精神科は敵
精神科、メンタルクリニック、カウンセラーは皆悪い奴らだと、どうしても思ってしまう。
私を“普通じゃない”にするから。
初めて精神科を受診したのは高校3年生だったかな。
書いていると、精神科を受診したいと伝えたときの「大袈裟だな」と嫌がる母の表情が蘇る。
精神科には初診に行って、それきりだった。
「精神科に行く自分」になりたくない。
精神科に行くってことは、普通じゃ無いから。
精神科に行くってことは、自分が普通じゃないことを認めることになるから。
大学に入り、ある人にスクールカウンセラーを勧められるものの、やはりそこの人に優しくされること自体が嫌だった。
腫れ物に触るように接せられることは、私そのものが腫れ物つまりだめなものとしか思えず、通うことはできなかった。
それから一年半ほどが経ち、2019年冬頃辺りから自力で自己肯定感の低さと向き合い続けた。過度なADHDにも対処してきた。
自分を受け入れることに3年半ほどかかったが、大分生きやすくなった。
まだ完璧に受け入れたとは言わないが、
病むことも殆ど無い、死にたいと思ったのは去年の夏が最後だ。
ただ唯一を除いて。
もし私のnoteを開設当初からじっくり見続けている方がいれば気づくだろう。
男関係が安定しないことに。
大学の中頃から、自分の容姿が悪いのではなく自分の中のどこかに問題があることにうっすら気がついていたが、その正体は分からずにいた。
男関係を見て、周りからは適当な人間だと思われていた。
いや、今も思われている。男遊びが好きな子ってね。
「普段しっかりしてる子こそ恋愛の方は、ってよくある話だよね。」なんで言われたこともある。
私は、境界性パーソナリティ障害と発覚した。
この病名にたどり着いたとき、
救われた気持ちと苦しい気持ちは3:7くらいだったかなあ。
病状を調べると、これでもかというほど一致することが多い。私は反抗期が長く、しかも内容も激しいものだったけど、それもまさにこの症状だ。
恐ろしい記憶がある。
小学四年生のとき、一通り暴れたあとに私は母にこう言った。
「ねえなんでこんなに暴れるか知ってる?こうしたらママが見てくれるの分かってるからだよ」
分かりすぎも考えものである。
実際に、かまって欲しくて始めた言動をどこでストップさせればいいかわからない感覚がずっとあった。
母の名誉のために弁明しておくが、母はよく働きよく遊んでくれた。7つ下の弟ができても「お姉ちゃんなんだから」と言わないことを徹底して育ててくれた。
ただ、詳細は省略するが、私も母も父とは仲が良くなかった。
決して父も母も責める気持ちはない。
彼らは私の親である前に人なのだ。
この言葉以上のものも以下のものも無い。
そもそも、どうして発覚したかというと
先日息が出来なくなった。
好きだと思う人にこれでもかというほど抱きしめられたとき、不安のような何かが
グアアアアアアアアアアッ
と頭を支配する。
「あれっ?呼吸ってどうやるんだっけ?」
今までも「見捨てられ不安なんだろうな〜」くらいの自覚はあった。特段調べたわけでは無いが、様々な調べ物や読書の過程で知った概念なのだろうな。
私からから急に関係遮断するのは分かりやすい症状。
他に、「切られる対象になった行動が悪いだけで、あくまで自分の存在自体は否定されてない」と思うために、必要以上に過度に連絡したり接したりして切られて安心することなども頻発していた。
付き合うという安定した関係には発展しない。壊れる恐怖に脅かされる前にこっちから壊しに行く。
ガラスに思いっきり握り拳をおろす。
パーンッという音がする。
ガラスの破片は散らばっている。
破片が手に刺さり血が出ている。
刺さった箇所の傷跡はよく残る。
ただ、呼吸ができなくなるといった身体の症状に現れたのは初めてだった。
流石におかしいと思い、初めて見捨てられ不安や愛着障害について調べたところ、私にぴったりな一文があった
“物理的に近くなればなるほど、不安になる”
先日の私を端的に説明するのに最も相応しい文章が、
境界性パーソナリティ障害の病状例の一文にあった。
不思議だよね。普通、好きな人と近くにいたら嬉しいはずなのにね。
ここまでピンときてしまうと、これまでどこか見て見ぬ振りをしていたことにきちんと向き合わないといけないことになった。
そして、ほどなく気づく。
あ、これ、1人で治せない。
というのも、著しく自己肯定感が低いことや過度なADHDであることは、あくまで私の身の問題なのだ。
ただ、この病状に関しては対人関係が発生したときのみに発動する。
(必殺技みたいな言い方になってしまった。最近、少年漫画を読んでいるから…)
しかもだ。
現在、家族や友人に対してのみならず、
どうでもいい男に対しても(見捨てられても何も思わないので)症状が出にくい。
きちんと好きだと思った人のみ顕著に出てしまう。
何が困るかというと、
病状に対峙する瞬間が少なすぎて自己解決が難しい。
自己肯定感の類で言うと、私は「低い自己肯定感」と常に生きてきた。いつでも「自己肯定感が低い私」にアクセスできていた。その状況で3年半かかってるんだ。
対し、恋愛対象のみに対して顕著に出るということは改善したい私にいつでもアクセスできるわけではない。
不安になる状況に陥いる前にできることが、何かしらの療法が、あるのだと思うけど
ネットの海や何冊もの本は私を不安にするだけで助けてはくれなかった。
このままだと、もし好きな人と過ごす日々が再開しても、一定の距離とメンタルを保つことができないまま、また破壊行動を取ってしまう。
そんなに悲しいことはない。
降参。お手上げ。
こうして辿り着いたのが、
精神科だった。
精神科でのあれこれは、また後日..。
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