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【20】恋を知らない小鳥~幼馴染の愛に包まれて~

第20話 初めての恋バナと詩陽の失言

「もう我慢しないでくださいよ」

 唐突に聞こえた心葉の声に、詩陽は飲みかけていた紅茶を吹き出すところだった。

 現在、詩陽は心葉と一緒に、社員食堂で昼食をとっている。そこで偶然会った西村も合流して、わりと平和に食事をしている最中のはずだった。

 詩陽が噎せながら、恐る恐る心葉を見てみると、その視線は西村の方へ向いていた。心葉の言葉も西村に向けられたものだとわかり、ホッとしたはずが、動悸は未だに治まらない。

 昨夜、伶弥に言ったばかりのセリフをこんなところで聞くことになるとは、思いもしなかったのだから、詩陽の反応も咎められることはないはずだ。

「どうしたの?」

 詩陽は動揺を誤魔化そうと、二人を交互に見て問いかけた。すると、心葉は頬を膨らませて、西村を指さす。

「左手首を怪我しているのに、我慢していたんです。ほら、見てください!」

 心葉は向かいに座る西村の左腕を掴み、軽く手前に引き寄せた。怪我しているから、心葉も力加減には気を付けたようだ。

 それでも、西村の顔が微かに歪んだことに気付き、心葉の話が事実であることは見なくてもわかった。

「やっぱり腫れてるじゃないですか!」

 そう言いながら、心葉はぷんすか怒っているが、そんな様子とは反するような慎重な手つきで西村の手首に触れた。

「西村くん、どうしたの?」

 怒っている心葉では話が進みそうにないことを察し、詩陽が西村に問うと、西村はそっと視線を外した。

「今朝、駅の階段からおばあさんが落ちそうになって。慌てて支えたんですけど、その時に……」

 西村らしい理由に、詩陽はふっと笑いを零す。

「名誉の負傷ね」
「かっこ悪いだけですよ」

 西村は情けない笑顔を浮かべて、心葉の手から腕を引き抜いた。その瞬間も眉間に皺を寄せたから、相当痛いのだろう。

「だけど、やっぱり治療はした方がいいよ。悪化したら、大変だから」

 体を使う仕事なわけではないし、利き手ではないから、大きな影響があるわけではないかもしれないが、それでも使えなければ、不便であることに変わりはない。

 詩陽の言葉に西村は苦笑いを浮かべ、気まずそうに頷いた。

「一番知られたくなかったのになぁ」
「だから、今言ったんです!」

 西村の呟きに、心葉が素早く言い返す。詩陽は首を傾げつつ、二人を観察した。

 もしかしたら、二人は付き合っているのではないだろうか。前から仲がよかったが、先日の企画で、更に距離が縮まった気がする。

 詩陽は今まで、周囲の恋愛に興味を持っていなかったが、伶弥とのことが頭から離れないせいか、思考がついついそちらに行ってしまう。

「二人は付き合ってるの?」
「はい⁉」
「ことりさん、ひどい……」

 西村が素っ頓狂な声を上げ、心葉からは同情の呟きが聞こえた。その反応の意味がわからず、詩陽はひとまず笑って誤魔化す。

 特に、『ひどい』と言われるほどの質問だったことが理解できないから、後からゆっくり教えてもらった方がいいだろう。

 それから、外回りに行くという西村を見送り、詩陽と心葉も企画部に戻ることにした。

 並んで歩いている最中に、不意に思いついたことがあり、詩陽はそのことが頭から離れなくなってしまった。

 二人が付き合っているかもしれないという思考が、つい恋愛方面へと雪崩のように傾いていくのだ。それでなくとも、朝からずっと、伶弥のことで頭がいっぱいだというのに。

「あの、心葉ちゃん」

 詩陽は財布をぎゅうぎゅうと握り締め、前を向いたまま、話を切り出すことにした。とてもじゃないが、心葉の顔を見て話せない。

「どうしたんですか?」

 心葉が詩陽の方に顔を向けた気配に気付き、詩陽も一瞬だけ視線を向けてみた。

 だが、すぐに正面を向き直して、大きく息を吸い込む。向かい合って座っている時でないことが幸いだ。

「と、友達の話なんだけどね……?」
「何でしょう?」

 詩陽はキスの時と同じくらいドキドキしている胸を押さえて、ごくんと唾を飲む。

「ずっと友達だと思っていた男の子から告白されて、急に態度を変えるのもおかしいし、変わらないままもおかしい気もするし、どうしたらいいのかなって悩んでいる子がいるの」

