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【エピローグ】恋を知らない小鳥~幼馴染の愛に包まれて~

エピローグ

 柔らかい陽射しの中で、詩陽は目を覚ました。

 背中に感じる温もりと頭に下にある腕の存在にホッとして、詩陽は伶弥を起こさないようにゆっくり体勢を変える。

 詩陽の大好きな涼し気な目は、今はしっかり閉じられており、耳をすませば、規則的な寝息が聞こえてくる。熟睡していることを確信し、これをチャンスとばかりに、詩陽はじっくりと伶弥の顔を眺めた。

「……かっこいいなぁ」

 昔から整った顔をしているが、年を取るたびにかっこよさが進化しているような気がする。見た目というよりも内面のイケメン度が上がっていて、それが滲み出ているからだろうか。

「好きだなぁ」

 詩陽はサラサラの黒髪に触れ、その手触りを楽しむように指に絡めた。ストレートの髪は寝癖が付くこともないから、一度緩いパーマをかけたところを見てみたいが、三十歳が近づいてきた今、必要以上に色気が増してしまい、破壊力がメガトン級になる恐れがある。そうなってしまえば、もう伶弥のことしか考えられなくなって、心臓も壊れてしまうだろう。

 そんなことを考えた詩陽はふふっと笑い、伶弥の頬をそっと指で撫でた。

「独り占めしてるみたい」
「みたいじゃなくて、とっくに詩陽だけのものだから」

 突然の声に驚き、詩陽は浮いた手をそのままに固まっていると、緩慢な様子で伶弥の目が開き、唇が弧を描いた。

「いつから起きてたの?」
「かっこいいなぁ、から」
「ずっとじゃない!」

 詩陽が目をつり上げると、伶弥は相好を崩し、細い腰を引き寄せた。隙間のなくなった体は遮るものがなくて、いろいろと困る。詩陽は全身が熱くなっていくのを感じ、慌てて離れようと暴れた。

「逃げられるとでも?」
「思っていないけど!」
「今日が休日でよかった」

 低く掠れた声が不穏な気配を連れてきたため、詩陽はグイグイと硬い胸板を押してみる。そこで、違和感に気付いた。

 伶弥の胸に置いた自分の手。もっと言うと、左手に見慣れないものがあって、それが何かを認識した途端、溢れ出した感情で胸が苦しくなった。

「……なに、これ」

 視界が滲んで、伶弥の顔がゆらゆらと揺れているが、それでも柔らかく微笑んでいることは分かる。伶弥が赤くなった目元を拭ってくれたが、またすぐに新しい雫が指先を濡らしてしまう。

 詩陽はその温かい手に自分の手を重ね、頬を摺り寄せた。伶弥の手がいつも以上に温かく感じて、心の奥の方まで熱くなってくる。

「詩陽。結婚しよう」

 伶弥はそう言うと、詩陽の左手を取って、薬指の指輪に口付けた。

 流線形をした台座にメインのダイヤモンドが乗り、その横には二つのピンクダイヤモンドが仲良く並んでいる。落ち着いた可愛らしさが、詩陽の好みど真ん中だ。そこにキスをされた瞬間、伶弥の想いが結晶となって、ダイヤモンドの中に満ちた気がした。

「しーちゃん、返事は?」

 伶弥の声に微かな笑いが隠れていることに気付き、詩陽も自然と口元が緩む。

「うん。私も伶ちゃんとずっと一緒に居たい」
「……可愛すぎ」

 そう呟いた伶弥に勢いよく抱き締められ、詩陽はクスクスと笑う。痛い程の力だが、それも嬉しく感じるから、詩陽は伶弥と同じくらい幸せを感じているのだろう。

「ね、いつの間に用意したの?」
「ずっと前。俺の中で、詩陽と結婚するのは小さな頃からの決定事項だったから」

 腕の中でなんとか顔を上げて、伶弥を覗き込むと、自信満々の顔が目に入った。

「もし、私がいつまでも気持ちを自覚しなかったら、どうするつもりだったの?」
「いつまでも待つつもりだった。ねぇ、気付いてる? 俺以外を好きになることも、他の人と結婚することも、詩陽の中でまったく選択肢になっていなかったんだよ」

 そう言われて、詩陽はハッと息を飲んだ。

 確かに、ミジンコほども他の人との可能性を考えたことはない。伶弥と交際することや結婚することを具体的に考えたことはなかったが、いつまでも一緒にいるものだと思っていた。それが当然で、揺るぎのない未来だったから。

