、愛していて、親から、ただただ、愛されたい。
◇
子どもたちの親を想う気持ちに揺れながら、ジロウの学校生活を垣間見る。今回は意外な一面をふたつも覗けた。
まずは1時間目と3時間目の終わりの休み時間。ジロウが小説を読みふけっていて、私の目は丸くなったんだ。羅列した文字を自ら読むとは。
実子誘拐4年目、面会交流がなくなった8歳くらいだったかな。「字ぃ読むん苦手」と答えるジロウに私は、習慣をつくりだせない日常にちょっぴり嘆いた。
読書は手軽に疑似体験を積める、すばらしいツール。アナログメタバースである。
毎晩まいばんお布団の中で、長男タロウと三人で、絵本を読んだ日々がふと蘇る。面会交流できてた時期に、図書館の本に埋もれた日々も。
近頃の密会交流では、ジロウの愛読書のコロコロコミックスに、母子時間を奪われつつも私は感謝していた。だけど文字だけの本も、しれっと読んどるがな。
AI革命の今に7万年前の認知革命を想い馳せる。言葉に操られるのではなく、どうか言葉を操れる人間になれますように。
帰宅後、さっそくkindleにてジロウの世界にお邪魔する。シュールに描かれる人間の欲望やモラルに、時折ゾッとした↓↓ 5歳の長男タロウが好んで読んだ「わんぱくだん」シリーズに似てるかな。
◇
意外な一面の二つ目は、理科の授業にて出会う。先生から説明を受けた振り子の実験を、4名の班で実施してデータをとる時間に起きた。
なんとジロウがリーダーシップを発揮していたんだ。役割分担や手順をまとめ、班のみんなの意見をもとに、実験を修正しながら指示をだしている。
練習と本番の計8回の実験を、時間内にまとめ切ったのは9班の内3班。ジロウたちは爆速で終えて、実験道具の重りや電卓でほのぼのと遊んでいた。ジロウの王子特性が、班のみんなと適したっぽい。
班ごとのチームワークの取り方から、いろんな気づきをいただける時間だった。
学校は、やっぱり社会やな。
◇
意外なジロウに感慨深くなりながら4時間目へ。廊下から教室へ移動し、最後尾席のジロウのすぐそばで観覧する。
うつむいてプリントになにか書くたび、ジロウは左の肩越しに私をのぞき見てハニカム。もう集中力はなさそうだ。
幸せな親子時間が終わりに近づく。ジロウの頭を左手でポンポンと弾いて、廊下へ出ようとすると、ジロウが「今日くる?」とおもむろに聞いてきた。
前日にジロウは私と密会をしていたので、オープンスクール後のお迎えはすでに約束済み。「ほなまたあとで」でよさそうなのに、急に不安にでもなったんだろうか。そういや前日のジロウの話し方も、なぜかいつもと違ってたっけ。
密会の終わり際。ジロウは「明日も迎えに来てええで」と言いながら「あー、、」と少し考え、「迎えに来るんどう?」と尋ねたんだ。
ジロウ王子が、私に寄せて、ふたりの予定を、立てようとした。
「迎えに来てもええで」と言われるたび、「ほなお迎えに参ります」とケラケラ笑う私に、ずっとキョトンとしていたジロウ。
少しづつ大人になってゆく眩しさと、消えゆく幼い面影の狭間で、実子誘拐後に失った子育ての時間が、ゆらゆらする。
ジロウが子どもに恵まれて親になったとき、親である私を思いだしても、どうかケラケラと笑っていられますように。
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8歳タロウのオープンスクール
ノリノリで参加する4歳ジロウ
記事内容を簡単に説明すると「実子誘拐を合法にできる」たたき台に変わりなし、です。つまり今もなお、子どもより大人目線の議論のまま。
共同親権という名の単独親権制度のままで、民法改正される可能性がある状態です。
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