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ゾンビスネイル&ゾンビネイル【掌編2話】

ゾンビスネイル(1,306字)


「奥さん、ご覧になって。またあそこのおじいちゃん野良猫に餌付けしてますよ」

「全くねぇ。独り身で寂しいのも分かりますけどちょっとねぇ。注意すると怒鳴り散らしてくるから私たちでは何ともねぇ」

「あんな豪邸に一人暮らしなんて優雅なことですけどね、昔はどんなお仕事してらしたのかしら?」

「あらぁご存知ないの? あの方は高名な画家さんだったのよ」

「あっら~そうなの。絵描きさんだったの。何か描いてもらおうかしら~なんてね」

「だめよぉ。おかしくなっちゃってるんだから。もう何十年も描いてないみたいよ。私も昔、ニュースで見たことがあるんだけどね、何でも――」

*****

 高花源一たかはなげんいちは油絵画家であった。彼の絵の特徴は何といってもその厚さである。油絵というものは厚く塗ってあるように見えるが、たいていは技術によってそう見せているだけである。しかし、高花は実際に絵の具を何度も何度も重ねて厚みを出していた。キャンバスから飛び出した立体感は絵の範疇はんちゅうに収まらないと国内外で高い評価を得ていた。

 凡人が真似して厚塗りしてもしわやヒビができてしまう。厚塗りしてもなお高花の作品にはそれがない。もちろん、評価されているのは技法だけではない。も言われぬ深みが高花の作品にはあった。時に生きる喜びが、時に心焼かれる悲しさがそこにはあった。

 生き物を描かないのも高花の絵の特徴であった。人間や動物だけではなく、草木や土までその絵には見られなかった。高花が好んで描いたのは椅子や机、ドア、壁といった人工物ばかりであった。それでもなお、人々は彼の絵に人生を見たのである。

 そのため、彼の最後の絵に世界中が驚いた。期待が裏切られたと怒る者もいた。新しい挑戦とたたえる声はほとんどなかった。

 作品は裸婦画だったのである。モデルが15歳の少女だったという点も議論の的になった。

 しかし、それはさしたる問題ではない。モチーフが何であれ、画風がいつもの高花であれば評価もあっただろう。

 その裸婦画は高花の作品とは思えないほど、まるで水彩画と見まがうほど薄塗りされていたのである。スケッチに軽く色を付けただけのようにも見えた。一部分を除いては。

 裸体は少しの凹凸もなく描かれているのに対して、乳房の先、すなわち乳首だけは隆々りゅうりゅうと盛り上がっていた。その部分だけはいつもの高花、いや、それ以上であった。

 

 さらに、乳首は少女のものとは思えないほど黒々として存在感を放っていたのである。まるでそれ自体が一つの生物のように見えた。

 人々はその不快な違和感に顔をしかめた。そして誰が呼んだかその絵は「zombie snail (ゾンビスネイル;寄生されてゾンビになったカタツムリ)」と揶揄されるようになったのである。

 こうして高花はその絵とともに表舞台から完全に姿を消した。なお、その絵の所在は不明である。

 当時、「ゾンビスネイル」を絶賛した数少ない一人、A氏はこう述べている。「あれは宇宙であった。高花氏の作品は人生と評されるが、それを超えて宇宙であった。30年もすれば、必ず評価されるであろう」

 しくも、今年が作品発表から30年目である。しかし、評価どころか存在すら忘れ去られている。A氏も鬼籍に入って久しい。

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2020年12月


ゾンビネイル(1,724字)

「奥さん、ご覧になって。高花さんちのお嬢さんよ、いつ見ても綺麗ねぇ」

「全くねぇ。でも、あんな綺麗なお嬢さんがまだ独り身なんてね。うちの息子のお嫁さんに来てくれないかしら~なんてね」

「あんな豪邸なんだからお婿さんにして貰った方がいいんじゃない? でも、この辺の同年代の子はみんな怖がっちゃって無理だわね」

「怖がるってどうして? あんな綺麗で大人しそうな娘さんを……」

「あらぁご存知ないの? あの娘は有名な不良だったのよ」

「あっら~そうなの。スケバンさんだったの。全然そんな風には見えないわねぇ」

「不良って言ってもコギャルっていうの? そんなに悪いわけじゃなくてモデルみたいなこともしてたみたいよ。私も昔、テレビで見たことがあるんだけどね、何でも――」

*****

「たかぱな」こと、高花美結は読モ(読者モデル)であった。彼女の人気は雑誌のワンコーナーを任されるほどだった。彼女はそこで得意のネイルアートについて講座を行っていた。テレビで特集されたこともある。

