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自己紹介3 暗黒時代からの今


開いて頂けて嬉しいです!涙涙

ここでは私の幼少期、看護師時代に遡り、赤裸々に…ドロドロに、笑 綴って行きたいと思います!
  

かなり重めです。


なぜこんな自分にとってマイナスなことをここで伝えるのかは最後まで読んで頂けたら理解してもらえるかな…と。そうだったらいいな。



私には暗黒時代と読んでいる時代が2回ありました。


暗黒時代①

私の幼少期はというと、明るく活発、友達もたくさんいた方でした。

運動も嫌いじゃなかったし、一輪車とかスケートが好きでした。

小学高学年の時から始めたトロンボーンは高校3年生まで続けました。

好きなことは長いこと続けるほう♡


楽しく過ごしていた小学校でしたが、小学5年生のとき、ある時を境に、周りがザワザワと足早に変わっていきました。

無視。

汚い言葉。

汚いものを見るような冷たい視線。


クラスまるごと敵になったようなあの瞬間は、たぶん一生焼き付いてる。



いじめ



きっと私自身が原因を作ったんだろうが、もうそうなった理由すら知ることができない。


こんな中でも私の味方をして相談に乗ってくれていた一番仲が良かった幼馴染が、実はいじめの中心核で、私が相談していた内容はクラスの女の子たちにダダ漏れでした。

それに気づいたのは中学生になってから。


田舎で、当然エスカレーター式にみんな同じ中学校へ。


いじめが収まるわけがなかった。


仲がいい子もいたし、味方してくれる子もいた。


でも、嫌な噂は消えることはなかったし、カバンに足跡がついていたり、机の仲がぐちゃぐちゃになっていたり、すれ違いざまに汚い言葉は毎日だった。一人で行動することも多かった。


修学旅行はまさに地獄。


毎日、学校に行きたくなかったし。正直いなくなりたいと何度も思った。でも、親に心配かけたくないという一心で重い体を動かしていました。

いじめっ子たちに負けたくないという気持ちもどこかにありました。



地獄の中での癒しと報われた瞬間


唯一救いだったのは部活。


部活の仲間は状況を知りながらも、噂をする子たちがいない、この空間の中だけは気軽に話してくれた。居心地が良かった唯一の時間。


トロンボーンは私の癒しでした。



高校3年にもなると、もう何か言ってくる子もいなくなりましたが、

小学校が一緒だったいじめの中心核の子達とは最後まで話すことはありませんでした。今も。



高校は今まで耐えたご褒美かのように、最高に楽しい3年間でした。


同じ中学校だった子たちがほとんどいない高校に行ったとは言え、どこと繋がっているかわからないし、
また、高校でも噂を広められるんじゃないか、と。最初はビクビクしていました。
トラウマは相当深く、家に帰ると不安になるときもありました。


でもそんな不安もいずれ消え、ただただ楽しく、大好きな友達と出会い過ごせた3年間に今でも感謝しかありません。



暗黒時代②


暗黒時代。2つ目。

前もって言っておくと、これを話すと、これから看護師を目指そうという人にとってはマイナスなイメージしか与えないのですが、

これはほんのひと握りの私の経験であって、本当に素晴らしい尊敬できる看護師さんはたくさんいて、看護師として働くことが出来たことは誇りに思ってるし、また現場で働きたいと思えるくらい素敵なお仕事だと思っています。


持ち続けた夢


私の幼い頃からの夢はベビーシッターでした。

幼いながらも赤ちゃんへの愛おしい感情がとても大きく、身近に赤ちゃんがいたこともあり、
赤ちゃんと関わっていたいという気持ちが強かったのを覚えています。

とにかく人のお世話をすることが好きだったので、ベビーシッターというお仕事があることを知ったとき、
私はこれになりたい!そう決めていました。


結婚したら、子どもは3人いたらいいな…と、名前を考えたり。笑

3人っていうのも、私には姉がいますが、私の下に妹か、弟がいたかも知れないと母から聞いていたから。流産だったようですが。


なんとなく3人。実際今、3人のママ。…現実になるもんですね。



ベビーシッターという夢は、いつからか、田舎では現実的じゃないということがわかり、消えていました。笑


保育士さんは、ピアノが出来ないとなれないという、自分的にはかなり大きい壁だったのですぐに消え、でも、保育園には看護師さんがいる…

看護師……てな感じで意識するようになっていきました。


中学生から意識するようになったので、高校は選択授業できる高校を選びました。


再び自己否定のはじまり


卒業後は1人暮らしをしたかったので、
実家から離れた看護の専門学校に入り、
国家試験に合格して、最初に就職したのは、
専門学校のときに産科の実習をさせてもらった病院でした。


やはり、産科への想いが強かったんだなと思います。

しかし、配属されたのは違う科。
しかも、急性期病棟でした。
1日何件も手術があり、入退院も目まぐるしい病棟。


そして私の担当のプリセプター(新人を育てる先輩看護師)が私の人生を大きく左右しました。

最初は仕事を覚えるのに精一杯で小さいミスも連発したし、上手くいかないこともたくさんあって、
怒られるのもしょうがない、頑張ろうと、
ただがむしゃらに働いていました。


患者さんからかけてもらう言葉や、笑顔で退院する姿は本当にやりがいで、それが私の力になっていました。


しかし、必要以上の注意が“自分”の価値をみるみる削ぎ落としていきました。




自分がミスしたことへの注意はしょうがないと、受け止めていましたが、

私自身を否定するような言葉、

「〜じゃないとダメだよね!」という自分の価値で決めつける言葉、

それ以上に

患者さんの前で大声で注意されることが苦痛でなりませんでした。



熱を出して、休んだ時は、解熱剤で熱下げてでも来なくちゃダメだよ!と言われ休むことすら否定されました。


自分が悪い…

自分はダメだ…

自分なんて…

そんなことをいつも考える癖がつきました。


病気の発症


色々任されるようになって、リーダー業務や、看護研究の話しまで出てきて、この先、ずっとこの仕事をしていくのかと、先の見えない不安に推しつぶされそうになり、あるときプツっと何かが切れました。


