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これは、遠回しに、あなたも自己防衛というシールドを下ろしてみないかという問いかけをしているのかもしれない。

ずっと、考えない人を馬鹿にする傾向があった。
人が大好きなのに、何も考えずに生きてる人を見下して生きていた。
私はあいつらと違うと線引きする自分が嫌いだったが、それを辞めることは無かった。

今朝は、そう考えてしまう理由がわかった朝だった。
私は、私の価値を「考えられること」だとしてしまっていた。
つまり、考えられなくなった私には価値がないのだと。
価値がないと、見放されてしまう。
だから、考えた。自然と考えるときもあれば、
無理して考える時もあった。
無理して考えるときはとても辛かった。
それは、出口がない迷路をぐるぐるとしているのと同じだからだ。
自己満の「わからなきゃ」「考えなきゃ」により、自分を苦しめた。

そんな日々を送っているから、考えずに幸せでいる人が、許せなかったのだ。
私は考えてやっとこさ自分の価値を見出して、幸せでいるのに、どうして何も考えずに幸せなんだ、と。
そう言う人と線引きすることで、自分を高め、自分を守った。つもりだった。

自己防衛で線引きをしていたが、それはより自分に巻きついた縄をきつくするだけだった。線引きをすればするほど、私は考えないといけなくなるからだ。

それに気がついたのが、今朝だった。
気がつけて、すごく嬉しかった!
これでまた、だいぶ生きやすくなる。
誰かに「つまらない人」とレッテルを貼ることがなくなる。
自然と相手を受け入れられることで、私の心からマイナスの感情は剥がされ、平穏が保たれるし、
変な自己防衛が働くことによって築いた関係にハンマーを下ろすことはしなくて良くなった。

これまで傷つけてきた人が多くいる。自分も含めてだ。
敢えてここでこの話をするのは、言い訳をしたいからなのかもしれない。

考えないひと、を受容できるようになったので、
次は、自分の意に沿わないひとも、受け入れられるようになるの良いと思うし、近いうちにはそうなると思う。
そうしたらもっと世の中にフラットでいられる。
フラットでいることは、自分も周りも、ハッピーだからね!

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