 心臓が口から飛び出してしまいそうだ。恋愛について、人と話をするのは初めてだが、こんなにも緊張するものなのか。

 詩陽は楽しそうに、当たり前のように話をしている女性全員を尊敬すべきだと強く思う。

「お友達もその子が好きなら、自然と接し方って変わると思いますけど……うーん、人によるのかな。確かに、友達期間が長ければ長い程、恋人としての付き合い方に上手く移行できないのかもしれないですね」
「こ、恋人……」

 詩陽の中で、伶弥の顔と一緒に新しい単語がグルグルと回り、頭から蒸気が出そうになる。

「え、恋人同士になったってことですよね? 告白されたら、返事をしているんでしょうし」
「返事……」

 詩陽は昨夜のやりとりを恥ずかしいと思いながらも、必死に思い起こしてみた。

「返事、してない、かも?」
「えぇ⁉ じゃあ、付き合い始めたというわけではないんですね? それなら、態度を変えるというよりも、まずは返事をしてあげないと」

 心葉の驚き以上に、詩陽自身が驚き、混乱状態に陥った。そのせいで、正常な判断もできなくなった詩陽は心葉の前に立ちふさがり、両肩をむんずと掴んだ。

「で、でも、恋人だから、やることやったんだよね⁉」
「お、落ち着いてください! 確かにそうかもしれませんが、世の中には付き合っていなくても、エッチできる人もいますし……」
「なんてことなの!」

 返事をしていなかった詩陽がいけないのか、恋人になってもいないのに結ばれたのがいけなかったのか、詩陽には問題点が難解すぎてパンク寸前だ。

「騒がしいな」
「きゃあっ」

 後ろから聞こえた声に、詩陽は思わず叫んでいた。目が回るほどの勢いで振り向く。

 そこには無表情で腕を組む伶弥が立っており、詩陽はひゅっと息を吸い込んだ。

 詩陽の様子がおかしいことに気付いているはずなのに、伶弥は全く動揺した様子も心配した様子もない。相変わらず、完璧な鬼上司の仮面だ。

「りょ、しゅに」
「領主?」
「主任! いつから、そこに⁉」

 詩陽は、微かに首を傾げて呟いた伶弥に掴みかかるのを、胸の前で指を組んで堪える。

「今だが」

 伶弥が不意に腰を屈めたため、詩陽も目で追うと、何かを拾い上げて、詩陽に差し出してきた。それは、先程まで握り締めていたはずの財布で、実は伶弥からの去年の誕生日プレゼントである。

「あ、ありがとう」
「で、何か、問題でもあったのか?」

 話が終わっていなかったのか、と詩陽は内心で頭を抱える。こういう時に限って、誤魔化すための言葉が出てこない。

「主任に男性の意見を聞くのもいいかもですね!」
「良くない、良くない!」

 一番聞いてはいけない人だ。

「聞こう」
「本当に何でもありません」

 詩陽が焦れば焦るほど、伶弥の目が据わっていっている気がして、背筋がヒンヤリしてくる。

「関係がありそうだけど?」

 伶弥は、小刻みに首を振って抵抗している詩陽の耳元に顔を近付け、いつもよりも更に低い声で囁いた。その瞬間、どくんと心臓が脈打ち、せっかく拾ってもらった財布を落としてしまった。

「怪しいな」

 怪しいも何も、今のは伶弥の声が昨夜の情事を鮮明に呼び起こしたのだから、伶弥が悪いのだと叫びたくなる。

「……お二人、仲がいいんですね」

 一緒にいることを忘れていた心葉の声が耳に飛び込んできて、詩陽は数センチ飛び上がった。

「チガウ、ナカ、ヨクナイ」
「ことりさん、片言になってますけど」

 ぷっと吹き出した心葉の目には真剣さは感じられず、図らずも、片言のお蔭で気を逸らすことができたようだ。

「仲悪かったのか」
「もぉぉぉぉ」

 せっかくこのまま流してしまおうと思っていたのに、伶弥が蒸し返してしまった。

 詩陽は睨みつけたものの、すぐに無表情に隠れた憂愁の色を見つけて、胸が苦しくなった。そんな顔をさせたかったわけではない。決して傷つけるつもりはなかったのに、恥ずかしさのあまり、つい言いすぎてしまった。

「あ、あの」
「来栖主任、もう会議が始まりますよ」

 謝って、言葉を撤回しようとした矢先、近くを通りかかった社員の声が入り込んで、タイミングを逃してしまった。

「あ」
「午後の仕事に遅れないように」

 詩陽の言葉を聞こうともせず、伶弥は二人を一瞥すると、踵を返して歩き始める。

 その後ろ姿は淡々としていて、温度も感じさせない。いつもと変わらない主任の姿を安心していいはずなのに、今の詩陽には高く聳える強固な壁を作られたように感じてしまった。


#創作大賞2024 #恋愛小説部門

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