電カルを見ながら自然と涙が出て。


もうムリ。


はっきりそう聞こえました。


病院を辞めることへのエネルギーも相当なもので、葛藤していた時期は、かなり落ちていて、人としてダメなこともたくさん考えました。


逃げるように辞めてからも気持ちが晴れることはなく、家で1人でいると孤独感が強く、でも誰とも会いたくもなく、そのうち、食欲もなくなり、食パン一枚をおもむろにかじっていました。



うつでした。



身の危険を感じて精神科を受診。


うつだと診断され、なんだかほっとしたのを覚えています。


薬を飲みながらの治療。


ひたすら寝る。そんな日々を続けて、気持ちが少しずつ落ち着いてくると、急に現実的になって、

生活していかなきゃ。と。次の就職場所を探すのに自然に体が動いていました。


就職場所を決めて、引越しもして、心機一転!
割と切り替えは早くて、自分でも不思議なくらい進む気持ちが強かったです。


一般的な視点でみると、本当に“うつ”と診断されるものだったのかは定かではありませんが、どちらにせよ、自己肯定感を大きく左右する経験でした。



夢の出発点


次に就職した産婦人科のクリニックは私の大きな転機となりました。


念願の産科。すごい助産師さんとの出会い。自分の素を出せる場所。

素敵な方々ばかりで、居心地が良すぎて夢のようでした。


とはいえ、



クリニックでの仕事を覚えるまで使えるようになるまで、ちょっとしたことで地の果てまで落ち込んでみたり、私なんて…の自分が度々登場して、自分をコントロールするのが、ほんと大変でした。


しかし、ママと赤ちゃんと関わるお仕事は本当に楽しく、さらに学びたいと、クリニックで働きながら助産師を目指そうと考えたこともあるくらいでした。資料請求した時点で諦めましたが、笑



経験できたからこその自分


私が経験したこの2つの経験は

紛れもなく、今の自分の土台です。





死ぬほど辛いことが起こっても、乗り越えた先には自分が理想とする未来があると信じられる。

辛い経験があったからこそ、人の痛みがわかり、私も力になりたいと強く想い、動ける。

自分にはきっと乗り越えられるという自信、進む力。



経験から得たものはとても大きい。



無駄な経験なんて一つもないと言うのはこういうこと。


この経験がなければ、なりたい自分に素直に突き進むことを、チャレンジすることを、理由をつけては諦めていたかもしれない。


恨むなんてことはなく、感謝するべきなんだと。




辛い中にいた時は当然こんなこと思えなかった。


なんで私だけこんな目にあうんだろう……

存在しない方がいいんだ……

もうどうしたらいいかわかんない……


そんなことを考える日々でした。


この経験から得たものは、もちろんプラスのものだけではなく……



人前で話そうとすると、極度の緊張で声が震えるようになったし、

「すみません」が口癖になり人に迷惑をかける自分を否定するようになった。

怒られることに敏感になり、人の顔色が気になって仕方がなくなった。



存在すら価値がない。


そんな風に思ってしまうくらい、自分を否定され続けたことで、何をするにも奥には必ずマイナスな自分がいて、自己肯定感なんて……


・・・・・




でもそんな私が…






なぜ、酷いいじめのなかでも、不登校や、保健室登校などにならず、卒業まで通い続けることが出来たのか。


なぜ、うつになりかけながらも、最悪の事態を招かず、自分の居場所はここではないと判断し、病院を辞めることを決意し、次に進めたのか。


そこには夢を持ち続けたことや、夢中になれるものの存在が大きく関係している(それはまた次回に)


もちろん、自分の力だけで乗り越えたとは思わない。


でも、心底今が嫌になった時は、人の意見なんて聞く余裕すらもない。

だって他の誰でもなく、自分が今一番辛いのだから。



結局は自分の力で前を向くしかない。


行動しなければ現実は何一つ変わらない。


どんなに大きい壁にぶち当たっても

底辺まで落ちたとしても

前を向き、

失敗を恐れず、

自ら行動、

チャレンジしていく力。


その力が私には備わっていた。 

じゃぁ!
その力は誰がいつ、どの時期に育てていくべきものなのか?


次回、お話し出来たらと思います。


でもちょっと……



次回お話しする

“自己肯定感”

正直そんな好きな言葉じゃない。


自己肯定感を育てよう!

自己肯定感を高める子育てをしよう!


私には不思議と響かない。




親だって人間。

親だって、親としてはまだまだ子ども。


子どもを否定してしまうことだってある。

イライラして頭ごなしに怒ってしまうことだってある。


いいじゃない。


自然で。


子どもにとってはそれがマイナスなことばっかりじゃない。

そこから学んでることだってたくさんあるって思う。




自己肯定感という言葉と、

ここ2年くらい

自分の経験とも向き合いながら

勉強もしたからこそ言えること。

わかったことがある。



自己肯定感を高める!

のではなく


気づいたら育ってた自己肯定感をあっためる!



なんだかよく分かんないこと言ってるよ〜

このひと。


って思った方はぜひ!次回も見に来て頂きたいっ!


ベビーマッサージ、おくるみタッチケアが

自己肯定感を作る!?

という内容でお送りします♡



お読み頂きありがとうございました!

また読みたい!と思って頂けましたら
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