「私の幸せは、昔も今も伶弥の隣に居ることだったんだね」
「二人がおじいちゃんおばあちゃんになっても、な」

 二人は見つめ合い、花が満開となったような笑顔を浮かべ、そっと唇を合わせる。

 二人の積み重ねてきた時間は短くはなかったが、これからの長い人生はもっと満たされたものになるだろう。

 そんな期待が詩陽の胸をいっぱいにし、叫び出したいほどだった。

 まずはこの休日を幸せいっぱいに過ごすこと。それだけでも楽しみで、ジッとしていられなくなる。詩陽はもぞもぞと動き、伶弥の腕の中から抜け出ようとした。が、当然のことのように阻まれ、妖しい笑みを向けられる。

「まだまだ時間はあるな?」
「無理、無理!」
「そうか、詩陽も期待していたのか」
「え、曲解過ぎない⁉」
「たまには、こっちの私で可愛がってあげるわ!」

 久しぶりに現れたオネエさんに、詩陽はギョっと目を開く。

「それは、もう終わりになったんじゃ⁉」

「癖みたいなものだし、詩陽が望むなら、どっちの私にもなれるわよ? こっちの可愛がり方もいいものかもしれないから、試してみましょう!」

 伶弥が上から覆いかぶさり、ニコッと可憐に笑う。正直、こっちの伶弥に抱かれるとどうなるのか、想像もできない。

 詩陽はふるふると首を振ってみたが、伶弥は無言のまま、笑顔で一蹴した。ああ、この休日は潰れたな。そう思った詩陽の読みは的中することになった。
 
 
 週が明け、いつもと同じように仕事が始まる。

 だが、二人の日常は変わった。これまでは一緒に住んでいることも、仲がいいことも知られないようにしていたため、出勤時間はずらしていたが、今日から一緒に行くことを決意したのだ。

「でも、必要以上には仲良くしないよ」
「はいはい」

 そんな会話をしたばかりなのに、伶弥は会社の近くに行くまで繋いだ手を離してくれない。我慢ができなくなった詩陽は強引に手を振り解き、キッと睨みつける。

「指輪」
「傷つけたくないから、無理!」

 怒っているのは詩陽だったのに、拗ねたような声で目を細められて、一気に顔が熱くなってくる。婚約指輪を職場にしてくる人がどこにいると叫びそうになって、辛うじて言葉を飲み込んだ。

「普段使いが必要だな……」
「え?」

 低くて小さな囁きは聞き取ることができず、詩陽は首を傾げた。伶弥はそんな詩陽に爽やかな笑顔を見せ、ぽんと頭を叩いた。

「あっ、もう触るの禁止! ほら、主任の顔になって! 伶弥の笑顔を見たら、みんな好きになっちゃう」
「……帰ろう」
「バカなの⁉」

 詩陽は踵を返そうとした伶弥の腕を掴み、会社の方へ押し出した。鬼上司のイメージが変わったら、伶弥が仕事しにくくなってしまう。婚約しても結婚しても、それは死守したいと思っているのに。

 大袈裟な程の大きな溜息を吐いた伶弥の背中を強く押し、なんとか仕事へ向かわせる。

 渋々といった様子で歩き始めた伶弥を後ろから眺め、詩陽は満足そうに頷き、自分も気持ちを切り替えるために深呼吸をした。

 昨日までの憂鬱な場所が、今はキラキラ輝いて見えるから、人の感覚というのは本当に不思議なものだ。

 暫くして、少し前を歩く伶弥が誰かと話していることに気付き、詩陽は目を凝らした。相手が副社長であることが分かると、サッと血の気が引いていく。

 もし、藍沢との仲を誤解したままだったら、厄介なことになる。詩陽は恐る恐る近づき、耳を澄ませた。

「申し訳ありません」

 耳に飛び込んできた伶弥の謝罪に、詩陽の心臓が跳ね上がる。許してもらえなかったら。藍沢から説明されていなかったら。そう思うと、不安で足が震えてくる。

「瀬里から聞いているよ。と言っても、実は分かっていたんだよ」

 鷹揚と笑う副社長が告げた言葉が理解できなくて、詩陽はなんとなく一歩近づく。

「分かっていたとは?」
「瀬里が来栖くんを巻き込んで、嘘をついていることだよ」
「そんな……」
「それほど見合いが嫌だったとは思わなかったから、そこまでさせて可哀そうなことをしたと思っているんだ。私と兄のせいなのだから、来栖くんは悪くない。むしろ変なことに巻き込んで申し訳ない」

