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抽象的孤独の第一ピリオド


私はずっと孤独だった

みなさんもそうだろうか?

高校生のとき、誰とも話が通じないことと比例して溢れていった想いを綴ったtumblerのアカウントは私の宝物の一つである

高校辺りから強く「普通になりたい」と思って生きてきた
最近は「普通なんてない!」という決まり文句のもと、そのようなことはないと思うようになったが、やはりところどころで「おおよそ」というのは存在する

私の場合、「人より沢山考える」んだけど
これがまた「普通」ではなく「おおよそ」ではない量を考える
ああ、N型もいいところで、是非S型の脳みそを無期限レンタルさせていただきたい

私は大学生半ばまで
「考えすぎはよくない」と思っていた。
だってみんながそう言うんだもの!

私の面白話に、中学生の頃から自己啓発やビジネス書をよく読んでいた
少なくとも日本の自己啓発・ビジネス書は言い方が変わるだけでどの本も言ってることは同じなので中高で多く読んだ自己啓発書やらは大して読まなくなった

まあとにかく、自己啓発を読んでいた頃にはここまでHSPやADHDなんて型は流布していなく、そんな中でも「考えすぎを止める本」といった具合のタイトルの本が五万とあったのだ

本を手に取らずとも、すでにタイトルにて考えることを否定している
さながら考えすぎることは悪だということが、人類の共通認識のように!

ビジネス書棚に洗脳された高校・大学生の私は当然思う
「考えるから生きにくいのか!では、一体全体どうしたら考えずに生きて行けるのだろうか?」

そうして始まった試行錯誤はとても辛い道のりだった。
なぜって?
無理なことをやろうとしているから。

急がば回れもいいところで、「無理なこと」というのはやってみてわかったことなので、このあるべくしてある辛さだった

後に母に聞くと、私は小さい頃からとにかく「なんで?」と聞き周り、母がうまく説明できないと大きい道の真ん中で転がりまわってゲロ吐くまで泣いて「なんで?」を主張したらしい。我ながら最悪!
母はどんなことも「そうなんだからそういうもの」と捉える、所謂生粋のS型なもんだから余計に頭を抱えたらしい。

何が言いたいかって、この「考える」は天性のもの、
生まれつきのものなのだ。

大学生が終わる頃、ようやく私は考える私を受け入れたはいいものの、今度は「考える」を人に押し付けるようになった。

受け入れたはいいものの、

私だけというのは、独りだというのは耐え難かった。


それで、必死に走り回り、私と同じように抽象的な話を試すように投げかける。
そしてその投げかけは大抵特定の異性に向けられるものだった。
なぜかって?抽象的な投げかけは負担と知っているからだ。
中高でたっぷり触れた自己啓発が教えてくれたでしょう。みんなにとって考えることは悪だと。考えることは疲れちゃうことだと。

友達にわざわざ負担をかけさせるようなことはしない。
投げかけはするものの、良い塩梅で引き上げる。

私が一番嫌いな台詞を言うのだ。

「まあ、難しいよねー」
ハッキリ言って反吐が出る。

他人に期待しているからね、考えてよって。そして、自分の孤独を感じる瞬間だからね、私だけなんだって。


一度、一番仲良い子にしていたがその子は疲れていたので辞めた。



今更、「考える」ということに対する私の考えを述べると、「考え過ぎる」ではなく「考え尽くす」で、「沢山考える」というのは、それはそれは楽しいことなのである。

最近、私に特殊な優しさを向けるある人が
「考えることが偉いのではなく、答えを出すのが偉い」
という言葉を私にはなった。

確かに、何かの尺度を持ってして偉いを捻出するのであれば、答えを出すことは偉い。
ただ、考えるというその過程が、あなたを、わたしを膨らませるのではないだろうか?

それで、とにかく、私の中で「考える」というのは、正の領域にある。
それは、「悪」にしてしまった場合、私自身も「悪」にしてしまうことになるからそうせざるを得ないこともよく分かる。


みんなは考えると疲れるらしいが、
そもそも、私は考えることにエネルギーを要さない。

息をするのと同じなのだ。


息をするように簡単に行うものというのもそうだし、
息をしないと生きていけないというのと同じように、考えないと生きていけないのだ。

だから、ハッキリ言えば、難しいで思考を止める人の気持ちがわからないし、分かりたくもなかった。



話が逸れたので戻す

私は抽象性を特定の異性という他人に求めた

そうすると面白くて、メンヘラばかり集まる

大学生の頃はまだ無意識に考え過ぎることを悪としていたが、それでも本能は抽象的孤独に耐えきれず、その穴を埋める相手を探していた


年の近い男はただのメンヘラだからまだいい
問題なのは20代後半はまた厄介で、自分の主張を刃に自分を守りこちらを傷つける
最後にそんな男に当たったのは一昨年の秋だったかな、
そもそも「おおよそ」や「普通」など、他人を意識して過ごす私だから、非常に人に影響されやすくて、当時はもう頭皮にも背中にも胃にもストレスが出て大変だった


それでも懲りず私は探し求める。
抽象的な話を永遠にできる人はどこにいるんだろう?

そして、いた(笑)
ひとり、いた。何十年先のことを考える人間。
去年夏に会った人だったな。

なんと、沢山傷を負いながらやっと見つけたその人のことをなぜか好きになれなくて、これまたお互いをチクチクと刺すんだ。
面白いことに、彼も私と会う度、ため息をつきながらこう言うのだ。「みんなにこう言う話を気兼ねなくできたら良いのに」

お互いがお互いを求めていたのに、何故か一緒にはいられなかった。

アレー、となり今度は抽象的なことを一切考えない人と付き合ってみる。これがまただめで、全く尊敬の念を得られない。私の心を1ミリも開示する気になれない。


数年走り回った結果、直近実を結び、
話せる人もダメ、話せない人もダメ。というなんともない結論に辿り着いたのである。


これで、私の抽象的孤独の第一ピリオドが打たれたということになる。

孤独の解消は人に求めるものではない、と。
そして、私が孤独と思っていたものは
独りではなく、一人だということ。


これまで孤独を回避したいがために求めていた抽象的和解というものはおそらく存在し難く(息するように抽象的思考を巡らせる人に今まで一人しか会っていなかった、つまりn1なので断言できない)
たとえ対話相手がいようとも、パンをこねて発酵させるのと似たように、抽象的思考は私の中で揉んで膨らませていくものなのかもしれない。

そして、パンと同じように、綺麗に生まれ物を誰かにあげて、喜んでもらうことで、人と繋がり孤独ではなくなるのかもしれない。

彼が、n1の彼が
俺には音楽がある
と言っていたのは、こう言うことなのかもね


私はまた、一人になった。
わたしになった。

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