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江戸版「鉄仮面の男」【掌編小説】833字

十七世紀後半のフランスにおいて、「鉄仮面の男」が牢獄に囚われていた。
面会時には仮面の着用が義務付けられ、誰も彼の素顔を知らなかったという。
素性も不明であるが、時の指導者の息子だとか、名のある貴族の縁者だとか噂されていた。
彼の死後も様々な憶測が飛び交い、彼を題材にした小説や映画が数多く作られている。

さて、時を同じくして、日本にも「鉄仮面の男」がいたことをご存知だろうか。
江戸時代、とある場所に面を被せられた男が囚われていた。
名をヒョードルと言った。
国籍不明であるが、少なくとも日本人名ではない。
資料が残っていないため、鎖国下の当時の日本においてどのようにしてヒョードルが入国し、そして囚われるに至ったのかはわからない。
しかし、経緯はどうあれ、彼は生涯を牢屋敷で終えることになる。

牢屋役人たちからは「オモテ」と呼ばれていた。
ヒョードルという名の南蛮人であること以外全くの身元不明だったからである。
面は「潮吹き面」と呼ばれる神楽や猿楽で使われていた物であったという。
ヒョードルは身元不明でありながら、独立の牢獄である揚座敷に収容されていた。
本来、揚座敷は身分の高い人物を収容するための牢屋敷である。
身元不明の異国人が、収容されているのは明らかにおかしい。
そして不気味な潮吹き面を四六時中被せられている。
世話する役人たちは何かあるだろうと誰しも考えたはずだが、お上の決めたこと。
余計な詮索などするはずもない。

こうして、ヒョードルの素性は歴史の闇に葬られた。
名前以外まったくもって不明のままである。
本当であれば、その名前すら歴史には残らなかったはずであった。
牢屋役人たちにも彼の名は伏せられていたという。
しかし、役人たちがオモテと呼ぶたびに彼は、「ヒョードル、ヒョードル」と言い直した。
彼のせめてもの抵抗だったのかもしれない。

とはいえ、役人たちは「ヒョードル」とは聞き取らなかったようだ。
彼が被せられていた潮吹き面は、後に「ひょっとこ」と呼ばれるようになり、現在まで伝わる。


オラヴ153/タロットで人生を詠むさんにリクエストをいただきました。ありがとうございます。お話モチーフのヒント募集中です。

ちなみに、フランスに「鉄仮面の男」がいたのは事実のようですが、日本版「鉄仮面の男」は創作ですのであしからず。

爪に火を灯すような生活をしております。いよいよ毛に火を灯さなくてはいけないかもしれません。いえ、先祖代々フサの家系ではあるのですが……。え? 私めにサポートいただけるんで? 「瓜に爪あり爪に爪なし」とはこのことですね!