 そう言って、頭を下げた副社長に伶弥は慌てる。

「謝らないでください」
「一生懸命に嘘を通そうとするから、どうしたものかと悩んでね。翌朝、嘘に気付いていることを伝えようと思ったから、来栖くんが帰ったと聞いて驚いたよ。でも、君にも大切な人がいたんだね」
「え?」

 伶弥の間が抜けたような声と同時に二人の視線が詩陽に集まり、詩陽はその場で端然と背筋を正した。

「君にも迷惑をかけたんだろう。本当に申し訳ない」

 今度は自分に対して頭を下げた副社長の前まで行き、詩陽はそっと肩に触れて、頭を上げてもらった。

「気になさらないでください。私たちにとっては、必要な出来事だったんです。今だからこそ、そう言えるのですが……」

 詩陽が苦笑すると、副社長も眉を下げて微笑んだ。その時、詩陽は周囲がざわざわしていることに気付き、視線を巡らせた。副社長もそれに気付いたのか、雰囲気がキリッとしたものに変わった。

「幸せになってください」

 副社長は笑みを深めて言うと、二人の前からあっさりと立ち去った。残された二人は互いに顔を見合わせ、ふっと笑い合う。

「さ、仕事に行こうか」

 詩陽の言葉に伶弥も頷き、並んで歩き始めた。人ひとり分の距離を開けてみたが、無駄な抵抗かもしれないと、詩陽は内心で嘆息する。

 二人は話すことなく企画部のフロアに入ったのだが、静まり返り、全員が固まってしまうという事態に陥った。誰もが伶弥と詩陽に注目しているものだから、詩陽は困ってしまい、曖昧な笑みを浮かべてみた。

「どうした?」

 暢気な伶弥の言葉に、詩陽は心の中で突っ込む。それは皆の台詞だろう、と。詩陽がこの後どう誤魔化そうかと考えたのは刹那だった。

「ああ、俺と詩陽、結婚するから」

 その後の静寂は割と長かったように思う。

 嵐が来たかのようなパニックの中、まともな言葉を発せる者はおらず、詩陽は顔を覆って俯くしかできなかった。

 そんな中、伶弥は平然とした様子でデスクまで行き、淡々と仕事を開始している。詩陽は慌てて追いかけ、バンとデスクを叩く。

「伶弥! どうするのよ、これ!」
「どうもこうも、事実なんだから問題ないだろう」
「大有りでしょう⁉ 皆、仕事にならなくなってるし、伶弥のイメージが崩れちゃうし」

 すると、伶弥はあぁと呟き、詩陽を真っ直ぐ見つめた。

「それは、もういいんだよ。詩陽が一生懸命、俺のイメージを守ろうとしてくれていたから、その気持ちを大事にしてきたけど、隠しておくことでトラブルになるくらいなら、全部オープンにしてしまった方がいい」

 その言葉を聞いて、詩陽は言葉に詰まった。

 詩陽との関係を秘密にしていたのも、今のイメージを守ってきたのも、全部、詩陽の考えを尊重してくれていたということだ。

「……伶弥は、もっと自分を大切にした方がいいよ」
「俺が一番大切にしたいのは詩陽だし、そうすることが幸せなんだから、きっとこれからも詩陽を優先することは変わらない。それは覚悟しておいて」

 伶弥はトントンと書類を揃えながら、甘く微笑む。その瞬間、フロアに悲鳴が響いた。

「ますます大混乱じゃない!」

 詩陽は頭を抱え、その場に蹲る。

「詩陽、大丈夫か?」

 デスクからこちらを覗き込む伶弥を見上げ、詩陽は言葉を探したが、何も浮かんではくれない。そんな詩陽を見ていた伶弥がまた口を開いた。

「抱き締める?」
「バカでしょう⁉ 一回、病院行きなさい!」
「可愛い」
「もうもう……! 今日は一緒に寝てやらない!」

 詩陽自身も大音量で爆弾発言を投下したのだが、当の本人は気付いていない。

 ただ、伶弥がクスクスと笑っているのを見て、憤慨しているだけだ。そんなやりとりはじゃれ合っているようにしか見えず、フロア全体に激震が走ったのだった。

 これからの二人にも、様々な壁は訪れるだろう。

 だけれど、築き上げてきた絆と信頼、互いを想い合う心があれば、きっと乗り越えていける。

 これからも詩陽は男らしい伶弥と甘々オネエの伶弥に振り回され、毎日がジェットコースターのような人生になるのかもしれない。
 
 

#創作大賞2024 #恋愛小説部門

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