 彼女のネイルの特徴は何といってもその厚さである。ネイルアートというものは厚くデコっているように見えるが、たいていは技術によってそう見せているだけである。しかし、たかぱなは実際にジェルを何度も何度も重ねて厚みを出していた。指先から飛び出した立体感はネイルアートの範疇はんちゅうに収まらないとギャルの間で高い評価を得ていた。

 ちなみにたかぱなの取り巻き達は彼女のネイルが汚れないように身の回りの世話をしていた。それが大人たちにはヤンキーのボスのように見えたのである。

 素人が真似して厚塗りしてもしわやヒビができてしまう。厚塗りしてもなお、たかぱなのネイルにはそれがない。もちろん、評価されているのは技法だけではない。も言われぬ深み、今で言えばエモみ、古文風に言えば「いとおかし」がたかぱなのネイルにはあった。全てのギャルの心に刺さる「わかりみが深い」が、全てを包括するバブみが、そこにはあった。今風に言えば。

 キャラクターを描かないのもたかぱなのネイルの特徴であった。ディ○ニーやサン○オのキャラだけではなく、動物や花、星などの全ての具象も彼女のネイルには見られなかった。たかぱなが好んで描いたのは線や点で表現される抽象ばかりであった。それでもなお、ギャルたちは彼女のネイルしか勝たんと思ったのである。今風に言えば。

 そのため、彼女の最後の連載のネイルにギャル界中が驚いた。期待が裏切られたと激オコした者もいた。新しい挑戦とたたえる声はほとんどなかった。

 作品は怪我を再現したネイルだったのである。左の小指と薬指と中指だけという変なリアルさも議論の的になった。

 モチーフが怪我であれ、可愛くデフォルメされていたら評価もあっただろう。しかし、それはあまりにもリアル過ぎた。

 ネイルアートとは思えないほど、まるで指先を車のドアに挟まれて内出血や爪割れができたようにリアルだったのである。赤黒い血だまりや白濁に変色した感じ、指先まで紫になっている様はとてもネイルアートには見えなかった。たかぱなを本気で心配するお便りも編集部まで送られてきた。

 ギャルたちはそのサゲな感じに顔をしかめた。そして誰が呼んだかそのネイルは「ゾンビネイル」と揶揄されるようになったのである。

 こうしてたかぱなはそのネイルとともに表舞台から完全に姿を消した。なお、それを機にたかぱなはギャルもネイルアートも卒業した。

 当時、「ゾンビネイル」を絶賛した数少ないギャルの一人、かなぴよはこう述べている。「あれはきゅんだった。たかぱなのあのネイルはぴえん、それを超えてぱおん、もっと超えてひいん、さらにそれすらも遥かに超えて――」というような事を言っていた。今風に言えば。

 さらに、「15年もすれば、必ず評価される」とも言っていた気がする。

 しくも、今年がゾンビネイル掲載から15年目である。ハロウィンにはゾンビメイクやゾンビファッションが当たり前になっている。今だったらゾンビネイルも受け入れられるだろう。

 しかし、移り変わりの早いギャル界においてたかぱなの存在は既に忘れ去られている。高花美結氏もそっとしておいてくださいと言っている。


2021年3月
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 前者を最初に書き、その後何を思ったか、セルフパロディで後者を書きました。

 見出し画像にお写真をお借りしました。ゾンビ映画と言えば、少し前に観た『ゾンビワールドへようこそ』が新世代のゾンビ映画という感じで面白かったです。




爪に火を灯すような生活をしております。いよいよ毛に火を灯さなくてはいけないかもしれません。いえ、先祖代々フサの家系ではあるのですが……。え? 私めにサポートいただけるんで? 「瓜に爪あり爪に爪なし」とはこのことですね!