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ツムギアム【ワカメ編第1話】東日本大震災から、ワカメに出会う直前まで!

悲しい話でありませんよ。
美味しい話です。

ツムギアムのライターwacana*は、東日本大震災の後、水中の瓦礫撤去のボランティアで岩手と宮城に通っていました。

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《2011年7月 岩手県大船渡市での1枚》

そもそも岩手へ行くのきっかけは、震災前に遡ります。
20代の頃に付き合っていた男性が、冬の時期(4ヶ月くらい)だけ岩手県の花巻市に転勤していました。スキーしたいという安易な理由です。今思えば、先取りのワーケーションとも言いましょうか。そんなこともあって、わたしも時より岩手の内陸に行っていたのでした。

そして、仕事で訪れたマーシャル諸島(ミクロネシア)で知り合ったダイビングのガイドさんから、2010年10月に「岩手でサーモンスイムっていう遊びをやるからおいでよ」というお誘いを頂きました。わたしのように誘われたのは、10人ほどでした。金曜の夜に都内から車で出発し、着いたのはなんと花巻市です。ガイドさんは花巻市出身だったのです。
その彼とはご縁なかったものの、運命思考のあるわたし、「あれ?これはわたし、逆に”岩手”に呼ばれてたのか?」と思った訳です。
その直感は、当たることになります。

大船渡市の吉浜という港で、サーモンスイム(海に浸かり、遡上する鮭を観察)をしました。

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《サーモンスイム(鮭の遡上を観察)の様子》

この時は例年に比べ、夏が長かった年だったので、10月といえども、水温が高く、遡上する鮭(「サケ」と読みます)は、極端に少ないと、ガイドさんから聞きました。
鮭は、生まれてから海に出て、4年ほどで川に返ってきます。鮭は自分の生まれた川の匂いを覚えているそうです。生えている植物たち、そこにある土や岩によってそれぞれ川の匂いが違うということですね。匂いを嗅ぎ分けて、生まれた川を登り、天敵の少ないところで、卵を産んで死んでいく。

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《生と死を見つめる時間》

そんな生死の一部を、膝下くらいまでしかない水位の川に寝そべって、顔をつけて観察する。なんて大人で、ニッチな遊びではありませんか。
昼間は、海に川に山を楽しみ、夜は温泉と美味しい食事で満たされる。短くて長い1泊3日も、帰りには「来年、鮭のリベンジしたいね!」ということに、必然的になる訳です。

そして5ヶ月後、東日本大震災です。

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《2011年6月の岩手県大船渡市の様子》 

花巻出身のガイドさんが中心となって、水中と川の瓦礫撤去とが始まりました。海が好きという繋がりから、多くの人が岩手に集まっての活動でした。

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《潜って瓦礫を見つけるダイバーと、上で瓦礫を引き上げる人》

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《漁協に沈んでいた瓦礫は小さいものから、大きなものまで》

港の瓦礫撤去作業は、漁師さんとの協働です。
初めは、何人も居る漁師さんと、何人も居るボランティアに過ぎません。
しかし、1ヶ月に2度訪れ、1度が3日、4日になると、お互いが顔を覚えて
「どーも!」
という挨拶になり、そのうち、
「佐川さん!」
「新田さん!」
と名前を呼ぶようになるのは、当たり前のことでしたね。関係が紡がれていきます。

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《笑顔の漁師さん(真ん中が漁業長の佐川さん)》

そんな訳で、元々「岩手に呼ばれていたわたし」は、岩手への想いがどんどん強くなっていきます。それと同時に、常に顔を合わせていた漁業長でもあった佐川さんと特に親しくなっていくのでした。

そして、2012年の2月に、生ワカメと出逢います

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次回へつづきます。


Write & Photo : wacana*

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